ちょうど今、世界的なファッションの祭典「Amazon Fashion Week TOKYO」が開催されています。そこで私たちMy Eyes Tokyoからは、今後世界に向かって大きく羽ばたいていくであろう日本人ファッションデザイナー、伴真由子さんをご紹介いたします。
文化ファッション大学院大学卒業後の2009年、企業所属のエスニック衣料デザイナーとしてキャリアをスタートさせた伴さんは、2011年に新人デザイナーの登竜門である「装苑賞」に"家族"をモチーフにした作品を出品し第2位を獲得。2015年「日常の中の衣服理想郷」をコンセプトにした自身のブランド「BANSAN」を立ち上げました。
そして伴さん曰く"ある日突然"外務省から「日本ブランド発信事業」応募への打診を受けました。仕事を通じて海外のファッション文化に接し、また2014年に国際交流基金の事業を通じて日本の若手デザイナーの代表としてニューヨークへ派遣され、バイヤーとの交流や日本ファッションの発信を行っていた伴さん。「すぐにでも行きたい!」と二つ返事で了承しました。公募の審査を経て2016年8月、約10日間にわたり南米ペルーおよびチリを訪問し、現地では日本のファッションカルチャーと、日本文化を伝える試みを実施。各国のファッション関係者に向けた講演会やワークショップを行いました。同プロジェクトで海外に派遣された若手ファッションブランドは「BANSAN」が初めてでした。
私たちMy Eyes Tokyoは、伴さんが南米で何を見てきたのか、どのように日本を伝えたのかを知りたいと思い、公開トークセッションを開催。日本のファッションが南米で受け入れられる可能性にまで、話が及びました。
撮影:土渕正則
*インタビュー@妙善寺(港区六本木)
*イベント後援:外務省
*クレジットの無い写真:伴真由子さん提供
トーク開始前、BANSAN最新コレクション(2017年秋冬コレクション)と、2017年春夏コレクションのミニファッションショーが行われました。
1人目のモデル着用服:2017年春夏コレクション「熱帯夜」より。
2人目に登場したモデル着用服:2017年秋冬コレクション「かんとりーろーど」より。
撮影:土渕正則
伴さんが岩手県を旅した際に知ったお祭り"チャグチャグ馬コ"をコレクションへと落とし込んだ。
そしてトークセッションへ。2016年8月に訪問したペルーおよびチリで、伴さんが見たこと・聞いたこと・伝えたことを、写真を交えてお聞きしました。
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撮影:土渕正則
ファッションの世界は、やはりヨーロッパが主流。だからペルーやチリと聞いても、自分の中でファッションとは結びつきませんでした。つまりファッション関係の仕事でそれらの地域に行くチャンスは滅多にありません。だから「日本ブランド発信事業」を通じた南米訪問のお話をいただいた時には「ぜひ行ってみたい!」と思いました。「BANSANのファッションを通して、南米に日本の文化を伝えたい」という思いを胸に、地球の裏側へと飛びました。
ペルー
2016年8月16日〜8月20日
東京からロサンゼルスを経由し、約20時間かけてペルーの首都リマに到着。その翌日にミニファッションショーと講演会が行われました。
講演会では「日本のものづくり」について話しましたが、その例としてBANSANブランドで作っている、瀬戸焼を使ったおみくじ形のピアスを紹介しました。その製造過程をお話したら、大変な手間をかけていることに驚かれました。
ペルーはアルパカが有名です。私が独立する前にデザイナーとして在籍していたアパレル会社は、アルパカの毛を使ったニット製品も扱っていました。そのためペルーのニット工場ともやり取りがありました。
これはアルパカの毛の仕分けをしているところです。この写真に写っている女性が一人でランクごとに毛を仕分けています。
アルパカの毛を使って織物を織っています。10センチ織るのに6時間かかるそうです。彼らの織物はこれまで紙などに記録されておらず、模様などは織る人の頭の中だけにしかありません。
この日は糸屋さんで一日中ひたすら糸を見ていました。そこは標高2〜3000メートルだったので、高山病にかかってしまいました。現地の人はコカの葉を常備しており、それを噛むことで高山病を防いでいるそうです。
ワークショップ
2016年8月19・20日
