「安倍窮地」「蓮舫・稲田辞任」でどう動く政局「夏の乱」--青柳尚志

安倍晋三政権が窮地に立っている。根っこにあるのは、民意の変化、つまり人心が倦んでしまったことにある。安倍首相が去った後で日本に残るのは何だろうか。

安倍晋三政権が窮地に立っている。女性閣僚とチルドレンたちの失言や不祥事、森友学園問題に次ぐ加計学園問題への対処の拙さなど、原因を挙げていけばキリがない。根っこにあるのは、民意の変化、つまり人心が倦んでしまったことにある。態勢の立て直しは厳しいといわざるを得ないが、安倍首相が去った後で日本に残るのは何だろうか。

第1次政権の歴史は繰り返すのか

「THISイズ敗因」。中谷元元防衛相の発言が冴えわたっている。暴行疑惑の豊田真由子衆院議員(T)、加計学園関連極秘文書疑惑の萩生田光一官房副長官(H)、数々の失言問題の稲田朋美防衛相(I)、加計学園からのヤミ献金疑惑の下村博文都連会長(当時=S)。3年半の雌伏を強いられていた反安倍勢力を勢いづかせたばかりでなく、安倍首相を支持していた民意も離反させることになった。

内閣支持率の急落が目立ったのは6月半ばの世論調査から。6月、7月と内閣支持率は10ポイントずつ急落し、支持率が3割を下回る調査結果も増えてきた。不支持率は概ね5割を上回る。いったん嫌いになった人の気持ちを元に戻すのは難しいから、8月3日の内閣改造をもってしても政権の浮揚は困難だろう。

歴史は繰り返す。10年前の出来事が走馬灯のように蘇る。2007年7月の参院選で当時の安倍首相が率いる自民党は大敗した。社会保険庁の「消えた年金」が社会問題化するとともに、閣僚の相次ぐ不祥事が民意の離反を招いた。2007年8月にはパリバ・ショックが国際金融市場を襲い、翌2008年9月のリーマン・ショックの序曲となる。そして2007年9月には体調不良を原因に安倍首相は内閣を投げ出した。

この2007年7月は日本にとって大きな分水嶺になった。小泉純一郎政権が打ち出した、構造改革により成長を目指す路線を安倍政権も引き継いだが、参院選の大敗を機に頓挫した。この大敗は新自由主義的な小泉改革への批判が募った結果でもあった。大企業と都市部に光を当て、その成果が滴り落ちる(トリクルダウン)ことを目指したのが、小泉・竹中(平蔵元総務相)路線だった。

そのおかげで経済は上向いたが、六本木ヒルズなどの輝きをよそに、不安定な雇用を強いられているとして、派遣社員やアルバイト、パートタイマーたちからは不満が燻っていた。株主の声を正面に掲げる内外のアクティビスト投資家に対しては、本来は自民党の支持層であるはずの企業経営者からも、怨嗟の声が上がっていた。

2005年の郵政選挙で特定郵便局を敵に回したことに象徴されるように、自民党の友好団体との関係も疎遠になっていた。郵政団体、農業団体、医師会などの離反が、選挙での逆風をいや増した。

皮肉にも経済が好転したことで、「帝力なんぞ我にあらんや」という雰囲気が国民の間に広がった。「亭主元気で留守がよい」といった感じで、政府が弱体化し政策を進める力がなくなっても、世の中は何とか回っていくだろう、といった世論が形成されたのである。

参院選の結果、自民党が参院で過半数を失い、衆参両院の「ねじれ」が起きたことで、こうした民意は「自己実現」した。以後、2012年12月に第2次安倍政権が発足するまで、首相は1年ひとりの使い捨てとなった。

民意にそっぽを向かれた民進党

今回の都議選での自民党の大敗にも、よく似たメカニズムが働いている。アベノミクスの下で、企業業績は過去最高を更新し、有効求人倍率は6月には1.5倍に達し、高度経済成長の時代以来の高水準となった。アルバイトやパートなどの時給も、この6月には過去最高となった(リクルートジョブズ調べ)。

