映画『ヒトラーへの285枚の葉書』より
第二次大戦下のドイツでヒトラーやナチス政権を批判する葉書を街中に置いて回った実在の夫婦を描いた映画「ヒトラーへの285枚の葉書」が、 7月8日から全国で順次公開される。慎ましい生活を営み、どの組織にも所属していない労働者階級の夫婦が主人公で、これまでのレジスタンス(抵抗運動)を描いた映画とは趣を異にしている。
ナチス政権に迫害されたドイツ人作家ハンス・ファラダが1947年に発表した実話を元にした小説『ベルリンに一人死す』が原作。特別な知識や力を何ひとつ持たない一般市民が、ペンと葉書だけを武器に命がけの抵抗運動に身を投じていくストーリーだ。
メガホンを取ったのは、スイス出身のヴァンサン・ペレーズ監督。女優のジャクリーン・ビセットやカルラ・ブルーニ(サルコジ元フランス大統領の妻)らと浮名を流し、カトリーヌ・ドヌーヴとも共演した美男俳優の出身だ。ペレーズ監督がこのほど来日してハフポスト日本版の取材に応じ、「1人1人の声は小さいかもしれないが、まとまれば、それこそが未来を変えられる」と話した。
あらすじ 1940年6月、戦勝ムードに沸くベルリンで質素に暮らす労働者階級の夫婦オットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のもとに一通の封書が届く。それは最愛のひとり息子ハンスが戦死したという残酷な知らせだった。心のよりどころを失った2人は悲しみのどん底に沈むが、ある日、ペンを握り締めたオットーは「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」と怒りのメッセージをポストカードに記し、それをそっと街中に置いた。ささやかな活動を繰り返すことで魂が解放されるのを感じる2人。だが、それを嗅ぎ付けたゲシュタポ(秘密警察)の猛捜査が夫婦に迫りつつあった——。
インタビューに答えるヴァンサン・ペレーズ監督=東京・銀座
——まず、この映画を作ったきっかけはなんですか。
舞台となったのは1940年代ですが、この時代の一般の人々に惹きつけられました。ナチス政権下で人々がお互いに密告し、壁の向こうにスパイがいるかもしれない時代でした。
私の父親はスペイン出身で、祖父は共和国軍のためにスペイン内戦でフランコ将軍のファシスト政権と戦い、処刑されました。私の母はドイツ人でナチスから逃れて国外へ脱出しました。原作『ベルリンに一人死す』に私の家族や個人史が重なりました。しかし映画化するまでには時間がかかり、構想してから撮影に入るまでに8年かかりました。
当時のドイツではすべてが壊され、多くの私の親類も亡くなりました。だから、この作品は私の家族をたどる映画でもあります。制作過程でいろんなことを知りました。親類の中に誰一人としてナチス党員がいないことが分かりました。叔父の一人はロシアの戦線で殺されました。精神科病院に入っていた大叔父は試験的なガス室で殺されました。こうした精神科病院やガス室を僕は訪ねました。映画を作りながら、先祖の声を聞いているような感じがしました。
——構想からどうして時間がかかったんですか。
ドイツ人ではない自分がナチス・ドイツの時代を描いた映画を手がけたという理由があります。原作は1946年に出されたのですが、2010年になってようやく英語版が出版され、それを受けて映画化しました。原作を読み、特に主人公オットーとアンナの夫婦と、ゲシュタポのエッシェリヒ警部との物語に引かれました。
私にはスペインの血が流れていることもあり、自分のアイデンティティーについて考える機会が多くありました。フランスに長い間住んでいてフランス人のようだと言われることも多いですし、一方で生まれ育ったスイスの人間と言われることもあります。これまで、自分の中に揺らぎや葛藤がありました。
映画制作でドイツ方の先祖に声を与えることができ、ドイツ人の血が流れている自分と正面から向き合うことができました。歴史と自分との関係をクリアにすることができたんです。自分という人間がこの経験によって変化しました。
——ナチスをどう見ていますか。
過去を忘れるべきではないと思っています。「第三帝国」(ナチスの支配体制)は極端な考え方が台頭する危険な場所でした。そのことについて映画化し、みんなで議論をしないといけません。そして誰でも闘うことができる、そして闘うには勇気が必要になると示すことが大切なんです。
主人公のオットーが劇中で言います。「砂は一つ一つは小さいが、まとまれば砂が噛んでモーターが止まるように、ナチスに不具合を与えるかもしれない」と、自分がやっている葉書について例えます。それは、アメリカのオバマ前大統領が離任の時に言ったことに呼応します。1人1人の声は小さいかもしれないが、まとまれば、それこそが未来を変えるかもしれないということです。
——ドイツが舞台ですが、英語の映画です。これはどんな評判を受けていますか。
正直、ドイツでの反応は厳しいものもありました。一方、フランスはそんなに悪くはないと言った感じでしょうか。イスラエルやオーストラリアの反響はよかったです。アメリカは劇場ではなくビデオ・オン・デマンドですが、大ヒットしました。
——作品では、密告や監視について描いています。日本では「共謀罪」の趣旨を盛りこんだ改正組織的犯罪処罰法が成立しました。日本人にはどこを見てほしいと思いますか。
この作品は現代の人々に響くと思います。明確な回答はできませんが、民主主義は監視や極右といったものの上には立ちません。人々は自由であるべきです。もちろん、悪いことをしようとしている人は罪に問われないといけませんが、言論の自由は必ず確保されないといけないことです。
——ところでフランスは新しくマクロン氏を大統領に迎えました。
マスコミの政治報道は変わらないといけないと思っています。大統領選では、(中道右派の有力政党)共和党の候補フィヨンを潰そうとするスキャンダル報道が何カ月にも渡って続いたと思っています。どうしてそんなことにエネルギーを使わないといけなかったのか。マスコミが彼をボロボロにしたんです。その一方で、右翼・国民戦線(FN)のルペンはマスコミに守られ、決選投票にまで残ったと言えないでしょうか。どうしてマスコミは右翼を支持したのでしょうか。国が必要としてる本質的な話が欠けていたと思っています。
インタビューに答えるヴァンサン・ペレーズ監督=東京・銀座
ヴァンサン・ペレーズ 1964年、スイス・ローザンヌ生まれ。ジュネーヴのコンセルヴァトワールで演劇を学び、1986年に、パリの国立高等演劇学校に移り、巨匠パトリス・シェローに師事した。役者として、ジャン=ポール・ラプノー(『シラノ・ド・ベルジュラック』)や、パトリス・シェロー(『王妃マルゴ』)などの偉大な映画製作者たちと仕事をし、甘いマスクで世界中の女性ファンを魅了した。27歳の時に短編映画で監督デビューし、2002年に初の長編映画『天使の肌』を監督した。
監督:ヴァンサン・ペレーズ
出演:エマ・トンプソン(「ハワーズ・エンド」でアカデミー賞主演女優賞)、ブレンダン・グリーソン(「未来を花束にして」)、ダニエル・ブリュール(「グッバイ・レーニン!」)、ミカエル・パーシュブラント、モニーク・ショメット
2016年/独・仏・英/英語/103分/原題:Jeder stirbt für sich allein
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