アルビノが目立つ見た目で感じる「見られている」という見えない圧は消えること無く常にある

「街でアルビノの人を見かけた場合、どうしたら良いですか?」

「街でアルビノの人を見かけた場合、どうしたら良いですか?」

「見た目問題」解決NPO法人マイフェイス・マイスタイルで講演活動をさせてもらっていた頃、頻繁に質問された。

僕はなるべく冗談ぽく、そしてできるだけわかりやすく、答えていた。

「見てしまうものは見てしまうと思います。

 僕も、ステキな巨乳の女性を見かけたら、やっぱりチラッと見ちゃいます。

 その先に、見られた人がどう感じるかを想像するのが解決策かな、って思います。」

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Harumasa Togashi

目立つ見た目で感じる「見られている」という意識は、本人の人格形成に、大いに影響するんじゃないか。

これは、生まれつきのものと、自ら選択したものとではまったく違って。

例えば黒い髪の毛を派手な色に染めたり、奇抜な色合いや形の服装をして"目立とうとして目立つ"行為は、何もしなければ誰からも見られていないかのような普通に対するコンプレックスなのだとすると。

生まれつきのアルビノや、標準というあいまいな範囲ではない体つき、もしかしたら加齢による薄毛や肌の調子も...、何もしていないのに誰かから見られているような、普通ではないことに対するコンプレックスになるんじゃないだろうか。

どこかのテレビのインタビューで外国人が「日本人はハゲを隠しすぎてますよね、なんで?」なんて話していた。「自分の国ではみんなハゲてるから気にならないし隠してないよ」って。

見た目に関する「普通」とは、本当にあいまいで、特に日本人は多くの人が黒髪であることが普通とされる世界だったから、生まれてからずっと髪が白い日本人のアルビノは「普通じゃない存在」と思うのが自然だし、逆に普通じゃないことをしようと思えば髪を派手な色に染めるという選択をするのも自然な気がする。

最近では、僕に対してもよく「アルビノだから何なの」という旨のコメントを寄せていただくので、日本でも緩やかに、見た目の多様性を受け入れる空気が拡がってきたのかな、とも思うけれど。

やはり、僕らの中にはまだ、この目立つ見た目で感じる「見られている」という見えない圧が、消えること無く常にある。

自意識過剰だとか言われることも多いし、もしかしたら本当にそうなのかも知れないけれど。

人格形成上、生まれつき目立つことを自分で認識した時から、この感覚とは向き合い続けるしか無いし、と今の僕は思っている。

ストレスなのかどうかすら、わからない。このアルビノの人生では、目立つことが、見られることが普通なのだから。

小さな頃から「ドコソコで見たよ」という報告のようなものを耳にすることが多かった。

ただ道を歩いてるだけでも目立つんだな、と自覚しはじめてからの僕は、どこかで誰かに見られている気がする、と思うようになった。

少し大きくなってから、隠れてサボってた僕はことごとく見つけ出された。一緒にいた友だちは人波にまぎれて逃げ切っていた。

なんとなく抱いていた感覚は確信に変わっていった。何もして無くても目立つのだから、悪いことなんて出来るわけがない。必ず誰かに見られている。

目立たない普通の人が、だんだんと「自分のことなんか人はそんなに見てないもんだ」と感じていく時期に、僕らは「思ってる以上に人から見られているんだ」と感じていく。

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今でも飲み屋で楽しく飲んでいて、ふと、隣の席から視線を感じることは当たり前で。

もしかしたらこちらの声がデカすぎるのか、話題がヒドすぎるのかでチラリと見られているのかも知れない。

そもそも見られることが完全に普通な僕は、ああ見られてるんだな、としか思わないけれど。

その空間を共有している僕の飲み相手が「(隣席にもほんのり聞こえるくらいの声量で)粕谷さんすげえ見られてますね」なんてイタズラをしてみると、相手がハッとして「あの、髪がキレイでつい...」と自白(?)してくることも多々ある。

(そこからアルビノについて話して少し盛り上がることも...稀にある)

それがもう当たり前な人生なのだ。というか、いちいちソコに気を病んでいたらアルビノなんて生きづらくてしょうがない。

この、何もして無くても見られるということを、どのようにかして自分の中に受け入れないと、生きてくことに不条理を感じてしまうじゃない。

だからいつしか僕は、楽しく生きていく術として[見た目が目立つんだから見られて当然じゃん]と理解することを選んだ。

アイドルやうたのおにいさんじゃないけれど。どこかで誰かが見ているだろうと思って、行動には注意している。

車や人が見当たらなくても赤信号は渡らないし、酔っ払ってフラフラでも立ちションはしない。そもそもしなくて良いんだけど。

電車ではなるべく女性の背後には行かないし、同じ方向に道を歩く女性からは距離を取る。目立つから、あらぬ疑いを被らないように。

目立たないことが普通の人が気にしていないような些細なこと。

それを僕らは、目立つ見た目で感じる「見られている」という見えない圧として、常日頃から抱いて、行動を選びながら生きていく。