デモの主張は「戦争法案撤回!」じゃなくて、「国民投票で決めよう!」じゃダメかしら?

あまり触れない方がいいんじゃないかとも言われる安保法案。「どうせ忘れちゃうんでしょ?」と煽った張本人として、政権が風化を期待する三連休に何か書こうと思います。
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Opposition lawmakers surround Yasukazu Hamada, right, chairman of the lower house special committee on security legislation, as Hamada continues the committee proceedings at the parliament in Tokyo, Wednesday, July 15, 2015. The parliamentary committee has approved a package of highly controversial security legislation in a vote forced by Prime Minister Shinzo Abeâs ruling bloc disrupted by opponents' massive protests. The banners held by opposition lawmakers read
ASSOCIATED PRESS

内閣支持率35%に急落 毎日 - Y!ニュース (2015年7月19日(日)掲載)

なんかもう、何かを言えば言うほど両サイドから集中砲火を受け、正直地方議員としてはあまり触れない方がいいんじゃないかとも言われる安保法案。

前回を最後に筆を置こうかとも思ったのですが、

「どうせ忘れちゃうんでしょう?」

と煽った張本人の責任として、定期的に話題にするべきだと思い直しまして、安倍政権が風化を期待する三連休に間に何か書こうと思います。

まず安保法案に対する私のスタンスとしては、

1.集団的自衛権の必要性は認める

2.ただし、本来であれば憲法改正で対応するべき(違憲の可能性あり)

3.法案を10法案にまとめて一括審議するなど、手続きに疑問がある

というところです。

1と2の間には深刻なジレンマがあり、保守論壇でも違憲が分かれています。

なので、私が国会議員なら正直、採決の直前まで賛成か反対かで悩むでしょう(棄権はなし)。

以外に思われる方もいるかもしれませんが、政治家だって一人の人間です。

明確なイデオロギーや厳格な党議拘束がある政党を除けば、国会議員とてきっと最後まで思い悩むことがあると思います(しかし大半の議員には党議拘束があるが)。

まず本題の集団的自衛権については、ほぼ間違いなく戦争するためにこの法案を通したいと思っている政治家などいないということは、前提にした方がいいと心の底から思います。

あまり単純な図式にするのは難しいのですけど、

現状のままでも日本の平和を守ることは十分可能

VS

同盟国との協力を得た方が平和を守れる可能性が高まる

という比較衡量の問題であり、私は後者の立場に近いというだけです。

蛇足ですが、国会の論争が空回りガチになるのは、公的な場ではなかなか

「中国がマジやばいっす」

という個別具体例があからさまには言えない点にあって、深く本質的な論争ができないのは双方がこの部分をオブラートに包まなきゃいけないことに大きな原因があると思います...。

私個人としては、集団的自衛権による抑止は必要だと思えるほど、隣国(中国)の脅威は高まっているという認識です。

なので勿論、私も「戦争反対!」なわけで、「戦争反対だから安保法案にも反対」と主張された瞬間、議論のスタート地点にすら立てなくなってしまうわけですね。

もちろんデモなどの街頭活動では端的なフレーズが重要なので、敢えて物事を短絡化している部分もあるかと思うのですが、それに流されている人が出てしまうのも心配です...。

そして問題の、解釈改憲。

これが良いか悪いかで言えば、それは当然良くないです。

こんなことが許されたら、例えばですけど共産党が政権とったらどんな憲法解釈が行われるのか等を想像してみるとそのヤバさが身にしみてわかるというものです。

しかし難しいのは、このような厳密な「憲法違反」が行われたのは初めてかというと、そうではない点です。

以前にも少し触れましたが、自衛隊そのものや現状の安保法案だって憲法違反にいろんな理屈をタテつけて、今日の状態を維持してきました。

もちろん、今までがそうだったからといって、今回もなし崩しで良いというわけではありません。

でも、今回だけその点を激しく求めるのも、整合性が全然取れないと思います。

良いか悪いかは別にして、日本はこうしたことを「グレー」にしたまま進んできたことで、一応は70年の平和を維持してきたわけで、自らの歴史をすべて否定することにもなりかねません。

これは本当に悩ましい...。

白黒つけといてよ、昔の人!と愚痴の一つも言いたくなります。。

(これから我々の世代は、この種のあらゆる「先送り」と向き合うハメになる)

だからこそ「正面から憲法改正に取り組むべし」というのが正解だと考えます。

が、そこには安全保障上の喫緊の問題や政局、アメリカ含む外交問題などが複雑に絡み、それゆえに今回のような国論を二分するような状態になっているわけですね。

前置きが長くなりましたが、掲題の内容に入ります。

自分にも以上のような政治家としての基本的な姿勢はあるわけですが、今の私は

「国論を二分するような議論に、100か0かで正しいことなどありえない

と考えています(松田公太代表もブログでそう述べいまして、私も同意です)。

それぞれにメリット・デメリットや、相応のリスクがあります。

「こんな法案を通せば、戦争になることは間違いない!」

「この必要性がわからないなんて、平和主義者の妄想だ!」

「民意の声をきけ!」

「いや、選挙こそが最大の民意だ!」

と政治家も有権者も、お互いにすり合わせる余地もなく議論を封殺しがちな状況は、お互いにとって極めて不幸な状態です。

ならばどうでしょう、反対派の方々はここはひとつ

「国民投票で決めましょう!」

という主張を行ってみては?

民意は我にあり!というなら、国民投票でも勝てるはずです。

無論そうなっても政治家の役割はゼロではなく、例えば私も私なりに自分の意見を一人でも多くの人に伝え、賛同者を募ります。白黒はっきりと結果が出ますから、「丁寧な説明」なんて悠長なことも言ってられないでしょう。

繰り返しになりますが、こうしたことに100か0かはありません。

国民が「集団的自衛権は必要ない!単独で国を守るのだ!」という決断をするのなら、そのリスクを取って国防を強化するなり、外交政策を転換するしかありませんので、それはそれで1つの明確な結論・意思決定です。

大衆迎合になる、一時の感情に流されるなど直接民主制の欠点ももちろんありますが、何よりも自分たちの未来は自分自身で決断することが、未来への責任につながるのではないでしょうか。

直接民主制について論考を深めたい方は、私が主筆を務めた元気会公式HPの特集ページもご参照下さい。

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直接民主型政治とは

議論の一石として、ご参考のアイディアまで。

それでは、また明日。

(2015年7月20日「おときた駿公式ブログ」より転載)