米国の外交・安保の基本は揺らいでいるのか。それには2つの見解がある。
1つは、ドナルド・トランプ米大統領の特異性に注目し、かつての強固な同盟関係が、米国第一主義によって大西洋でも太平洋でも揺らいでいるとする見方だ。
もう1つは、米国の建国の父祖たちが構築に情熱と理性とを注いだ権力の均衡の構図は、トランプのもとでもその底力を発揮しているとし、米国は揺らいでいないとの見方だ。
前者の見解を証明するものの1つは、12月18日に発表された「国家安全保障戦略」であろう。中国とロシアとを修正主義勢力と位置づけ、米国主導の秩序を脅かそうとしているとの認識を示す。また北朝鮮とイランとを「ならず者国家」と位置づけ、軍事力の強化で対応を急ぐが、同盟国にも貢献を求めるとしたのだ。
北朝鮮については「すべての対応策はテーブルにある」として、軍事的な先制攻撃も排除していない。「リトル・ロケットマン」と北朝鮮の指導者を揶揄する大統領に危うさを感じるのは、米国の同盟国ですらある。
国務長官を動かした報告書
それでは後者の立場から見て、トランプ大統領の意思決定に影響を及ぼす要因となりうるものは何か。議会人に公表データに基づいた分析を送り届け、その職責の果たし方について重要な視点を提供している米国議会図書館議会調査局(CRS:コングレショナル・リサーチ・サービス)が10月27日に発表した、「北朝鮮の核の挑戦――軍事的選択肢と米国議会にとっての争点」と題する報告書である。レックス・ティラーソン米国務長官が大統領の発言をたしなめるようにして、北朝鮮問題の外交的打開という路線を度々提示する背景には、間違いなくこの分析報告書がある、というのが私の見方だ。
この報告書は北朝鮮の保有する軍事能力について、数字を挙げながらシミュレーション結果を記述する。60ページ余りの報告書のポイントは次のくだりにある。
「北朝鮮は1分間に1万発の弾頭を打つ軍事能力を持つ」「たとえ通常弾頭であったとしても戦闘の最初の数日で3万人から30万人の犠牲者が生まれると予測される」「エスカレーションが生ずれば南北双方の犠牲者数は2500万人に達する」「在韓米国人も10万人から50万人がその内訳に入るだろう」「日本への攻撃も歴史的経緯からすれば無視できない。首都圏だけで3800万人の日本人が移住する」「ジェームズ・マティス米国防長官は、サージカル・ストライク(外科的攻撃)を行ったとすれば、現役世代が知る最も過酷な戦闘状況となろうと述べた」
公開されているこの報告書は、米国の先制攻撃により北朝鮮の軍事能力が完全に破壊されたとしても、当初の数日間に生ずる犠牲者と同盟国における被破壊状況について、その推計の幅を示したものである。
「対北朝鮮」7つの選択肢とそのリスク
この報告書を用意するにあたり、CRSは以下の7つの選択肢とそのリスクとをとりあげて検討した、としている。われわれ日本人も、米国が外交政策を考えるうえでの「幅」を知ることは重要だ。
(1)軍事的な現状維持
(2)封じ込めと抑止をさらに強化
(3)米国を脅かす弾頭運搬手段の獲得に至っていないとの認定
(4)ICBM(大陸間弾道ミサイル)の除去
(5)核能力の除去
(6)北朝鮮のレジーム・チェンジ(金正恩=キム・ジョンウン=体制の除去)
(7)米軍の朝鮮半島からの撤兵
さらに議会人は、次のような関連事項について自らの立ち位置を決めざるを得ないだろう、とCRSは予想する。
(1)北朝鮮への軍事対応に伴うリスクの量と幅
(2)軍事力の使用と米国にとっての戦略的目的達成との関連
(3)軍事力行使を正当化するか否かについての議会の対応
(4)軍事的破壊の後の朝鮮半島の復興費用発生とその負担
(5)地域的安保体制への影響、米軍駐留の意味の変化は生ずるのか
(6)朝鮮半島に反米意識の高まりがあるとすれば、他のシアター(戦闘想定地域)への影響、また非常事態が生じた場合の軍事力展開への影響
このCRS報告書は、トランプ政権の北朝鮮政策に影響を及ぼしている、と考えざるを得ない。いわば米国の民主主義制度の厚みが、大統領を教育するという側面を、われわれは観察しているのかもしれない。
そしてこうした分析報告を前提として、米国の国際政治分析者が日本に向き合おうとし始めている気配もある。それは米国が北朝鮮の核保有を前提としたうえで、厳格な相互抑止戦略の実行へと移行する蓋然性が限りなく高まっていることを意味する。
問われる日本の「対外関与」
核抑止理論の骨格についていえば、「考えられないことを考える」という、人間にとって限界のところで成立する「危うさ」を前提としている点が重苦しい。だが、こうした重苦しさが敵にも伝わっていることが、相互抑止の実効には不可欠なのだ。
これを米国と北朝鮮との間で成立すべき関係性として提示すれば、北朝鮮は許されざる敵だが、双方のコミュニケーションには万全が期されなければならないことを意味する。でないと、核の引き金に双方が触れてしまうかもしれない可能性があるからだ。ならば米朝間の国交は開かれていなければならず、いざという場合のコミュニケーション回路も確保されていなければならない。ということは、日本は米朝国交樹立という状況下で、「核化した朝鮮半島」を少なくともとりあえずは前提にせねばならない可能性が高くなったのだ。
日本での受け止め方は3つある。第1の受け止め方は、最悪の複数のケースは回避できたとするものだ。まず北朝鮮のミサイルによる日本破壊は回避できた。第2次世界大戦後はじめて「警報(Jアラート)」が発せられる状況となったが、これを外交上の課題に塗り替えることができたことへの安堵である。
続いては、米軍の東アジアへの関与の継続が確認されたことだ。CRS報告書にあるように、朝鮮半島からの米軍の撤退というケースは、論じうる程度には存在する。もしこうした展開になれば、東アジアにおける次のシアターでも、米軍撤収の可能性は高まることが考えられよう。
第2の受け止め方は、日本も核武装を、という考え方の登場である。核兵器による攻撃を受けた唯一の国家として、非核への熱い思いが根強くあるにもかかわらず、核保有を通じての安保という声が強まらない保証はない。核武装が日本外交を打開する鍵とは到底位置づけられないにもかかわらず、日本の選択の「状況化」とでも呼ぶべき事態がないとは、誰も断言できないのだ。
第3の受け止め方は、第1の安堵でもなく、第2の「状況化」でもない、構造的な外交・安保の政策づくりの必要性、切迫性の認識の広がりである。中国やロシアの動向を修正主義と呼ぶかどうかは別として、2つの巨大隣国の動向には注意深い観察が必要だ。こうした状況に朝鮮半島の核化が加われば、日本にとっての外交、安保政策は、日本の世界への関与姿勢の総体にかかわって提示されねばならないものにならざるを得ない。
明治維新からちょうど150年という節目で、日本は自らの対外関与の総体を問う、という局面に立ったといえよう。
田中直毅 国際公共政策研究センター理事長。1945年生れ。国民経済研究協会主任研究員を経て、84年より本格的に評論活動を始める。専門は国際政治・経済。2007年4月から現職。政府審議会委員を多数歴任。著書に『最後の十年 日本経済の構想』(日本経済新聞社)、『マネーが止まった』(講談社)などがある。