ディズニー、ビートルズ、スティービー・ワンダー...歴史を変えた男性に影響を与えていたのは女性だった。

世界一有名なバンドも、女性に支えられていた
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女性が表舞台で活躍するのが、今よりも難しかった時代があった。しかしそんな時代でも、男性の人生に多大な影響を与え、自身も業績を残した女性たちがいた。

夫の社会運動を支えた女性がいれば、秘書として世界で最も有名なバンドを支えた女性もいる。彼女たちは男性を励まし、インスピレーションを与え、共に活動した。 

大きな功績を残した男性がなぜ偉業を達成したかを知りたいときには、そばにいた女性に目を向けるといいかもしれない。

コレッタ・スコット・キング(マーティン・ルーサー・キング・Jrの妻)

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1964年、ノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・Jrのそばに立つ、コレッタ・スコット・キング

コレッタ・スコット・キングは、夫のマーティン・ルーサー・キング・Jrが進めた公民権運動をいつもそばで支え、自身も大きな業績を残した女性だった。1964年の公民権法の成立を手助けし、1968年にキングが暗殺された後は、夫のメッセージを未来に伝えるために、アトランタにマーティン・ルーサー・キング・ジュニア非暴力社会変革センターを設立した。

リリアン・ディズニー(ウォルト・ディズニーの妻)

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娘のダイアンと共に、ディズニーランドのティーカップに乗る、リリアン・ディズニーとウォルト・ディズニー

ウォルト・ディズニー・ファミリー博物館によると、リリアンの意見がなければ、ミッキーの名前はモーティマーになっていたかもしれない。ウォルト・ディズニーの秘書も務めた彼女は、ウォルトのアイディアの多くににゴーサインを出し、1966年にウォルトが亡くなった後も、彼の作品を支援した。

ルーラ・メイ・ハードウェイ(スティービー・ワンダーの母)

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1974年のグラミー賞授賞式。家族と共に写真におさまるルーラ・メイ・ハーダウェイ(中央左)と息子のスティービー・ワンダー(中央右)

スティービー・ワンダーの曲「Signed, Sealed Delivered (I’m Yours)(涙をとどけて)」が好きな人は、彼の母ルーラ・メイ・ハードウェイに感謝しよう。サビのフレーズ "Signed, sealed, delivered. I'm yours"を書いたのが、彼女だからだ。ロサンゼルスタイムズ紙によると、ハーダウェイはスティービー・ワンダーの夢を支えただけではなく、作詞も手伝った。「I Was Made To Love Her(愛するあの娘に) 」の歌詞も手がけている。

オノ・ヨーコ(ジョン・レノンの妻)

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共に平和へのメッセージを届けた、オノ・ヨーコとジョン・レノン

自身も有名なアーティストであるオノ・ヨーコは、ミュージシャン、また活動家としてジョン・レノンに影響を与えた。ジョン・レノンと共に、平和や愛を広げる活動に携わったオノ・ヨーコは、レノンなき今も、一人で活動を続けている。

1970年代に、ローリング・ストーン誌が「どうしてジョン・レノンはオノ・ヨーコ無しでいられなかったのか」とジョン・レノン自身に尋ねている。レノンの答えはこうだ。「一人で生きていくこともできるのでしょうが、一人になりたいとは思いません。彼女無しでいなきゃいけない理由は、世界中どこを探してもありません」

フリーダ・ケリー(ビートルズの秘書)

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自身の人生を追ったドキュメンタリー映画、「愛しのフリーダ」の上映会に参加するフリーダ・ケリー

ビートルズのメンバー全員に、影響を与えた女性がいた。イギリス・リバプール出身のフリーダ・ケリーは、ビートルズの秘書を務め、ファンクラブを運営した(ビートルズの熱狂的なファンの対応もした)。ドキュメンタリー映画「愛しのフリーダ」では、十代の時から秘書を初め、その後何年もビートルズと共に歩んだ彼女の人生が綴られている。

ゼルダ・フィッツジェラルド(F・スコット・フィッツジェラルドの妻)

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娘のスコッティ―と散歩する、ゼルダ・フィッツジェラルドとF・スコット・フィッツジェラルド

グレート・ギャツビーの著者、F・スコット・フィッツジェラルドの妻であるゼルダ・フィッツジェラルドもまた、夫の作品に影響を与えた。特に、フィッツジェラルドの小説に頻繁に登場する、1920年代に新しいファッションや生き方を追い求めた女性「フラッパー」はゼルダの影響が大きかった。彼女は素晴らしいダンサーであり、画家であり、作家でもあった。アラバマの情報を紹介するウェブサイトによると、夫のスコットが気に入らなかったのは、ゼルダの小説だけだったという。

二人の結婚生活には多くの障害があった(フィッツジェラルドのアルコール依存や、ゼルダの精神面での不安定さが原因だと言われている。スコット・フィッツジェラルドが1940年に亡くなった時、二人は別居状態だった)。しかし、ゼルダが夫の人生に多大な影響を与えたことは明らかだ。その影響はスコットの小説の節々にも表れている。

ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。

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