経済が好転しだしたことで、「亭主元気で」の心理が、テレビのワイドショーの熱心な視聴者を中心に広がりだしたのである。

その視聴者の中核は定年退職後のサラリーマンや家庭の主婦であり、50歳代以上の高齢層で安倍内閣の支持率が極端に低いことと符合する。団塊の世代は全共闘世代であり、会社という組織から離れた途端に「安田講堂の血が騒ぐ」のだろうか。

せっかく雇用環境が好転し、「就職氷河期」から脱却できた若年層の間で内閣支持率が高いのと好対照である。どちらがバーチャル(仮想)で、どちらがリアル(現実)の空間に生息しているのだろうか。

10年前との最大の違いは、2007年時点では反自民の受け皿になった民主党が、今や民意にそっぽを向かれている点であろう。3年あまりの民主党政権時代の出来事は、多くの日本人にとって悪夢のようだった。

その悪夢をもういちど見たくはない。そんな気持ちが民進党に対する民意なのである。森友学園や加計学園での政府への突き上げは「見事」だったし、政権の支持基盤を崩すことに成功したのは、「蓮舫民進党」の「成果」だろう。

だが、自民党を去った民意は一向に民進党には戻らず、都議選で民進党は大敗してしまう。何よりも安倍首相を攻める蓮舫代表には、二重国籍問題で自らの発言が二転三転したという、負のイメージが付いて回る。自民党にも民進党にも付いていけない人たちは、「支持政党なし(無党派)」という不満の塊に吸い込まれている。

多くの世論調査で「無党派」は今や第1党なのだ。この調子でいけば、日本の政治は2007年以降とは別の意味で閉塞のなかに入り込まざるを得ない。

「蓮舫辞任」という"グッドジョブ"

そう記した2017年7月27日午後2時前の時点で、民進党の蓮舫代表の辞意表明というニュースが飛び込んできた。A good job. 恐らく、これは代表就任後、蓮舫氏が行った最も優れた仕事だ。

彼女自身は「自民党への積極的な対案の提示」をうたったが、実際にどんな対案を示したというのだろう。むしろ印象的なのは、選挙対策を狙いとした共産党への抱き着きだろう。「民共共闘」こそは蓮舫時代を特徴づける民進党のカラーだったのである。

その民進党から支持母体の連合は離反した。都議選における、小池百合子都知事(元日本新党)、都議会公明党、連合東京の組み合わせは、自民党の下野をもたらした1993年の政変を想起させる。

自民党から政権を奪った細川護熙8党派連立政権のようでもあり、その後の新進党のようである。「新進党-小沢一郎氏≒都民ファースト+都議会公明党+連合東京」となろうか。この右辺に「民進党を離反した国会議員」を加えれば、「小池・国政ファースト」が成立しよう。

小池知事の腹積もりはそんなところだろうが、民意はそれほど甘くない。前回の連載でも記したように、小池新党に流れた票の多くは、政権の驕りに対する肘鉄なのであり、都民ファーストへの積極的な支持票ではない(2017年6月27日「都議選『自民大敗』で麻生『ワンポイント首相』の可能性」参照)。

だから多くの世論調査で、小池新党の国政進出には批判的な回答が多いのだ。ゆくゆくは首相にと思っているはずの小池氏も、この辺の事情は心得ていよう。自民党からも民進党からも受け皿になれるよう、今は「能ある鷹は爪を隠す」心境だろう。

民意糾合か「社会党2.0」か

さて蓮舫代表の辞意表明は、夏場のアイスクリームのように溶融寸前だった民進党にとっては、最後の希望となる。辞意表明のタイミングが、安倍首相が内閣改造を予定している8月3日の直前だったことは、世論の関心を政権の側に向けさせない方策だったとすれば、なかなかのものである。ほとんど誰も関心を示さなかった民進党の代表選にも、突然の代表辞任というニュースの後だけに、世間の関心を呼ぶことが出来る。

安全保障で国民の不安を払拭し、経済運営でも現実的な政策を提示する人物が後任の代表になれば、小池新党とスクラムを組む道も開けよう。自民党を離れた民意を糾合することで、政治の世界にも緊張感が戻って来ることが期待される。

反対に、共産党とのズブズブな関係を清算できず、政府糾弾の反対政党の蓮舫カラーを引き継ぐならば、事態はあまり変わり映えしない。

たとえば、「保育園落ちた 日本死ね」が流行語大賞(ユーキャン)に選ばれた際、嬉々として表彰式に出席した山尾志桜里衆院議員が党の要職に付くような体制となるなら、「蓮舫2.0」となってしまう。

保育園の待機児童問題と「日本死ね」を結びつける発想に拍手を送るリベラル(水割りした左派)が多いのは確かだが、危うさを拭えない街行く人たちは、それ以上に多い。新体制の下で年を越せたとしても、その際の民進党は「社会党2.0」となっていることだろう。

自衛隊の「ソフトなクーデター」?

