スライスするアベノミクス

"一億総活躍”というスローガン。耳に心地良いし、日頃とかく見過ごされやすい子育て中の母親や介護家族に焦点を当てることはそれなりに望ましい福祉ではある。だが…
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Japanese Prime Minister Shinzo Abe explains about
ASSOCIATED PRESS

前回のエッセイで、2015年6月に発表された第三次成長戦略は、第二次成長戦略の取り組みをまったくふまえず、その構成は2013年の第一次成長戦略とほぼ同様で、内容はむしろ退化していることを指摘した。

安倍政権は2015年秋に小幅な内閣改造をして再出発したが、10月に入って、"一億総活躍"というスローガンを掲げて、「新三本の矢」と名付けた"成長戦略"の方向性を示した。

"新三本の矢"はアベノミクスが第二段階に入ったことを示すものと位置付けられた。すなわち、第一段階はデフレを脱却するための戦略だったが、第二段階は"一億総活躍"のための戦略であるという。

一億総活躍とは、たとえば、子育て中の母親や高齢者も働けるなど、国民すべてが活躍できる環境を整備するといった意味のようである。そのための新三本の矢は以下のように説明された。

第一の矢:"希望生み出す強い経済" 目標は、2020年までにGDP600兆円を実現。

そのために、投資を促進し、生産性革命を起こし、賃金を引き上げて消費を喚起する。

第二の矢:"夢つむぐ子育て支援" 目標は、希望出生率1.8を実現。

希望出生率とは子供を産みたい夫婦の希望の平均である。そのために、若者の雇用安定、三世代同居や近居、希望する教育ができるなどの環境を整備する。

第三の矢:"安心につながる社会保障" 目標は介護離職ゼロ。そのためには介護サービスの基盤整備、介護家族への相談機能強化、介護家族が休暇をとりやすい職場環境を整備する。

新内閣では"一億総活躍"戦略を政権発足当初から安倍首相を支えてきた側近中の側近、加藤勝信氏が担当し、関係各省をまとめて率いることになった。

これらのスローガンは耳に心地良いし、日頃とかく見過ごされやすい子育て中の母親や介護家族に焦点を当てることはそれなりに望ましい福祉ではある。

アベノミクスは第一段階の強者優先の戦略から、第二段階には国民各層を巻き込む"inclusiveな総合的成長"戦略に進化したとする論者もいるが、果たしてそれで財政再建や社会保障充実のための財源を生む成長を実現できるだろうか。

"inclusive"の概念には経済成長よりも「国民すべてに手を差しのべます」という政治的含意があるのではないか。

さらに、低所得の高齢者に3万円を支給するという政策が打ち出された。その予算は3600億円である。

この給付は消費促進効果はともかく、1200万人という多数の高齢者へのより直接的なアピール効果が露骨に期待されているのではないか。

そのうえ、2015年10月には、安倍首相は2017年4月に予定された消費税の10%への引き上げに際して軽減税率の導入を指示した。

軽減税率は創価学会婦人部が強く求めていたとされるが、エンゲル係数の高い低所得者より高所得者は食料品の消費額が高いから、低所得層に有利な再分配効果は必ずしもない。

しかし11月には公明党が要求する食料品すべての税率を据え置く方式を安倍政権は丸呑みし、12月には「これは政局だ」として党内批判も封じたと伝えられる。経済法則に沿わない政局優先とは何か? それは7月に予定される参院選への対策だろう。

今、日本国民がもっとも必要としている経済成長への努力を犠牲にしても7月の選挙を重視する、その背後にはいったい何の企図があるのだろうか? 熊本地震以前まで意識されていたとされる憲法改正のためなのか?

2013年から世界の注目を浴びて成長を求めて進められてきたアベノミクスは、ここへきて急速にスライスしていくように見える。

新三本の矢の1本として唱えられたGDP600兆円は、夢としては良いが、そこに到達する道筋が見えないと批判された。

2016年4月19日、政府の産業競争力会議はそれを実現するための成長戦略の概要をまとめたと報道された。そこには「官民戦略プロジェクト」として第4次産業革命、サービス産業生産性向上、観光立国、環境投資など10分野のプロジェクトが盛り込まれているという。

政府は5月下旬に予定される伊勢志摩サミット前に、成長戦略の詳細を確定するとされる。今度こそは現実的で本格的な成長戦略が策定されることを心から祈りたい。