前のブログ【甘利問題、検察捜査のポイントと見通し①(あっせん利得処罰法違反)】に続き、甘利問題についての犯罪の成否に関して、刑法のあっせん収賄罪(197条の4、懲役5年以下)を中心に考えてみることとしたい。
あっせん収賄罪は、「公務員が請託を受け,他の公務員に職務上不正な行為をさせるように,又は相当の行為をさせないようにあっせんをすること又はしたことの報酬として」賄賂を収受、要求又は約束した場合等に成立する。
甘利氏及びその秘書をめぐる問題については、国会議員である甘利氏だけではなく、甘利氏の公設秘書、政策秘書も特別職国家公務員なので、あっせん収賄罪の主体の「公務員」に当たる。
あっせんを受ける客体も「公務員」でなければならないが、国土交通省の職員はもちろん、UR職員も、都市再生機構法10条に「みなし公務員規定」があるので、「公務員」に該当する。
甘利氏の秘書が、A案件(2013年5月に、建設会社側の依頼を受けた甘利事務所が介入した後に、同年8月に約2億2000万円の補償金が支払われた案件)とB案件(URの工事によって建設会社所有の土地のコンクリートに亀裂が入ったことに関して、建設会社がURに産廃処理費用として数十億円の補償を行うことを要求した案件)について、URへの働きかけを依頼されて、金銭を受け取ったことは、週刊文春の記事からも、また、甘利氏が記者会見で認めているところからも間違いないようである。
そこで、あっせん収賄罪が成立するか否かは、「他の公務員に職務上不正な行為をさせるように,又は相当の行為をさせないように」請託を受けた(依頼された)と認められるか否かにかかっているということになる。
あっせん利得処罰法違反(「あっせん利得罪」懲役3年以下)と比較すると、あっせんの対象となる職務行為については、あっせん利得罪では「契約」「行政処分」に関するものに限定されているが、あっせん収賄罪では、公務員の職務行為はすべて含まれる。また、あっせんの態様について、あっせん利得罪では「職務上の権限に基づく影響力を行使した」ことが要件とされているが、あっせん収賄罪ではあっせんの態様は制限されていない。
唯一、あっせん収賄罪が、あっせん利得罪より成立要件が厳しいのが、あっせんの対象となる職務行為が「不正」なものであること、つまり、公務員として本来行うべきでないことをやる、又は、行うべきであることをやらないことをあっせんした場合に限られている点である。この点が、かつては、あっせん収賄罪の立件の最大のハードルであった。
公務員の職務行為には、多くの場合、何らかの「裁量の幅」がある。「裁量の範囲内で、できるだけ有利に取り計らうこと」は「不正」ではなく、「裁量の範囲を超えた職務行為」が「不正」に当たると考えられてきたからだ。
公務員に、裁量の範囲を超えた「不正」を行うことを要求しても、一般的には、応じるとは考えられないし、そのようなことを公務員に依頼して、その対価としての賄賂を渡すということも、考えにくい。
そのため、あっせん収賄罪は、昭和33年の刑法改正により新設されて以降、適用事例は、1968年の日通汚職事件の1件だけで、「事実上死文化した贈収賄規定」だという見方が一般的だった。
その常識を覆して、あっせん収賄罪を適用して国会議員を逮捕・起訴したのが、1994年、宗像紀夫特捜部長率いる東京地検特捜部が取り組んだ、「ゼネコン汚職事件」の終着点となった中村喜四郎衆議院議員の事件だった。
ゼネコン汚職事件での「特捜の暴走」
東京地検特捜部が、93年7月の仙台市長逮捕を皮切りに、地方自治体の公共工事発注をめぐるゼネコンから首長への贈収賄事件を次々と立件していったのが、いわゆる「ゼネコン汚職事件」だ。捜査着手当初から、「中央政界の国会議員への波及」が社会の最大の関心事となり、そうした中で、検察のストーリーに沿う供述調書に署名させるための暴力的・威迫的取調べが横行していた。そんな中、他地検から特捜部の捜査の応援に入っていた検事が参考人に暴行を加え,全治3週間のけがを負わせる特別公務員暴行凌虐事件も発生した。
