アマルフィの起源は、紀元前300年頃にローマ人が築いた小さな町にさかのぼる。平地が少なく農業に適さないため、早くから海に進出し生活の基盤を海洋貿易に求めた。
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イタリア南部、サレルノ湾に面した人口5300人の小都市、アマルフィ。切り立った崖にしがみつくようにして、ベージュや薄茶色のパステルカラーの住宅やホテルがびっしりと建てられている。細い坂道の両側には商店や住宅がひしめきあい、200メートルも歩くと険しい岩山が視界をさえぎる。細いわき道に入って階段を上がっていくと、まるでミツバチの巣箱のようなアパートが、路地の奥に続いている。まるでアラブの迷宮に迷い込んだかのようである。

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サレルノ湾を望むアマルフィの庭園。交通の便が悪いこともあり、知る人ぞ知るイタリアの隠れ里だ。(筆者撮影)

アマルフィの起源は、紀元前300年頃にローマ人が小さな町を築いた時にさかのぼる。平地が少なく農業に適していないことから、アマルフィの市民たちは早くから海に進出し生活の基盤を海洋貿易に求めた。この町は6世紀頃からビザンチン帝国に支配されていたが、その経済力のゆえに自治を許されていた。

アマルフィは9世紀に共和国として独立。846年にローマがイスラム教徒であるサラセン人に脅かされると、アマルフィの市民たちは船団を送りナポリなど他の都市と協力して、オスティアの海戦でサラセン軍を撃退した。

これ以降アマルフィは、ジェノヴァ、ピサ、ベネチアとともに、4大海洋共和国の1つと呼ばれるようになる。10世紀になるとアマルフィの商人たちはコルドバ、カイロ、コンスタンティノープルにまで足を延ばし、これらの都市に貿易の拠点となる商館を建設した。アマルフィはアラブ地域と欧州の間の通商の重要な中継基地として、栄えたのである。

アマルフィ共和国は独自の貨幣を鋳造したほか、周辺のラヴェッロなどの諸都市も傘下に入れ、人口は5万人に膨れ上がった。中世の都市国家としては相当の規模である。またアマルフィ共和国は重要な造船所を持つ港町として、地中海全体で有名になったほか、イタリアで最初の海事関連法規(タブラ・アマルフィターナ)を定めた国としても知られている。

だがアマルフィの繁栄は長く続かなかった。同市は1073年にノルマン人(北欧のバイキング)に占領されたほか、12世紀にピサ共和国との戦いに敗れて支配され自治権を失った。同市は16世紀にナポリ王国の一部に編入されたが、当時は船以外に他の地域へ行くための交通手段がなかったために、衰退の一途をたどった。

観光客がアイスクリームをなめながら闊歩する今日のアマルフィには、当時の栄華を思い起こさせるものはあまり残っていない。町の中心部の、高い石段の上にそびえ立つ大聖堂は、かつての繁栄を偲ばせる数少ない痕跡の一つである。

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アマルフィの大聖堂の偉容は、この町のかつての繁栄を偲ばせる。(筆者撮影)

殉教者聖アンドレアスの名前を付けられたこの教会は、11世紀の末、アマルフィが海運国として絶頂期にあった時に建立された。当時の町は、アラブ地域と欧州の間を行き来して貿易を行う商人たちで、さぞ賑わっていたことであろう。

アンドレアス聖堂の壁には、白と黒の石が交互に使われて縞模様を形作っている。そして聖堂を取り巻く回廊のアーチと支柱が、美しいリズムを織り成している。縞模様のアーチと柱は、椰子の木を連想させる。これはスペインのコルドバにある、イスラム寺院を改装したキリスト教会にも見られる建築様式だ。900年前のアマルフィはイスラム諸国と密接な交易関係にあったため、アラブ風の建築様式がこの町にも流れ込んできたのであろう。

当時地中海の諸都市に向けて船出したアマルフィの商人たちは、港から町を振り返りアンドレアス聖堂の鐘楼を見ながら、旅の無事を祈ったに違いない。

もう一つ、往時の繁栄を偲ばせるのが、手漉きの紙である。この町には手漉きの紙で作ったカードや封筒を売る店が多い。

アマルフィはヨーロッパで最初に紙の大量生産を始めた町の一つだった。1枚1枚手で漉かれる紙は、独特の風合いを持つ。アマルフィに紙の製法を最初に伝えたのはアラブ人である。商業活動が盛んになるにつれて、契約書や公文書のための紙への需要が急増した。紙の方が羊皮紙よりも扱いが簡単で、安価だったのである。

当時町に小川が流れていたことも、製紙業に適していた。13世紀頃から紙を作る工房が増え始め、「アマルフィ紙」はイタリア全土で有名になった。バチカンのローマ教皇庁からも引き合いがあったという。現在では1軒の工房が残るのみだが、この町の手漉き紙はヨーロッパ全体で珍重されている。紙のはじが不規則に裁断されたアマルフィ紙は、日本の手漉き和紙を思い起こさせた。

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思わず吸い込まれるような、紺碧のサレルノ湾。ユーロ危機とは無縁な、ゆっくりとした時間が流れる。(筆者撮影)

保険毎日新聞連載コラムに加筆の上転載

(文と写真・ミュンヘン在住 熊谷 徹)筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de