ADHDと診断されて「たすけて」が言えるように。"親子で発達障害"の現実、漫画家モンズースーさんが語る

「うちの子、なんかよその子と違う?」
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モンズースー

「うちの子、なんかよその子と違う?」

手をつながない、人と目を合わさない、癇癪が激しい、言葉が遅い……。漫画家・モンズースーさんの子どもが発達の遅れを診断されたのは1歳8カ月の頃だった。それから「発達障害」について調べ、モンズースーさん自身にも障害があることに気づいてADHD(注意欠陥多動性障害)と診断される。

親子で発達障害という現実にショックを受けつつも、悩みの原因が明確になって「今まで言えなかった“たすけて”が言えるようになった」とモンズースーさん。絶望と希望の間で前を向き生きていく日々を漫画で連載したブログ「生きづらいと思ったら親子で発達障害でした」はアメブロ総合1位を獲得、コミックエッセイとして書籍化されるなど大きな反響を呼んだ。

現在、二人のお子さんに療育を受けさせながら、ブログで漫画の連載を続けるモンズースーさんに、漫画『生きづらいと思ったら親子で発達障害でした』(KADOKAWA/メディアファクトリー)を描いた当時のことを振り返ってもらい、自分とお子さんたちの発達障害とどのように向き合ってきたのか話を聞いた。

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(c)モンズースー/KADOKAWA

■子どもの特徴が個性なのか発達障害なのか、親が見分けるのは難しい。

——小さい子どもは多かれ少なかれ手がかかるので、モンズースーさんのように、「この子の個性なの? それとも自分のせいなの?」と不安を募らせた経験があるママは多いと思います。それだけに、親が自分の子どもの発達障害を疑ったり見分けたりするのはなかなか難しいですね。

そうですね。しかも長男は、0歳の頃はよく寝てくれて育てやすかったんです。でも1歳をすぎた頃から癇癪がひどくなり、おっぱいに執着するようになり、夜泣きもひどいときは6時間ぐらい続いたりで、どんどん大変になっていきました。でも「このぐらいの月齢の子どもってこういうものなのかな。今だけならしょうがないな」と思えば我慢できたんです。

息が詰まりそうになることもありましたけど、介護の仕事に復帰して保育園に入れたので、なんとか耐えられたところもあります。子どもの癇癪がひどいと周りの人も声をかけてこないので、それもむしろ気が楽だった。

ただ、保育園という集団生活の中で気になったことはありました。たとえば、みんな一緒に遊んでるのにうちの子はいつも一人で遊んでいるとか、夜泣きが激しいから昼寝が長くて他の子とリズムが違うとか。でも保育士さんから特に注意やアドバイスはなかったので、そういう子なのかなという感じで問題視することはありませんでした。

——長男の発達の遅れが気になったのは1歳半健診のときですね。他の子が絵本を読んだり、二語文をしゃべってたりしている様子をみて「うちの子と違う?」と。

長男はいろんなことにこだわりが強くて、私と手をつなぎたがらず、目を合わせるのも嫌がったので、ずっと気になってはいました。母子手帳の成長と発達段階をチェックするシートも、できることとできないことがそれぞれあってグラフが凸凹になったので「大丈夫かな?」と。でも身近な人でそういうことを気軽に相談できる人はいませんでした。

——お子さんの健診のとき、理解を示すどころか虐待扱いするひどい医師もいれば、親身になって話を聞いてくれる保健師さんもいますね。発達の遅れを診断されたのを機に探しはじめた病院や施設もさまざまで、親の分析力、行動力、判断力も重要だと思いました。

発達障害の情報はだいぶ増えましたけど、相談窓口や施設は情報公開していないところも多いんですね。結局、探すのは親なんです。でも私は、長男の発達の遅れを診断されて「療育」という言葉を知ったとき、「現状を変えられるなら試してみたい。息子に合った支援があるなら受けさせたい」と思ったので、いろんな相談会に話を聞きに言ったりネットで探したりして支援施設や病院に何カ所か足を運びました。

そのなかでわかったことは、住んでいる地域の病院、自治体によって対応も内容もまったく異なることです。私の経験ではあまり行政は力になってくれませんでした。療育施設の人も理解がある人ばかりではないですし、療育のリハビリ内容が子どもに合うかどうかも体験させてみないとわからない。

それでもあきらめずに探し続けて、何カ所目かで訪れた病院で「言語発達遅滞」と診断してくれた先生が、はじめてちゃんと話を聞いてくれる信頼できる先生だったんです。その先生が紹介してくれた女性の言語聴覚士さんも、息子の「言語リハビリ」を上手に進めてくれたおかげで、少しずつ希望を持つことができました。