そして、ダム工事の受注に関してゼネコンから1000万円を受け取った疑いで元自民党幹事長の大物政治家の逮捕寸前まで行ったが、贈賄を自白していたゼネコン担当者が、賄賂資金を横領していたことが発覚して、捜査は行き詰まった(【検察が危ない】ベスト新書:2010年)。この事件を題材にしたフィクションが、私が「由良秀之」のペンネームで書いた推理小説【司法記者】(講談社文庫)である。(2014年の【WOWOWドラマWシリーズ「トクソウ」】でドラマ化された。)
それでも、宗像部長率いる特捜部は、中央政界への事件の波及に拘り続けた。挙句の果てに、ほとんど無理筋だと思われたあっせん収賄事件を立件して「中央政界への波及」を果たしたのが、元建設大臣の中村議員の事件だった。当時、自民党は、結党後初めて政権を失い、細川連立政権下にあったときのことである。
事件の中央政界への波及の終着点としての「あっせん収賄事件」
この事件は、まさに「特捜検察の暴走」を象徴する事件だった。中村議員が、ゼネコン側からの依頼を受けて、公正取引委員会が調査していた埼玉土曜会談合事件について、検察への刑事告発を見送るよう、当時の梅沢節男公取委委員長に働きかけ、その報酬として1000万円を受け取ったとされた事件だった。中村議員は、依頼を受けたり、梅沢委員長に働きかけたりはしていないと一貫して否認し、ゼネコン幹部も、告発見送りの働きかけの依頼をしたことを否認し、その点についての証拠は梅沢委員長の証言しかなかった。
その埼玉土曜会談合事件を、公取委の中で、検察からの出向で担当したのが私であった。私は、事件の調査の状況も、告発見送りの経過も熟知していた。その後、公取委の出向勤務を終え、東京地検特捜部に所属した私は、公取委での経験から、特捜部が立件しようとしていた中村議員の事件の検察のストーリー自体に無理があることを具体的に指摘し、談合事件の調査経緯等に関する上申書も主任検事に提出していた。
そもそも、この事件の刑事告発を目指していた公取委の前に立ちはだかり、「絶対に告発をさせない」という姿勢で臨んだのは、当の検察だった。「60社を超える企業の談合事件で、膨大な人員と労力がかかる(上、それをやったからと言って、公取委が主体の事件であって検察の手柄になるわけではない)」というのが、その驚くべき理由だ。そんな事件に関して、検察が、中村議員の「告発見送りの働きかけ」を不正行為ととらえるのは、全くのお門違いだということは、前掲【検察が危ない】でも述べた。また、近著【告発の正義】(ちくま新書:2015年)では、私自身の公取委での体験に基づき、梅沢委員長が、かなり早い段階で告発見送りを決めていたことも書いた。
しかし、それ以上に大きな問題は、仮に、中村議員が、ゼネコン側から依頼されて、梅沢委員長に、埼玉土曜会の告発を見送るように働きかけた事実があったとしても、「職務上相当の行為をさせない」という「不正のあっせん」とは言えないのではないかという点だった。
刑事告発を行うか否かについて、公取委は、裁量権を持っている。もし、公取委側に、何とか告発をしないでほしいと要請するとしても、通常であれば、「公取委の裁量の範囲で、告発をしないように取り計らってくれ」という趣旨の依頼にとどまり、「裁量を逸脱して不正に告発を見送ってくれ」ということまで頼んだりはしないであろう。
そのような常識的な見方からは、あっせん収賄罪を立証することは困難と判断するのが当然だ。しかし、ゼネコン汚職事件の捜査の過程で、いくつもの国会議員の事件が浮かんだものの立件できるようなものはなく、元幹事長の事件の立件も断念せざるを得なかった特捜部にとって、中村議員の事件が「残る唯一の国会議員の事件」だった。NHKニュースで、立件断念が報じられたりもしたが、特捜部は立件に拘った。
そして、昭和42年の関谷勝利議員以来、27年ぶりという「国会議員の逮捕許諾請求」で、世の中を騒然とさせた末に行われたのが、中村議員の逮捕だった。
「職務上不正な行為のあっせん」については、ゼネコン幹部から、「告発すべきものと思料される場合であっても公取委が告発をしないように働きかけてもらいたい」と依頼されて梅沢委員長に働きかけたという「ストーリー」が組み立てられた。告発すべき事件を告発しないのは、公取委の裁量を超えた「職務上不正な行為」に当たるという理屈だった。
私が指摘していたその事件のストーリーへの違和感も、主任検事宛てに提出していた上申書も無視された結果の逮捕であった。