リマのファッション専門学校で2日間、ワークショップを開催させていただきました。日本の古い着物の生地を持って行き、それらを使って学生さんたちに洋服の襟を作ってもらいました。日本の着物生地を使った洋服のパーツが、彼らにどのようにデザインされるのか、私自身興味がありました。参加者の多くは女性で、少数の男性参加者もフェミニンな印象でした。
ワークショップでは日本のファッションの歴史についてもレクチャーさせていただきました。1日目は着物の歴史を縄文時代まで遡ってお話しし、2日目はコムデギャルソンやDCブランド、ギャルやロリータなど現代のファッションについて説明しました。
ペルーの学生さんたちは、日本のファッションについて良くご存知でした。中でもロリータファッションが一番好きみたいでした。
襟が完成しました。作品のクオリティはまちまちですが、彼らはプレゼンテーションがとても上手でした。私が学生の頃は、作品が全てを物語ると思っていたので、説明はあまりしませんでしたが、彼らは1つの作品に対してものすごく話を広げます。だからそこそこのクオリティでも、だんだん良い作品に見えてきました(笑)
ペルーの日本大使公邸では、BANSANの作品の展示をさせていただきました。
これはガマラという、ペルー最大の衣料問屋街にあるビルの中の様子です。すごく小さい工場が1つのビルに密集しており、それぞれの工場がアイロンがけや、Tシャツのバインダーを作るなど、1つの工程に特化しています。床に服が無造作に置かれていたり、狭い工場内で従業員がカップラーメンを食べていたりと、すごくカオスな空間ですが、このビル全体で1着の服が作れるのだと案内されました。治安はあまり良くないですが、主に北米の若手デザイナーやファッションを学ぶ学生などが、ガマラに服を発注しています。
ペルーで感じたこと
ペルーの人たちは、自分たちのアイデンティティをしっかり持っているように感じました。それはインカ帝国やマチュピチュの文化が遺っているからだと思います。そんなペルー人の若者たちは、日本文化を良く知っているという印象を受けました。ロリータやギャル、それにルーズソックスまで知っていたくらいです。
ある日の夜、私は現地の方に面白い場所に連れて行っていただきました。そこにはポケモンやドラゴンボールZなどのアニメグッズが並んでいる一方で、韓国コスメが販売されているような、まさに"新大久保+中野"のような場所でした。日本のポップカルチャーは、若者から発信されていることを感じました。
ただ一方で、ペルーとのビジネスの厳しさは昔から知っていました。最初に申し上げたように、私が独立前に在籍していた会社は、ペルーのニット製品も扱っていました。現地とやり取りをしていた部署では、届くはずの荷物が無くなったり、ニットの担当者と突然連絡が取れなくなるなどのトラブルに巻き込まれていました。また時間帯が日本とは真逆のため、連絡もスムーズには行われていませんでした。
ちなみにペルーの人たちが着ている服は、激安のノーブランドが多いです。また、ファッションを学んでいた学生の中にはアマゾン出身で、アマゾンの伝統衣装を着て学校に来ていた人もいました。
チリ
2016年8月22日〜8月25日
首都サンティアゴにある大学で、BANSANの展示やワークショップをさせていただきました。
4日間行わせていただいた展示会。中でも刺し子柄のニットの、幾何学模様の美しい柄や日本の農民たちによる手縫いで作られたという背景が、現地の人たちの関心を引きました。
ワークショップ
2016年8月23・24日
チリでもペルーと同じように、学生さんたちに着物の生地で飾り襟を作ってもらいました。約20人の学生さんが参加しました。ペルーの学生さんは、ワークショップの場では裁断せず、布をいじったり周りの人と話し合ったりし、家で作ってくる傾向がありました。一方でチリの学生さんたちは、その場でどんどん布を切っていました。
出来上がった作品を見ると、ペルーに比べてシンプルなものが多くありました。チリの学生さんのファッションの方が、ペルーの学生さんたちよりも"今っぽい"印象で、東京の若者とあまり変わらないように見えました。
チリでもペルーと同じように日本のファッションの歴史を伝えましたが、彼らはあまり日本のファッションを知らないようでした。KENZOやコムデギャルソン、イッセイミヤケは、それらの服がチリでは流通していないので、名前は知っていてもどんなデザインかは知らないという感じでした。