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(c)モンズースー/KADOKAWA

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(c)モンズースー/KADOKAWA

■ADHDと診断されてはじめて自分に合ったカテゴリーを見つけられた

——ご自身も長男の発達障害について調べているうちにADHDを自覚されます。二人目を出産後、はっきりと診断を受けて薬で治せることは治したいと前向きに考えるようになったのは、お子さんのためでもあったのでしょうか。

最初、自分がADHDだとわかったとき、子どもに障害が遺伝したんだと自分を責めたこともありました。でもはっきりとした診断名が子どもの頃から感じていた違和感や生きづらさの原因だとわかって、自分に合ったカテゴリーをはじめて見つけたような気持ちになって楽になれたんですね。はじめて「たすけて」が言えるようになりました。

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(c)モンズースー/KADOKAWA

これがもし思春期だったら、自分がADHDであることを受け入れられたかどうかわかりません。ちゃんと支援してくれる人がいればいいですけど、診断されただけだと「あなたは普通の人と違います」というレッテルを貼られて終わりだと思うので。

社会人でADHDと診断された場合、支援を受ける場所が少ないので、仕事や社会生活に支障をきたすような場合は薬を服用して改善できることもあります。私の場合は、頭の中がテレビがいっぱいついているようにざわついて集中できないことがあって、薬を飲むと頭の中のザワザワが消えて静かになるという話も聞いたことがあります。ミスや物忘れもありましたが、薬がなくてもADHDだと自覚して意識することで、ある程度は自分で症状を防げるようになりました。

——療育支援施設に通う子どもたちの親御さんたちと、情報交換したり悩みを共有することはありますか?

情報交換をすることはよくありますが、悩みは中々共有できませんね、皆それぞれ特性が違うので悩みも違うと思うんです。それに発達障害児のママにも色々なママがいます。

自分の子の発達障害を認めたがらないママもいますし、逆に療育にこだわりすぎて施設だけで子どもを囲ってしまうママもいます。以前、おじいちゃんおばあちゃんが怒鳴り込んできた話を聞いたこともあります。「うちの孫は発達障害なんかないから支援も必要ない。そういう人間をうちの家系から出したくない」と言っていたそうです。

自分の子どもに療育支援を受けさせるかどうかは親の判断にかかっているので、将来的に定型(発達者)の方と接する機会が増えたとき、その経験がポジティブな方向に進むかネガティブな方向に進むかは、そのときになってみないとわかりません。

それでも自分の子どもに支援を受けさせて「これでいいんだ」と親が納得するためには、自分のなかで折り合いをつけないといけません。もちろんその後も悩んだり迷ったり子どもの成長と共に状況も変化するので、私が知っているケースでも療育施設から普通の園や学校に進んだり、その逆のパターンもあります。

■支援施設か普通の学校か、迷い悩み続けても決断するのは親

——モンズースーさんは今のところどういう選択肢を考えているんですか?

上の子は療育を受けられる幼稚園に通っていて、公立の小学校に入れるかどうか考えているところです。下の子は運動面と言葉の面で遅れがあって療育を受けさせていましたが、癇癪はひどくないので今は公立の保育園に通わせています。来年は普通の幼稚園も検討していますが、まだどうするかわからないですね。

子どもの特性って、親と子が1対1でいるとなかなか見えてこなくて、第三者の何気ないひと言で気がつくことが多いんですね。親はどうしても自分の思い込みで考えてしまうところがあるので、それ以外のことに気づきにくいんです。それに自分だけで考えていると追い詰められてしまうので。

ですから私はすべてを自分で抱え込まずに支援を受ける一方で、両親が住む家の近くに引っ越して、よく助けを求めて甘えるようになりました。祖父母の存在も子どもたちにはすごくいい影響になっているみたいで、思い切って引っ越してよかったなと思っています。

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(c)モンズースー/KADOKAWA

——単行本のラストに出てくる「私たちは 生きづらいけど 生きられるから」という言葉は、発達障害に関わらずさまざまな問題で悩んでいる親子が救われる言葉だと思いました。

人に迷惑をかける行動だけは、親の責任でやめさせないといけません。でもその他の子どものこだわりや個性は認めて、好きなようにさせてあげるようにしているんです。たとえ何かができなくて最低限だとしても、健康で幸せを感じられたらそれでいいと思って。

ブログに自分たち親子のことを描いたことで、「よくぞ描いてくれました」、「今まで言えなかったことを代弁してくれた」、「私だけじゃなかった」という感想をたくさんいただきました。私も苦しい時、同じような経験をしている人が書いたものが力になったので、今もし自分や子どもの発達障害で苦しんでいる人がいたら「私も一緒だよ!」と言いたいです。

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『生きづらいと思ったら親子で発達障害でした』より

(取材・文 樺山美夏

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