有罪にするために裁判所がとった「職務上不正な行為」の解釈
当時、ゼネコン汚職事件の捜査を指揮した特捜部長が、現在内閣官房参与を務める宗像紀夫氏、副部長が、現プロ野球コミッショナーの熊崎勝彦氏だ。
元建設大臣という大物国会議員を逮捕・起訴したことで、ゼネコン汚職事件は、マスコミや世間の期待どおり、「中央政界の政治家への波及」という華々しい成果を挙げて終結し、当時の特捜部の幹部にとって大きな成果・実績となった。しかし、検察内部では、この事件で、26年ぶりに適用されたあっせん収賄罪で、果たして有罪判決が得られるのか、疑問視する見方は少なくなかった。
中村議員は、梅沢委員長に告発見送りを働きかけたことを一貫して否認し、法律上も、あっせん収賄罪が成立する余地がないことを争い、無罪を主張し続けたが、一審、二審とも有罪とされ、最高裁で上告が棄却されて、実刑判決が確定した。
検察が世の中から拍手喝采を浴びて国会議員を逮捕・起訴したような事件で、裁判所が検察の判断を否定することはほとんどない。いくら無理筋の事件であっても、いったん特捜部が、国会の逮捕許諾まで得て国会議員を起訴した事件で、無罪判決を出すことは、裁判所にとって余程抵抗があることだったのであろう。
しかし、裁判所は「告発すべき案件であっても告発しないように働きかけた」という検察のストーリーは採用しなかった。それとは別の構成で「職務上不正な行為のあっせん」を認定したのである。
2003年1月14日に出された上告審判決では、公務員が、請託を受けて、公正取引委員会が同法違反の疑いをもって調査中の審査事件について、同委員会の委員長に対し、これを告発しないように働き掛けることは、同委員会の裁量判断に不当な影響を及ぼし、適正に行使されるべき同委員会の告発及び調査に関する権限の行使をゆがめようとするものであるから、刑法197条ノ4にいう「職務上相当ノ行為ヲ為サザラシム可ク」あっせんすることに当たるとの判断が示された。
つまり、検察のストーリーは「告発すべきものであっても、告発しないように」というあっせんだったが、「告発すべきであったか否か」は問題にせず、「調査中の審査事件」について告発しないように働きかけたこと自体が「不正」だとしたのだ。
「調査中の事件について告発をするか否か」は、本来、公正取引委員会の「裁量の範囲内」である。それに対して、「調査中の事件を告発しないように働きかける」というのが、「職務上不正な行為をさせるように,又は相当の行為をさせないようにあっせんをする」に当たるということになると、「公務員の裁量の範囲内の行為に対して働きかけをして介入した場合」でも、あっせん収賄罪が成立することになる。
この事件では、「職務上不正な行為」という成立要件との関係で、あっせん収賄事件を立件することは困難であったのに、当時の検察の判断で無理やり起訴が行われ、従来の常識的な解釈からは不正の認定は困難だったのに、裁判所は、無理やり「有罪の結論」を導いた。
結果として、あっせん収賄罪の「職務上不正な行為」の要件は、大幅に緩和されることになったのである。
甘利問題へのあっせん収賄罪の適用の可能性
「公務員の裁量の範囲内の行為への介入」であっても「職務上不正な行為」に当たるという中村議員事件の最高裁判例を前提にすると、あっせん収賄罪の適用のハードルは大幅に下がることになる。そうすると、むしろ、法定刑の重いあっせん収賄罪の方が、その後立法化されたあっせん利得罪より、適用が容易になったと見ることすらできる。
このようなあっせん収賄罪をめぐる過去の動きを踏まえて、甘利氏の問題について、今後の捜査の見通しと、同罪の適用の見通しを考えてみよう。
【甘利問題、検察捜査のポイントと見通し①(あっせん利得処罰法違反)】でも述べたように、A案件で、URが甘利事務所が介入した後に、すんなりと短期間のうちに約2億2000万円の補償金を支払ったのは、UR側にとって、その支払が「裁量の範囲内の行為」だったからだと考えられる。一方、B案件については、そのような影響力を持つ甘利氏側からの要請があっても、URは補償金の支払に応じなかった。それは、その支払に応じることが、UR側の裁量の範囲を超えていて、応じると「職務上不正な行為」を行ったことになるからだと思われる。