チリの若者たちが着ているものは主にH&MやZARA 、FOREVER21などのファストファッションです。彼らは年間15着の服を買いますが、1着3000円程度。ハイブランドが普及しにくい地域だと思いました。
先住民族が遺したもの
「チリになる前のチリ」がテーマの展示会に行きました。現在のチリ人のルーツは、チリを侵略したスペイン人。チリの土地に古くからいた先住民族は殺されてしまいました。この展示会では、そのような先住民族たちが作った品々を展示していました。侵略されて先住民族が滅ぼされるという歴史を、日本人はあまり意識することが無いので、日本にいたままでは抱くことのない感覚を覚えました。
装飾品を作るのを得意とする"マプチェ族"という先住民族がいます。彼らは文字を持たず、言葉だけで装飾品の作り方を語り継いでいきました。ただ、元々身分が低い部族だったので、装飾品を売って生活したり、都市部に出て来てもお手伝いさんなどの仕事に甘んじるしかなかったそうです。そんな実状に触れ、私は"豊かさ"の意味を考えずにはいられませんでした。
馬の毛に色をつけたものを編んでアクセサリーを作り、道端で売って生計を立てているおばあちゃんと仲良くなりました。
チリ在住の日本人デザイナーである箱崎さんという女性にお会いしました。箱崎さんは着物のリメイクをしており、その縫製を全て任せているのがこの写真の女性です。
チリで感じたこと
チリ人はペルー人に比べて、自らのアイデンティティをあまり意識していないように感じました。それは先住民族が一掃されたために、チリ人のルーツが遠いスペインにあるからだと思います。だからか、チリ人は「どうせ私たちなんて・・・」とか「チリなんて、何も無いよね」などと口にする、自虐的な傾向がありました。実際にモノ作りは発達しておらず、ペルーなどからモノを輸入する状況です。一方でチリは資源や原料で経済が成り立っています。
そんなチリの人たちの、スペインに対する感情を聞いてみたら「恨みはない。むしろスペインのおかげで今の自分たちが存在していると思っている」と、感謝に近い感情を抱いているようでした。
チリは様々な面で「遠い国」でした。全体的に現地では、日本のことはほとんど知られていない印象です。街には日本車を少し見かける程度で多くはアメリカ車ですし、流通している商品の多くはアメリカやブラジル、アルゼンチンからのもの。だから"Made in Japan"と"高品質"というイメージが、人々の中で結びついていない印象でした。
ファッションに関してはヨーロッパの影響が強いと思います。人々のファッションはペルーよりも洗練されていました。ただし地元のセレクトショップなどに聞くと、自国のデザイナーはまだ育成段階とのことでした。
そのセレクトショップからは「あなたの服を、ここのハンガーラックに置いても良いですよ」と言われましたが、そのためにはお金を支払う必要がありました。商品が売れたらその分はデザイナーに還元されますが、その前にデザイナーが場所代を負担しなければならず、デザイナーにとってかなり不利な状況。これでは新しいものを作るための資金を確保できません。それに季節が日本とは真逆で、同じ国でも北と南で気候が全く異なり、人口規模も日本の約4分の1のチリで、ハンガーラック代を支払ってまで日本のブランドをセレクトショップで販売するのは、かなりリスクが高いと思います。おそらくユニクロくらい大きな企業が現地に行かない限り、それらを覆すほどの"革命"を起こすのは難しいと思います。
撮影:土渕正則
今回私が見た、地球の裏側で巻き起こっているファッション事情が何らかの形で、今後デザインや使う素材に反映されることがあるかもしれません。
私自身で言えば、もっとBANSANの服を皆さんに着ていただけるように邁進します。今、日本にはハイブランドからファストファッションまであらゆるブランドがあるので、その中で自分のブランドを際立たせて売っていくのはとても難しいことだと思います。ですが、洋服という日常に欠かすことの出来ないアイテムの楽しさや、それを身につけることで感じる嬉しさを一人でも多くの方に、BANSANを通して伝えていきたいです。
今後海外を視野に入れるなら、やはりヨーロッパです。ファッションの本場、フランスやイタリアなどにBANSANを紹介できたらいいなと思いますね。
撮影:土渕正則
伴さん関連リンク
BANSAN:bansan.tokyo
外務省 日本ブランド発信事業:www.mofa.go.jp/mofaj/p_pd/pds/page22_001100.html
(2017年7月19日「My Eyes Tokyo」より転載)