6月1日、フランス厚生省(社会問題・健康省)はプレスリリース(※1)を発表。「現在、アルツハイマー病の治療のために使われている薬(※2)を、8月1日より医療保険のカバーから外す」としました。
今回、対象となった薬は、アルツハイマー病で認知症になった人の症状の進行を抑制するものとして、日本でも広く使われています。もちろん医療保険でカバーされ、必要な人は1割~3割程度を自己負担すれば手に入れることができます。
もし医療保険から外れると、手に入れるには全額が自己負担となり、本人が支払うお金が高額になります。
アルツハイマー病による認知症になった人にとって、薬が使えるかどうかというのは深刻な問題です。なぜ今回、フランスでは「医療保険から外す」という結論に至ったのか。その背景を探りました。
アルツハイマー病治療薬のメリットの証拠は不十分?
フランスには2005年に設立されたHAS(高等保健機構)という公的な組織があり、医療保険でカバーする薬や医療技術などの臨床効果を評価しています。
いちど医療保険でカバーが認められた薬でも、その後、実際に使ってみると思ったような効果が出なかったような場合には、カバーを外すべきだと勧告することもあります。
2016年10月、HASはアルツハイマー病治療薬の臨床的な有用性に関する検討結果を公表(※3)しました。
世界中でこれまでに発表された研究を調べた結果、薬を使うことで施設への入所を遅らせたり、病気が重症化するのを抑制できたりなどの「良い影響」を示す証拠は十分ではないと指摘。
その一方で、消化器系や循環器系などへの有害事象は無視できないとして、これらの薬を「医療保険でカバーするのは適切ではない」と勧告しました。
そして、冒頭の厚生省による決定につながったわけです。
効果があるはずなのに、証拠が不十分ってどういうこと?
現在、国内でアルツハイマー病の治療薬として用いられている薬の添付文書には「本剤がアルツハイマー型認知症の病態そのものの進行を抑制するという成績は得られていない」と断り書きがされています。
いま使われている治療薬には、アルツハイマー病の進行を遅らせる効果は確認されておらず、病気によって衰えてしまった神経細胞の働きを手助けすることで、記憶力などが落ち込むのを一時的に緩やかにすることを目指しています。
実際に過去の臨床試験では、薬を適切な人が適切なタイミングで使えば、認知機能を調べるテストの低下を一時的に抑えられる、ということが示されています。そこで日本はもちろん世界中で、アルツハイマー病による認知症の治療に用いられているわけです。
ただ、薬を使うそもそもの「目的」を考えてみると、多くの人にとってはおそらく「テストの結果を良くすること」ではありませんよね。
それより、ご本人の日々の生活の質が高まったり、施設に入所せずに自立してすごせる期間が長くなったりするなどの「良い影響」への期待が大きいように思われます。
フランスHASは、それらの良い影響があるかどうかを検討した研究を色々と調べた結果、現時点での証拠は「不十分」であると判断したということのようです。
薬からケアへ 舵を切ったフランス
冒頭で示したフランス厚生省のプレスリリースでは、今回の結論にいたった理由として「市民の健康を守り、患者さんの統合されたケアを推進するため」だとしています。
それに続けて、認知症への対策として重視している点の例として次のものを挙げています。
※かかりつけ医(medecins generalistes)の役割の強化 (注)
認知症を抱える人を診察し、自宅での生活の質を高めるためのケアを行う時間を確保
※介護者の負担の軽減
認知症を抱える人を介護する人へのサポートや、レスパイトケア施設の拡充
※アルツハイマー病特別チーム(ESA・Les Equipes Specialisees Alzheimer)の充実(注)
認知症を抱える人が急に病気になった場合などに対応する特別チームを全国に設置
『今回の決定は、現在、治療薬に使われているリソース(薬剤費など)を、より優先的に対策が必要と考えられる部分に投じるために行った』
プレスリリースからは、そんなメッセージが受け取れます。
なおリリースでは、いまだアルツハイマー病の根本的な治療法は見つかっていないことから、より良い治療技術の開発に向けた研究への投資は引き続き行うとしています。
限られた資源 どこに配分するか?
今回の決定はあくまでフランスで行われたもので、日本の状況に適用できるかはわかりません。
念のため強調しますが、このニュースを受けて、いまアルツハイマー病の治療薬を服用中のかたが自己判断で中断することは絶対に避けてください。薬を使うべきかどうかは個別の状況によって判断されることで、一概に服用すべきかしないべきかを言うことはできません。
ただ日本における、抗認知症薬の処方実態について調査(※4)を行った奥村泰之氏(東京都医学総合研究所・主席研究員)によると、日本でアルツハイマー病などの認知症治療薬に使われているお金は年間1500億円以上にのぼります。
さらに85歳以上の超高齢者への処方が半分ほどを占めており「超高齢者への処方は、有効性・安全性の検討が十分になされておらず、有害事象を考慮したうえで慎重に処方されているか疑問を感じざるを得ない(奥村氏)」とも指摘されています。
アルツハイマー病などによる認知症に関しては、根本的な治療薬の開発が相次いで失敗するなど薬剤開発が難航する一方で、認知症を抱える人の生活環境や周囲の対応を工夫することで、生活の質が高まったり、自立して暮らせる期間が伸びることがわかってきました。
いま認知症への対策は、過去の「薬でなんとかする」という考え方から、薬はあくまで一つの手段と位置づけ、認知症を抱える人をつつむ環境全体を整えることで対策していこうとする形に世界的に変わってきています。
今回のフランスの決定は、その潮流のひとつの現れといえるかもしれません。
【注】Yahoo!Japanのシステムの都合上、フランス語で「e」の上に付記される発音記号が記載できず、省略しています。
※1 フランス厚生省プレスリリース
※2 対象となったのは「ドネペジル」「ガランタミン」「リバスチグミン」「メマンチン」
※3 Haute Autorite de sante COMMISSION DE LA TRANSPARENCE Avis 19 octobre 2016(注)
Okumura Y et al. Int J Geriatr Psychiatry. 2018 May 20. doi: 10.1002
(参考文献)
※間違いだらけのHTA17 フランスの認知症治療薬騒動
五十嵐中 医療経済 2016年12月1日号 20-21
※健保連ホームページ
(2018年6月5日Yahoo個人より転載)