そうすると、少なくとも、B案件については、お金が支払われなくても犯罪は成立することから、甘利氏の秘書が、建設会社側から、UR側に対して「職務上不正な行為を行うようあっせん」を行い、その報酬として金銭を受け取った、ということで、あっせん収賄罪が成立する可能性が高い。
そればかりか、2億2000万円の補償金が支払われたA案件についても、中村喜四郎事件で「同委員会の裁量判断に不当な影響を及ぼし、適正に行使されるべき同委員会の告発及び調査に関する権限の行使をゆがめようとするもの」という理由であっせん収賄罪の成立を認めた最高裁判決を前提にすると、あっせん収賄罪が成立すると判断する余地が十分にある。
URの補償金支払が、何らかの基準に基づいて行われたとしても、そこには、UR側の裁量の余地があるはずだ。甘利事務所側の介入を、URの「裁量判断に不当な影響を及ぼし、適正に行使されるべきURの補償金の金額決定をゆがめようとするもの」ととらえれば、「職務上不正な行為」のあっせんに当たると見ることもできる。
そして、甘利氏本人についても、URに対して何らかの働きかけをしていれば、「職務上不正な行為のあっせん」と認められる可能性があるし、秘書からURへの働きかけについて報告を受けていれば、自ら50万円の現金を2回受け取った行為についても、あっせん収賄罪が成立する可能性がある。
【甘利問題、検察捜査のポイントと見通し①(あっせん利得処罰法違反)】でも述べたように、「あっせん利得罪」の公訴時効は3年であり、A案件については、今年8月20日に公訴時効が完成する。しかし、「あっせん収賄罪」は、法定刑が「5年以下の懲役」であることから、公訴時効期間も「あっせん利得罪」より長く、5年である。A案件についても、公訴時効完成までにはまだ2年以上の期間がある(もっとも、贈賄側の時効は3年である。)。
これまで、甘利問題については、「あっせん利得罪」の適用ばかりに注目が集まってきたが、既に明らかになっているA、B両案件をめぐる事実関係からすれば、むしろ、「あっせん収賄罪」の方が、立証できる可能性が高いように思われるし、公訴時効までの期間にも十分な余裕がある。
「特捜の暴走」の副産物としてのあっせん収賄判例をどう活用するか
元建設大臣中村喜四郎議員のあっせん収賄事件は、ゼネコン汚職事件捜査が「中央政界へ波及」して終結したという意味では「終着点」となったが、一方で、ひるむことなく突き進みさえすれば、事件がいかに無理筋であっても、ストーリーどおりの供述調書をとるためいかに不当な取調べを行っても、手段は問われず、咎められることはない、ということを示す前例となり、その後の「特捜の暴走」の原点ともなった。
そして、その結末が、大阪地検の証拠改ざん事件、陸山会事件での捜査報告書改ざん事件などの不祥事による検察の信頼失墜であった。
原点となったゼネコン汚職事件での「特捜の暴走」の副産物となったのが、中村議員のあっせん収賄事件の最高裁判例であり、それは、あっせん収賄という犯罪の性格そのものを大きく変えてしまいかねない程、大きな意味を持つものだった。
そして、一連の検察不祥事の後、特捜部が初めて手掛けた本格的な政治家の事件が甘利氏とその秘書をめぐる問題である。旧来のような不当なストーリー、不当な取調べによる捜査ではなく、適正な捜査を着実に行っていくことで、与党有力政治家と資産12兆円にも上る独立行政法人との歪んだ関係を背景にした事件の真相に迫る、まさに、特捜再生のための格好の事件が今回の事件である。
ゼネコン汚職事件当時の特捜部長で、現在、内閣官房参与でもある宗像紀夫弁護士は、東京地検特捜部が強制捜査に入った後も、あっせん利得罪の成否について消極見解を述べ続けているが、それが明らかに誤っていることは、【甘利問題、今なお消極見解を述べる宗像紀夫弁護士・内閣官房参与】で述べたとおりだ。
甘利問題でのあっせん収賄罪の適用の可能性について、宗像弁護士の見解を聞いてみたいものである。特捜部長として捜査を指揮し起訴した事件の「副産物」と言える最高裁判例を無視することはできないであろう。
この最高裁判例をどう活用するかということも含めて、甘利問題を、あっせん収賄罪の成否という視点から、改めて考えてみる必要がある。