「お父さんは、アメリカ人なんだよ」そこから始まった、父親探しの旅。

もやもやしていたのがすっきりした。いろんなルーツが混ざって、自分というものを作り上げているのだ、と分かったから。
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幼かった頃の筆者。
相馬絵美里

ずっと、自分は日本人だと思ってきた。中学生までは。

日本人の両親がいて、弟がいた。

だけど、周りからはいつもハーフなの?と聞かれてきたし、外見をからかわれもした。

子どものころは、周りの子よりも髪の毛が明るい茶色だったからという理由だけで「にんじん」と言われた。知らない男の子から、「フランス人ですか」「フランスは楽しかったですか」といきなり小馬鹿にするような態度で聞かれたこともあった。

これはまだマシな方だ。私の外見への心ないからかいは、通りすがりの人から言われることもしばしばだった。

東京の小学校に引っ越してきたとき、私が日本語を話しているのを見て、「なーんだ。英語でなんて話しかけようか考えてたのに。」と言っている子までいると聞いた。

「日本人」なのに、とにかく外見で「外国人」扱いされる。

わたし、橋で拾われてきたのーー?

中学生になる前だったか後だったか、親にそう聞いたこともある。そのときは「突然変異だよ」という返事だった。

どうしても疑問がぬぐえなかった。だって、私は家族の誰にも似ていない。両親は日本人だし、弟は日本人の顔。私だけ彫りが深くて肌も比較的黒い色で天然パーマだ。

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(左端から時計回りで)パパ、弟、母と筆者
相馬絵美里

中学生になってからもう一度、聞いた。

「私は、橋で拾われたの?」

そしたら母は、ようやく本当のことを教えてくれた。

「お父さんは、アメリカ人なんだよ」。

「なんで早く教えてくれなかったの?なんで聞く前にお母さんから話してくれなかったの?」戸惑う私に、「あなたが理解できるようになってから、話すつもりだった」と、母は言った。

すごくショックだった。

これまで育ててくれた大好きなパパと、血がつながっていなかったことがショックだった。そして、周りからハーフなの?と聞かれて「純・日本人」と答えてきたことが、結果的に噓をついていたことになることも。

アメリカ人の父、「ダディ」は、アメリカから北海道に来たバンドマンだった。ドラム奏者で、北海道で母と知り合った。私が生まれたが、母とダディは結婚しなかった。

その後、私が生後9ヶ月のときに2人は完全に別れ、私がまだ1,2歳のころ、パパと出会い、のちに結婚し、北海道からも引っ越した。

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私を育ててきてくれた、パパと
相馬絵美里

別の日、母からダディの写真を見せてもらった。どんな人か見てみたい、ずっと会いたいと思っていた。写真のダディは、ソファーに笑顔で座っていた。日焼けしていて強そうで優しそうな感じだった。自分の面影があるなと思った。大きな口元とか、お父さんにそっくりなんだよ、と母親が話してくれた。

でも、どこか現実味を帯びてないというか。実感できない部分もあった。

この人が、私のお父さん?

正直女ったらしだと思ったし、いい印象はあまりなかったけれど、自分の本当のお父さんに会ってみたい、会ったら文句言ってやるんだから!という気持ちの方が勝った。

でもダディは、どこに住んでいるのか、もう分からない、と母は言った。今のパパと結婚した後、北海道で叔母がたまたまダディと会い、母の電話番号を教えたと言うが、連絡は来なかったという。

(あとからダディに聞いたのだが、電話したくても当時の自分は今より日本語が話せなかったし、なにより母がもう結婚していたから電話できなかったということだった)

私が高校2,3年の時、私が生まれた時にアメリカにいるグランマから母がもらった手紙に電話番号が載っていたことを思い出し、英語が話せない私の代わりに、友達が電話をかけてくれた。誰も出なくて留守電に自分の電話番号を残しはしたが、電話が返ってくることはなかった。

Facebookを始めてからダディの名前を検索したけれど、同姓同名が多くて見つけられなかった。

2017年2月、ひょんなことでダディは見つかった。私が27歳の誕生日を迎えた直後だった。

ダディを知る母方の親戚が、Facebookで友達になった人の投稿に、たまたまダディがタグ付けされていたのに気づいたのだ。親戚から「これ、お父さんじゃない?」と連絡がきて、母と確認した。まだ北海道に住んでいるようだった。

