書店にあふれる反韓国・中国本、なぜ?

第二次安倍政権の誕生以降、2013年からは嫌韓本、嫌中本ブームはもはや爆発的ともいうべき状況を呈している。
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A worker arranges books at a book store in the Aeon Mall Makuhari Shintoshin shopping mall, operated by Aeon Mall Co., during a media preview ahead of the mall's opening in Chiba, Japan, on Monday, Dec. 16, 2013. Large Japanese businesses pared their projections for capital spending this fiscal year, signaling challenges for Abenomics as a sales-tax increase looms in April. Photographer: Tomohiro Ohsumi/Bloomberg via Getty Images
Bloomberg via Getty Images
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『日本人が知っておくべき嘘つき韓国の正体』『笑えるほどたちが悪い韓国の話』『なぜ中国人には1%も未来がないのか』『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』。

日本の大型書店の「国際関係」コーナーには今、韓国や中国への否定、敵意、憎悪を煽動するこうしたタイトルの本が、ところ狭しと並んでいる。書店によっては、「占領されている」と言ってもいいほどだ。2013年12月に刊行された室谷克実『呆韓論』(産経新聞出版)は、半年で20万部を越えたという。

その一方で、日本と日本人については手放しで自賛するタイトルの本も売れている。いわく、『世界から絶賛される日本人』『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』。

書籍だけではない。週刊誌や夕刊紙も頻繁に嫌韓・嫌中的な特集を競って掲載している。私が調べたところ、保守系の「夕刊フジ」では、13年10月1日から14年3月31日までの143日間で大見出しに韓国関連の文言が掲げられたのが69日、中国関連が31日、中韓まとめて取り上げられたのが13日あった。いずれも、露骨なバッシング、あるいはそうした含みをもったものであった。

こうした傾向は、きのうきょうに始まったものではない。1990年代、日本軍「慰安婦」や南京大虐殺といった近代日本の負の歴史が告発されるようになると、これに反発する世論が高まり、第二次世界大戦における日本の正義を主張する小林よしのりの漫画『新ゴーマニズム宣言 戦争論』(幻冬舎、1998年)が大ヒットした。侵略の歴史を否定し、日本の歴史を美化する歴史修正主義に立つ書籍はこの頃から次第に刊行点数が増えていったが、同時に、内容的には日本の過去を告発する韓国と韓国人、中国と中国人そのものに敵意を向ける傾向を強めていった。

次のエポックは、2005年、これまた漫画の山野車輪『嫌韓流』(晋遊舎)である。「在日韓国人による本格的な『日本侵略』がすでに始まっている!」という、ナチスドイツの反ユダヤ主義を連想させるような惹句をオビに掲げて在日韓国・朝鮮人を攻撃するこのシリーズは、4冊累計で90万部を突破したという。この頃、「嫌韓」は書籍とインターネットからあふれ出し、07年には路上でヘイトスピーチを行う在日特権を許さない会(在特会)も結成された。

そして、12年の中韓両国との領土問題の焦点化、さらには「日本を取り戻す」というスローガンを掲げた第二次安倍政権の誕生以降、2013年からは嫌韓本、嫌中本ブームはもはや爆発的ともいうべき状況を呈している。

■ 出版関係者から憂慮の声も

だが、深刻化する路上やネット上のヘイトスピーチに対して抗議行動が広がるようになると、出版界内部から嫌韓・嫌中ブームに対して自省を呼びかける動きも始まった。2014年3月、出版社の経営者や編集者、ライターらが集まって「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」を結成。11月には『NOヘイト 出版の製造者責任を考える』を刊行した。長年の出版不況に喘ぐ出版社にとって、安定した読者層を確実に獲得できる嫌韓・嫌中本はありがたい存在かもしれない。しかし、彼らはレイシズムの煽動がもたらす結果に対する出版界の責任を問うている。

20年をかけて成長してきた嫌韓・嫌中本ブームの背景には、19世紀からアジアのトップを自認してきた日本人のアイデンティティと世界観が、冷戦終結以降の東アジアの激変によって大きく揺さぶられている現実がある。だが、韓国人や中国人への否定、敵意、憎悪をかきたて、日本の素晴らしさを自賛することで得られる自閉的な安心への依存は、日本社会を致命的に誤った選択へと導きかねない危険を育てるものだろう。