人間はスマホやネットを手放したら「強いつながり」を取り戻せるのか――シェリー・タークルの改心 その3

いまの人々は、いくつもの「自分」を持ってバーチャルであれリアルであれ世界を自由に駆け巡っているどころか、他人を信ずることができず、他人との関わりを最小限にとどめながら、もっぱらロボットに愛や癒しの対象を求めようとするようになっている。
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いまの人々は、いくつもの「自分」を持ってバーチャルであれリアルであれ世界を自由に駆け巡っているどころか、他人を信ずることができず、他人との関わりを最小限にとどめながら、もっぱらロボットに愛や癒しの対象を求めようとするようになっている。

精神分析家のシェリー・タークルは、このような光景に慄然として、「本当にそれでいいのか」と問い掛ける。私たちは、「知性」や「感情」を、人間固有の特性としてではなく、コンピュータこそが十全に持てる特性とみなすことで、自分たち自身を「もの」のレベルに貶めてしまったのではないか。そうした私たちがもっている愛や信頼、癒しや介護へのニーズを、ロボットの方が人間よりもよりよく満たしてくれるとすれば、そもそも私たちがこの世界に存在している理由はなくなってしまうのではないか。私たちは、事態がまだそこまでは進んでいない今こそ、立ち止まって反省し、生身の人間のレベルに立ちもどると同時に、人間同士の間の、また人間と技術との間の、望ましい関係を取り戻さなくてはならない。私たちの愛や信頼は、何よりもまず人間に向けられなくてはならない。育児や家事、介護のサービスも、ロボットに完全にゆだねてしまうのではなく、それらを人間の仕事として残し、機械はその補助手段に留めておかなくてはならない。

タークルのこうした反省や問いかけには、確かに一理がある。私も共感する面がなくはない。しかし同時に疑問もわいてくる。私たちは、いまここで立ち止まって引き返せば、元に戻れるものだろうか。スマホ依存になることでやっとなんとか保たれている、それこそ紙のように薄い人間同士の繋がりを、スマホやネットを手放すことで思い切って絶ち切れば、失われて久しい「強いつながり」が復活するのだろうか。ロボットへの愛情や一体感を捨てれば、人間同士の温かくて深い愛情や信頼が復活するのだろうか。私にはどうもそのようには思えない。

むしろ私たちは、ロボットをより積極的に愛情やケアの対象とし、ロボットとのつながりをますます深めていくことで、逆説的にいえば人間に裏切られることをそれほど恐れることなしに、あるいは時に裏切られることがあってもそれほど深く傷つくことなしに、人間同士のつながりを維持していくばかりか、さらに深めてさえいくことが可能になるのではないだろうか。あるいは、近い将来ロボットと「結婚」しようとしはじめるのは、若者よりもむしろ高齢者ではないだろうか。高齢者は、介護ロボットと「結婚」することによって、強いつながりの下にある生きた人間からの配慮や愛情を、よりリアルで貴重なものとして受け止めることができるようになるのではないだろうか。

今年傘寿を迎えた私には、十年後、二十年後の未来の情報社会の姿を直接観察して確かめることは、もはやかなうまい。そういうわけで、以上は私の単なる老いの繰り言に過ぎない。しかし、いまの若い世代の人々が、とりわけタークルによるインタビューの対象とはなっていなかった日本の若い世代の人々が、彼女の診断や「改心」にどう反応するかは、大いに興味がある。近著『ウェブ社会のゆくえ』(NHKブックス、2013)の中で、タークルと一面ではよく似た分析を展開している社会学者の鈴木謙介さんの意見も、ぜひ訊いてみたいものだ。