恐らく政界の夏の乱は、ポスト安倍をめぐる自民党内の熾烈な権力争いである。いうまでもなく安倍首相は窮地に立っている。2007年には社会保険庁の職員たちが、自爆テロさながらに捨て身で年金情報のリークを行ったように、今回の前川の乱では、文部科学省の職員たちが加計関連情報をリークしたとされている。

東芝の粉飾決算が経営陣同士の暴露合戦で明るみに出たのと同じ構造だが、エリート意識を傷つけられた官僚の逆恨みほど恐ろしいものはない。

文科省官僚の自爆テロに対しては何の同情も感じないし、いっそのこと社保庁のように独立行政法人にでもした方がよいとも思われるが、より深刻なのは、陸上自衛隊の幕僚たちと稲田防衛相の対立だろう。

発端となった南スーダンに国連平和維持(PKO)部隊として派遣された自衛隊の「日報」があった、なかったの問題。「日報」に「戦闘」の文字が記されていることから、「自衛隊が海外で戦闘に巻き込まれる」との批判を恐れて、「日報」がなかったことにしたが、後に出てきた。そんな話だった。

陸自の現場が隠すことを提案したのか、大臣がその過程でどれだけ絡んだか。絡んだのに後々になって、現場にすべての責任を押し付けたのか。その辺が争点になっているのだが、やはり「大臣の腹が座っていなかった」と言わざるを得ない。

「自衛隊は戦闘に行ったのではない。平和を回復させるために行ったのだ。だが現地の情勢は極めて不安定で、隊員からすれば『戦闘』という実感を抱いたかもしれない。それが問題ならば、他の国に平和維持の仕事を押し付けて、自分だけ引き揚げたらよいというのか」――。

街の居酒屋でもこのくらいの議論はするし、それが街行く人たちの気持ちというものだろう。「戦闘」かどうかの議論で大臣に最も欠けていたのは、危険を顧みず現地で仕事をした自衛官たちへの思いやりである。

国連第一主義を唱えるリベラルたちが、自らを安全地帯に置く平和論であるのはいいとしても、積極的な国際貢献を唱えていたはずの安倍政権が、他の国に平和維持の仕事を押し付けたのは決して褒められたことではない。

ジョージ・オーウェルが喝破した平和主義者の欺瞞、つまり「他の人が危険に直面するから、安楽椅子の平和を唱えていられる」ことが、クッキリと浮かび上がってしまったのだ。

そんな大臣に対し、現場の制服組が怒りを募らせたとしても不思議ではない。結局、岡部俊哉陸上幕僚長辞任など制服組も血を流すことになったが、稲田防衛相も辞任の道連れとなった。

「日報」問題での情報リークは、制服組による大臣の罷免要求、言い換えればソフトなクーデターとみることができる。その安倍政権が自衛隊の存在を憲法に明記する憲法改正を唱えても、味方からの強い支持を受けるのは難しかろう。

残るは外交の大博打のみ

かくして、安倍政権は完全な八方塞がりに陥っている。日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)の大枠合意や、労働生産性向上のための脱時間給の取り組みなど、政権の経済運営は相当に評価できると思われる。

少なくとも何の現実的な対案も示さない民進党よりは。それでも、いったん政権に倦んだ民意が戻って来るとは考えにくい。首相に残されたカードは、外交の大博打だろう。

2002年9月に平壌に飛び、日朝首脳会談に臨んだ小泉首相の故事が思い起こされる。安倍首相が金正恩(キム・ジョンウン)と握手して、米朝首脳会談の橋渡しをするようなら――。夏のうたた寝のようなことを記すのはここまでにして筆を置くこととしよう。

青柳尚志

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(2017年7月31日フォーサイトより転載)