「お母さん、私もKoreansって大嫌いだよ!」
と、学校へ迎えに行った私に、顔を真っ赤にして鼻をぶんぶん震わせて、当時8歳だった娘が言いました。
これは、今から13年くらい前の2002年頃のことでしょうか。家族で赴任していた南部アフリカの小さな国、マラウィの首都リロングウェで英国系のインターナショナルスクールに通う娘ショウコが経験したことです。
幼い頃から真っ直ぐで、どんな環境にも笑顔で飛び込んで行くショウコのこの言葉。何があったのかを聞くと、こんな出来事を話してくれました。
「今日ね、リセス(休み時間)の時ね、Junsuが皆の前でね、"I don't like Shoko because she is Japanese(ショウコ嫌い、日本人だから!). Japanese people kill many Koreans!(日本人たくさんの韓国人・朝鮮人を殺すんだ) って言うんだよ。ショウコはね、頭に来たから、"That's not true!(そんなこと本当じゃない!) We don't kill Koreans! (韓国・朝鮮の人のこと殺したりしていない!) You are a liar!"(嘘つき!) って言ってやったの !」
これを聞いて、茫然としてしまいました。
私とこのJunsuのお母さん、マーサは、私たちがマラウィに着任したばかりの頃、リロングウェの町のことを親切に教えてくれた恩人。その頃も、一緒にいろいろな活動をすることが多い間柄で、家族で食事を呼んだり呼ばれたり、ということもしている仲だったのです。
とにかく、ショウコには遅ればせながら、日本がした戦争のこと、日本の軍隊が韓国や中国でした残虐な行為、戦争というものが、どんな時代であろうとも、何処の国が関係していようと、どんなに非人間的な行為であること、などを静かにゆっくり言い聞かせました。
マラウィという土地で、自分の幼い娘にこんなことを必要に迫られて説明するとは想像もしていなかった私も甘かったのです。
次の日、彼女の通う学校の図書館に戦争関係の子ども向けの本を探しに行きましたが、なかなか思ったような本は見つかりませんでした。そこで、その時は、「木陰の家の小人たち」を読み聞かせました。ショウコも5歳上のカンジも静かに何晩かかけて展開されていく物語に聞き入っていました。
戦争は国と国とが争う、"ケンカ" だ、という事実にショウコも気がつきました。
8歳の頃のショウコ
さて、この話をどうして今書いているかと言うと、安倍首相の70年談話を読めば読むほど気になることがあるからです。
安倍首相の戦後70年談話のこの部分を読んでください。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年 のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私は、いろいろな面でこの談話には納得しない部分があるのですが、特に、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という考え方にどうしても賛成できないのです。
確かに、親として、自分の子どもが冒頭の出来事のように、一方的に攻撃されるのを嬉しく思ったりはしません。
が、私はそれでも、私たちが日本人であることで何らかの恩恵を蒙っているのであれば、先の日本が引き起こした戦争への謝罪を繰り返しし続けていくのは必要なことではないか、と考えます。
すべての日本の子どもにこれをもちろん押し付けるつもりはありません。
しかし、日本政府機関の一部に従事する人間の家族として滞在していたマラウィでこういう経験をしたわが子には、やはり、歴史の厳粛な事実を教え、自分たちが憤りを持つ相手は、目の前で自分を非難する友人ではなく、戦争を起こした日本なのだ、という私の考えを伝えました。
そして、日本から遠く離れたアフリカのこんな場所で、小学生の子どもに、戦争で被ったであろうその傷をまだ忘れずに、"怒り"として、日本人の子どもを巻き込むその家族へも思いを馳せました。
きっと、私などが想像できる以上の経験を家族のどなたかがされたんだろう、と思います。それでも、私たちを家に呼んでくれたり、親切にしてくれたり、とお付き合いしてもらっていました。
表と裏とで違うことを言ったり、やったりしている、という意見もあるでしょう。でも、私は、家の中でリラックスしている状態で、自分が心に思っている本音を家族にポロリとこぼすことはとっても自然なことだと思うのです。
マラウィに来たばかりの日本人一家に親切にしながらも、つい本音では、戦争のことを話してしまった。それを子どもがそのまま学校でその日本人の子どもに伝えた、ということだと思うのです。
ショウコの反応はもちろんこうでした。
「変だよ!だって、私はJunsuに何もしていないよ!!ショウコは戦争だってしていないよ!」
8歳の子どもの反応として、これは当然のことだと思いました。
でも、ショウコには、例え自分が直接危害や攻撃をしなくても、同じように"加害者"となる場合があることを説明しました。
例えば、いじめ。
彼女には、いじめられている人がいて、それを見ながら何もしなかったら、自分もそのいじめをしているのと同じなんだよ、ということをよく話していたので、この"いじめ"ということをもう一回説明した時に、はっという顔になりました。
戦争をしていないショウコは全然悪くない、でも、ショウコは日本人で、Junsuは韓国人で、日本は韓国にいたたくさんの人に戦争中ひどいことをした。それをまだ許せない人がいる。ショウコはここまで理解しました。
8歳の子どもにはこれで十分だと思いました。
ただ、私はその時ショウコに、Junsuに日本人として、先の戦争で甚大なる被害を韓国・朝鮮の人にかけたことを謝らなくちゃいけない、とは言いませんでした。彼女には、二人の言い争いの"時制"が間違っていることを指摘し、今は日本と韓国では戦争もしていなければ、殺し合いもしていないことを伝えました。
私は、自分では、先の戦争で被害にあった方たちには、謝罪を続けるのは当然だと思っています。ただ、この時のショウコにはそれを求めたり、強制したりはしませんでした。
なぜならそれは、この "謝る" という行為は、彼女がもう少し大人になってから自分で決めることだと思ったからです。年代が上がるに連れ、彼女も自分の知識として、戦争のことを学び考える時期が訪れます。その時に、母である私の立場も理解するでしょう。
私が謝罪を続けるべきだ、と考えることと、彼女にその謝罪を強制するのはまた筋の違うことだと思ったのです。
村上春樹氏は、2015年4月17日東京新聞とのインタビュー【時代と歴史と物語】の中で、「相手国から『十分に謝ったのだからもういいよ』と言われるまで、謝り続けるしかないのではないか」と述べています。
私の信条はこれに一致します。
お詫びって、いくら自分たちの口からそのことについて謝罪を繰り返しても、相手に伝わらなかったら、何もなりません。それに、心から謝りたい、という気持ちのない謝りほど空々しいものはありません。
子どもたちに、"謝罪を続ける宿命"を負わせるのではなく、歴史を直視し、「自分たちは謝罪を相手から、「もういいですよ」と言われるまで続けるべきだろう」という強靭な精神が子どもたちに根付いたらいいな、と思うのです。
積極的に平和を求めるとは、このくらいの度量がなくては今世界で起きている様々な対立に立ち向かうことはできないのではないでしょうか。
私は歴史の事実に謙虚でいたい、と思います。これを自虐的、とは呼びませんし、呼ばれたくもありません。
南アフリカに住んで、多文化の人々の中で生活する私にとって、歴史に、文化に、そして人々の異なる感情に謙虚になることは、自分がこの地で心穏やかに生きていく上で、大切なことなのだと思っています。
(2015年10月3日「空の続きはアフリカ」より転載)