映画「永遠の0」レビュー、空気の支配に抗う男を描くことができたのか

色々と微妙な国際情勢の中、永遠の0が大ヒットしています。僕も見てきました。その題材から政治的論争に巻き込まれやすそうな(今なら特にそうかも)作品ですが、積極的にそれを推奨するような言説は出来るだけ避けたい所です。
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色々と微妙な国際情勢の中、永遠の0が大ヒットしています。僕も見てきました。その題材から政治的論争に巻き込まれやすそうな(今なら特にそうかも)作品ですが、積極的にそれを推奨するような言説は出来るだけ避けたい所です。(避けたところで、文化も政治と完全に切り離すことができるものではありませんが)

祖母が寿命で亡くなり、その折に祖父が自分の本当の祖父ではないことを知った姉弟が、本当の祖父は特攻で亡くなったことを知り、彼がどんな人物だったのかを訪ねて歩く、そして本当の祖父、宮部久蔵が海軍一の臆病者と呼ばれていたこと、そして凄腕のパイロットだったことを知る。そして宮部の家族への思いから絶対に死にたくなかったにも関わらず、特攻に志願した真相を探る、という内容。原作は未読ですが、読んだ方いわくほぼ忠実に映画化されているとのこと。映画オリジナルパートは、井上真央絡みの岡田准一と染谷翔太のパートくらいらしい。(あと現代パートの合コンのシーンも改変されてるよう)

ここに描かれる宮部久蔵は、当時合理的な計算に基づく計算よりも精神論が幅をきかせていた軍部において、きちんとした冷静な計算のもと、生き残るために戦略を立てられる人物です。その姿勢ゆえに軍で臆病者呼ばわりされてしまうのですが、日々の鍛錬を欠かさず、機体の整備も人一倍入念(それ故、整備班からも嫌われている)。戦略上、当然のことが当然のこととしてまかり通らない「空気」が支配していた時代に、宮部はこの映画の中で、その空気に抗う存在です。

作品全体としては、ゼロ戦の空中戦は非常にカッコ良く描かれており、日本の実写のアクションシーンも随分進化したな、と思う一方でほとんど台詞で説明してしまう「過剰な」親切ぶりのおかげで朗読劇のような印象を受けます。三丁目の夕日の山崎貴監督の泣かせようとする演出はいつも通り。

宮部久蔵の生き残るための合理的思考の源泉は、「お国のため」ではなく、徹底的に家族への思いです。映画では妻と娘のパートを増やしているので、そこをさらに強調する方向に舵を切っていると思われます。反対にその同僚や上官たちは宮部がこの作品の無謀さを述べたりすると、臆病者と嘲笑したり殴ったりします。国のためにと思考停止をして、犠牲を賛美すべきではない、という図式にこの映画自体は立っていると言えます。

空気に飲まれず、冷静な戦況判断と無駄死にを避けるための思考こそが、宮部というキャラクターを語る上で重要なポイントですが、そうしたキャラクターを描くにあたって監督は、専ら泣かせようという意図で演出をしています。情緒や雰囲気に飲まれず、しっかりと状況判断することの大切さを知っている人物を描くのに、なぜこんなにも情緒に流されるような演出ばかり仕掛けるのが疑問がありますが、好戦的な空気に決して飲まれてはいけず、常に犠牲を最小限に留めるための思考を止めず行動することこそが、本来重要なポイントとなのではと思います。(教官として赴任した際、特攻させられる学徒に「可」をださず「不可」にし続け、出撃させないようにはからうなど)

しかし、作品全体をそこを強調する感じではなく、この映画を見る観客に対して、思考させることを促すよりもひたすら泣かせようとしてきます。泣けないと売れないのかもしれませんが、なぜこういう選択を?

そういう冷静な人間が、ただ一度激昂するのは、部下が命を捨てても構わないというような発言をするシーン。こういうシーンの熱さを強調するためにこそ、宮部の普段の冷静さの重要さをもっとしっかりと描いてもいいのではないかと思います。原作では人知れず宮部が訓練を行っている描写がもっとあったようですが、そのクールな分析で戦況を打開したみたいなエピソードはないのかな。

家族への強い愛情を核に秘めた冷静な思考と判断能力。それが表層的な情緒や空気に流されない秘訣。これがもっと伝わるとよかった。しかしエピソードの端々から読み取ることは可能でしょう。

もう1つ重要な点かもしれないと思ったのは、生き残った大石(現代パートの姉弟の育ての祖父)が生き残ったのは零戦の故障が理由だったという点。(故障機に乗ることになった経緯はネタバレなので書けない)零戦がすごかったから助かったのではなく、故障したから助かったってことなんですね。単純な零戦賛美ではないことが伺えるのですが、でもなぜタイトルは永遠の0なのだろう。永遠なのは零戦ではなく、家族と未来への想いの方だと思うのですが。

しかし、現代パートはなぜあんなにも説明台詞だらけなのだろう。原作もそのように書かれているからと工夫なくそれを映画でなぞったら退屈になってしまうので、もう少し観客を信頼して映像で語ってみてはいかがでしょう。

あと合コンのシーンの必要性がよくわからない。祖父の秘密を探している姉弟の弟が、同級生と高級レストランで合コンするのですが、司法浪人である彼以外は全員パリッとしたスーツ。そこで特攻にかんして口論になるシーンですが、あれで激昂してしまう彼は宮部久蔵の冷静さとは対照的ですね。

こちらの方のブログを読む限りではどうも原作の同シーンとは随分違うテイストのようですが。