他国の紛争に日本はどれだけ犠牲を払えるか―アメリカは80万人の虐殺を防げなかった

毎年、この時期になると思い出してしまう。1994年にルワンダで起きたジェノサイド(集団抹殺)。

毎年、この時期になると思い出してしまう。

1994年にルワンダで起きたジェノサイド(集団抹殺)。4月~7月のわずか100日間で、多数派フツ人により、少数派ツチ人と穏健派フツ人約80万人が虐殺された。1994年4月にフツ系の大統領が何者かによって暗殺されたことをきっかけに、それまで長らく続いていたフツとツチとの抗争が激化し、国全域へと虐殺が発展。今月21日には、"一夜で4万5千人が虐殺された日"から23年が経つ。詳しくは「"Never Again" Again. 一夜で4万5千人が虐殺された跡地から、先進国日本に暮らすあなたへ」を読んでほしい。

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一夜にして4万5千人もの人々が、老若男女問わず殺害された学校の跡地(photo by Kanta Hara)

夫が妻を殺し、妻が夫を殺した。隣人が隣人を殺した。多くの人が「どうして違う民族で仲良くできないのか」「なんて野蛮な紛争なんだ」と思うかもしれないが、この背景には植民地時代にヨーロッパが創り出した「民族対立」が存在することを以前解説した。ぜひこちらの記事も読んでほしい→「ルワンダ虐殺の背景 ヨーロッパによる植民地化がもたらした「民族」対立」。

ルワンダ虐殺での死亡率は、第二次世界大戦中にナチスドイツによって行われたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の実に3倍にも上ると言われている。なぜこれほどまでに多くの人が短期間で殺されたのか。きっとあなたは思うだろう。世界、特にアメリカのような大国はなぜ何もしなかったのか、と

トランプ政権によるシリアへの"人道的介入"(" "付きであることを忘れないで欲しい)によって、ある一国内の紛争に対する国際社会の責任や役割について改めて議論が巻き起こっている今日。自衛隊が南スーダンから撤退し始めた日本も、「他国の紛争にどれだけ犠牲を払えるか」について、今一度考えなくてはならない。1994年のルワンダ虐殺におけるアメリカの「失敗」を再考したい。

冷戦後のアメリカによる人道的介入と失敗

アメリカは、冷戦が終結してからの数年、具体的にはルワンダ虐殺が始まる前年の1993年までは、世界の平和維持活動を積極的に行っていたと言われる。もちろん、国益に関わる紛争地域への介入もあったが、一部の研究者は「この期間のアメリカの軍事介入はHumanitarian(人道的)にも行われていた」と指摘しているほどだ。つまり、冷戦の崩壊によって共産主義や全体主義が世界に広がっていくという懸念が払しょくされたことにより、よりリベラルな政策をとることが可能となったのだ。

しかしながら、その後アメリカは、ソマリアで悪夢を見る。

1990年代初頭、「アフリカの角」ソマリア。今も状況はほとんど変わっていないと言えるかもしれないが、当時のソマリアはあらゆる民兵組織や軍閥が跋扈して、政府の力がほとんど及んでいないまさに無法地帯。人道支援機関の援助ルートを軍閥が遮断し、支援物資が届けられず、ソマリアの国民は深刻な飢餓・栄養不要に苦しんでいた。

アメリカは、ソマリアの内戦へ平和維持軍として軍事介入を試みる。この軍事介入は、冷戦終結後で行われた軍事介入の中では最初の「純粋な人道的介入」(簡単な言葉でいうと、国益、つまりアメリカのためになるから介入するのではなく、純粋にそこで困っている人たちを助けるための介入)だったとも言われる。

しかしながら、映画『ブラックホーク・ダウン』でも描かれたように、介入をした結果としてアメリカ兵18人が死亡。その遺体が市内を引きずり回される映像が流れるなどしたこともあり、アメリカの世論は撤退や紛争地への介入に対する消極的な姿勢へと大きく傾いた。

「なぜ私たちの国の若き『未来』を、アフリカの野蛮な黒人なんかに奪われなければならないの?」と怒りに震える人々。普通、そう思うだろう。仮に自衛隊員が今派遣されている南スーダンで犠牲になるようなことがあれば、同じような世論が日本国内からも出てくるはずだ(関連記事:自衛隊が撤退しようが撤退しなかろうが、南スーダン難民・国内避難民の「苦しみ」は変わらない)。

