1――難しい技術の評価
科学・技術の問題が経済や社会にどのような影響を与えるかという問題は、どう取り扱うか難しいものだ。例えばAI(人工知能)の発達はこれからの社会に大きな影響を及ぼすのは確実で重要な問題だが、どれくらいの速度でどのような影響が出てくるのかを考えるためには技術の理解が必要で、技術専門家ではないエコノミストには悩ましい問題だ。
AIが発達していけば、工場での生産活動や流通、販売のあらゆる領域で人間のしていることを機械がするようになり、さまざまな雇用問題が発生することは明らかだ。しかし、AIが登場する以前から新しい技術が雇用問題を引き起こすということは繰り返されてきた。
楽観的な見方をすれば、ATMが導入されたことによって銀行の窓口で顧客対応を行っていた銀行員が大幅に減ったり、自動改札機の導入で切符を切ったり集めたりする駅員がいなくなったということと、起こることは本質的には同じだ。
一方悲観的に考えると、AIの発達によって仕事が機械に代替されるという現象はこれまでとは比較にならない規模と速度で起こるので、同じような問題でも社会に与える影響の質が全く変わってしまう可能性がある。
2――過大評価のバイアス
技術の専門家ではない我々が、AIの進歩について知見を得るには、マスコミの報道や書籍、WEBの情報に頼ることになるが、こうした情報にはバイアスがある可能性にも注意が必要だろう。
アルファ碁が世界最強といわれる囲碁棋士を破ったというニュースは世界を震撼させた。今後人間がコンピュータに勝つのは難しいだろうとも言われている。
人工知能に関する日本の研究者のプロジェクトでも、「コンピュータが小説を書いた」、「AIが大学入試センター試験の模試で、高得点を取った」といった報道には驚かされた。こうしたこともあってAIの進歩でどのような仕事が無くなるかといった記事は巷にあふれている。
しかし、プロジェクトに直接かかわった人達が書いた書籍や記事を読むと、ニュースの報道では正確には我々に伝わっていないところがあるのは明らかで、現時点でAIがどれくらいのことができるのかについて、我々の誤認や誤解も少なくないようだ。
そもそも耳目を驚かすようなことだけがニュースとして取り上げられるので、AIを過大評価する方向のバイアスがかかりやすいのは確かだ。コンピュータが小説を書いたという報道は間違いではないが、これには人間の力が大きな役割を果たしていてコンピュータが小説を次々に発表するようになるには道のりは遠そうだ。
東ロボ君プロジェクトとして有名になったセンター試験の問題を解くプロジェクトでも、リーダー自身は近い将来に東大に合格できるようなロボットを作ることはできないだろうと言っている。
ディープラーニングは画期的な技術で、長年の経験で知識を積み重ねるという方法では人間が機械に勝てない分野も出てきたが、この技術でできることは人間が行っている仕事の一部に過ぎない。
これからもいくつかの画期的な方法が考案されていくに違いないが、機械が人間を全く必要としないという時代が来るまでには、まだかなりの時間があるようだ。
3――AIとの共存
少なくとも今生きている世代は、進歩していくAIや機械とどう共存していくかということが主要な課題であろう。
社会としては、AIの進歩でそれまで従事していた作業が無くなって仕事を失った人達をどのようにしてスムースに、より労働の需要の多い分野に移動させていくかが重要だ。
教育によって誰もが高度な専門性を身に付けることができるわけではなく、AIをうまく使いこなす人は大きな利益を得る一方で、AIを使った機械との激しい競争に直面した人達の生活が圧迫されるなど、所得格差が深刻化する恐れがあるので格差問題への対応は欠かせないだろう。
これまで低賃金だった仕事でも人間が行うことへの需要の高いものには高い賃金を払うという社会の価値観の変化も必要になるに違いない。
少し前には、コンピュータは詰碁や詰将棋など全ての場合を調べ尽くすことができる部分的な問題の解決が得意で、全体を見て優勢か不利か形勢判断することは難しいと言われていた。人間は論理的に考えるという機能ではコンピュータにかなわないので、感性や直感を磨いて行くべきだという意見を見かけた。
しかし、深層学習(ディープラーニング)を使ったアルファ碁は、部分的な問題の解決よりも、全体的な判断の方が得意だとコメントしているプロ棋士もいる。個人はAIが苦手な領域の能力を磨けばよいはずだが、技術がどのように進歩していくのかを予測することは専門家でも難しいだろう。
学校教育で必要なことは、特定の知識を身につけることではなく、どうやって知識を学ぶかというやり方を身につけることだといわれることがあるのは、変化に柔軟に対応する能力がより重要になっていくという意味だろう。
囲碁や将棋は目的とすることがはっきりしているが、我々が現実に直面する問題では、何を目的とすればよいのかは不明確で、様々な結果が予想されるときに、どれが好ましいのか判然としないことの方が多い。
どういうことをすればどのような結果が起こるのかを予想することは機械がやって、人間はどのようなことが望ましいのかという問題を考えるようになるというのも一つの可能性ではないだろうか。
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(2018年6月29日「エコノミストの眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
経済研究部 専務理事 エグゼクティブ・フェロー