ちょうど数ヶ月後、7月に札幌に遊びに行く予定だった。もしかして会えるんじゃないかという淡い期待を胸に、勇気を出してダディとつながろうと試みた。

ダディに気づいてもらえるように、Facebookのアカウントの写真を、自分が4,5歳の頃の面影が残る写真に差し替えて、ダディに友達申請をした。

すると、ダディが反応した。

「Is that you, Emiri?」

「Yes! I am your daughter.」

信じられないくらい、嬉しかった。

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ダディと筆者
相馬絵美里

ダディは再婚した女性との間に、双子の娘がいた。Facebookの写真で見て、幸せに暮らしていたんだ、ダディが生きてて良かった、と安心したのを覚えている。

2017年7月、母の親戚の家に遊びに行った時に、札幌のレストランで、私の叔母といとこも交えて会った。実に27年ぶりの再会だった。初めて会うダディは、横に大きくて、クマさんみたいだと思った。

ダディは叔母と2人で昔話に花を咲かせていて、肝心の私はほとんど話せなかった。ただ、ダディは、会えたことをすごく喜んでくれた。そして、私のことを一度も忘れたことはなかった、と言ってくれた。文句を言ってやる!なんて思ってたけど、その気はすぐ失せた。

後日、双子の妹たちと、ダディのパートナーに初めて会った。

10歳下の双子の妹たちは、小学生のときから、私のことを聞いて知っていたという。「お姉ちゃんがほしいなあと言ったら、いるんだよって。会うのを楽しみにしていた」という。ダディのパートナーも、「私のことは"アンティ"(おばさん)と呼んで」と言ってくれた。

アンティは私を本当の姪っ子のように可愛がってくれる。妹たちもアンティも私を喜んで受け入れてくれて、感謝してもしきれないほど感謝している。ダディは、アメリカに帰る機会もあったけれど、日本にいればエミリにいつか会えると思って残ったんだ、と言っていた。

自分は本当に恵まれていると思った。

今年の夏、夏休みを早めにもらって北海道に遊びに行き、ダディの還暦の誕生日をダディの家族と友人達で祝った。

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ダディの家族と。
相馬絵美里

この滞在の間、ダディには、別の女性との間に生まれた息子が、1人いると教えてもらった。私や双子の妹たちの異母弟だ。

かなり衝撃的だった。

今まで2人きょうだいだと思っていたのが、5人きょうだいの長女だったのだから。

数枚ある弟の小さい頃の写真を見せてもらうと、なんとなく自分と似ているような気がした。

アンティから聞いた弟の名前をFacebookで探すと、すぐにそれと分かる人が見つかった。間違っていたら...?と思う反面、弟で間違いないという変な確信があった。勇気を出して連絡したらやっぱり弟だった。

弟とつながり、これまでの経緯を伝え、父親がアメリカ人で、自分や双子の妹がいることを伝えた。弟は、何も知らなかった。私は中学生で自分がハーフだったと知ったが、弟は25歳にして自分がハーフだと知ったのだ。

北海道から戻ってすぐ、DNA検査を受けた。

途中から自分がハーフだと教えられたので、どこか実感が持てなかったし、ずっと自分のルーツを知りたいと思っていたからだ。結果は、日本人がおよそ半分、ダディからはヨーロッパ系とアフリカ系の遺伝子が入っていた。ダディから聞いていなかった国の血も流れていて、すごく不思議な気分だった。

もやもやしていたのがすっきりした。いろんなルーツが混ざって、自分というものを作り上げているのだ、と分かったから。前よりも自分に誇りを持てたような気がしたし、もっと自分を大事にしようと思った。

今でも小さい頃に外見をからかわれた心の傷は根深く、自分の外見に自信がないし、ひねくれている部分はある。日本人の両親に、日本人として育ってきたから英語が話せないのもコンプレックス。

でも、それを含めて私は私。

ダディとパパとの間で、気持ちが揺れたり、どっちの家族にも完全に属していないのではないかと悩んだ時期もある。

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筆者
相馬絵美里

私を今まで大事に育ててくれたパパが大好きだったけれど、ダディに会いに行こうとしたときは、パパも、自分への気持ちが変わってしまうんじゃないか、と心配していた。一緒に育ってきた弟は、パパと母の子どもで、双子の妹たちは、ダディとアンティの子ども。

私は、どっちでもないのだろうか...?

今の両親、家族でとても幸せなのだけど、落ち込んでいるとき、疲れているとき、そんな宙ぶらりんの自分に孤立感を抱えたこともある。

でも今は、そんな考えは無意味だと思える。私のことを大事に思ってくれる2つの家族、2人のお父さんがいるのだから。

血は繋がってなくても、本当の娘として今まで大切にしてくれているパパと、離れていてもひと時も忘れず、妹たちと同じように愛してくれるダディがいて、私は本当に幸せだ。

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Shiori Clark
HuffPost Japan

様々なルーツやバックグラウンドの交差点に立つ人たちは、自分を取り巻く地域の風景や社会のありようを、どう感じているのでしょうか。当事者本人が綴った思いを、紹介していきます。

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