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ルワンダ虐殺の跡地に安置された犠牲者の遺骨(photo by Kanta Hara)

国内世論を伺ったビル・クリントン元大統領

そのため、ルワンダ虐殺当時のビル・クリントン大統領は、ルワンダへのアメリカの関与に対しても消極的になる。政治家は当然、国民の顔色を伺うからだ。自分が再選するためにも。結果として、世界の大国アメリカが常任理事国の一国を務めている国連安全保障理事会も、無機能に陥った。

アメリカは1994年4月、まさに虐殺が始まる時に、国連に対して国際連合ルワンダ支援団(ルワンダの国連平和維持軍(PKO))の撤退を呼び掛けている。また、ルワンダ虐殺が起きた際、アメリカ政府は「ジェノサイド」という言葉を使うことを躊躇した。

仮にルワンダで進行中の事態を「ジェノサイド」と認める発言をしてしまうと、1948年の「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)の批准国として行動・介入する必要性が生じてくるためだ。代わりに使われた言葉は、"acts of genocide"。日本語にすると、「ジェノサイドのような行動」になるだろうか。

また、虐殺の開始当初には、ベルギーの平和維持部隊兵10名が民兵に殺害されたこともあり、国連は安保理決議912号を可決。これによって、国連平和維持部隊は2,500名から、4月21日には300名まで削減された。4月21日は、先ほど紹介したムランビ技術学校で4万5千人が殺害された日だ。

虐殺が始まってすぐにベルギー兵が殺害されたのは、たまたまではない。知っていたのだ。虐殺を主導した民兵たちは。外国人兵士を殺せば、ソマリア内戦の時と同じように、外国の邪魔者たちは撤退していくと。

なお、ビル・クリントン大統領は、ルワンダ虐殺後に「私たちが虐殺を終わらせられたとは思わないが、減らすことはできたと思う」とCNNに対して述べている。5年後に行われたインタビューでは、

「もしアメリカから平和維持軍を5000人送り込んでいれば、50万人の命を救うことができたと考えている」(引用元「山本敏晴のブログ」

とも語っている。

一国内で起きている"殺し合い"に対して、国際社会がどのような責任を負うかという議論には、とても難しいものがある。ルワンダ虐殺後には「保護する責任」や「人間の安全保障」といった国際社会の進歩が見られたものの、6年以上続くシリア内戦では既に32万人以上が亡くなっており、また自衛隊が派遣されている南スーダンでは160万人以上が難民になるなど、特に中東やアフリカでは、今なお多くの一般市民が"不条理な苦しみ"へと追いやられている(関連記事:2歳の女児をレイプ コンゴ、南スーダン...「武器」としての性暴力「政府軍に夫を拉致された」一家の主を失った南スーダン難民の女性たち)。

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紛争によって故郷を追われた南スーダン難民の子どもたちと筆者(photo by Kanta Hara)

私たちは、他国で起きている殺害、略奪、レイプ、人権侵害などに対して、どこまで責任を負い、どこまで犠牲を払えるだろうか。それらの紛争や貧困を、「どこか遠くの国の出来事」として終わらせてもよいのだろうか(関連記事:「地球市民」として-戦場で暮らすアフリカの子ども兵(少年兵)と早稲田大学に通う日本の私)。

それでも私たちは、世界を無視できるだろうか。

(原貫太公式ブログ「世界まるごと解体新書」より転載、一部修正・加筆)

関連記事

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誰だって、一度は思ったことがあるだろう。今この瞬間にも、世界には紛争や貧困で苦しんでいる人がいるのはなぜなのだろうと。その人たちのために、自分にできることはなんだろうと。

僕は、世界を無視しない大人になりたい。  --本文より抜粋

ある日突然誘拐されて兵士になり、戦場に立たされてきたウガンダの元子ども兵たち。終わりの見えない紛争によって故郷を追われ、命からがら逃れてきた南スーダンの難民たち。

様々な葛藤を抱えながらも、"世界の不条理"に挑戦する22歳の大学生がアフリカで見た、「本当の」国際支援とは。アフリカで紛争が続く背景も分かりやすく解説。今を強く生きる勇気が湧いてくる、渾身のノンフィクション。

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記事執筆者:原貫太

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