敗戦から70年 日本とドイツの異なる戦後

東アジアで歴史認識をめぐる状況は混沌とする一方だが、我が国とは対照的に、歴史認識についてぶれを見せない国がある。それが、私の住んでいる国ドイツだ。
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東アジアで歴史認識をめぐる状況は混沌とする一方だが、我が国とは対照的に、歴史認識についてぶれを見せない国がある。それが、私の住んでいる国ドイツだ。ドイツ人たちは、自国の歴史の恥部から目をそむけず、真正面から対決することによって、周辺諸国の信頼を回復し、欧州連合(EU)の事実上のリーダーになることができた。

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ドイツ軍が村人を虐殺したベラルーシの村にて。虐殺の歴史について学ぶために追悼施設を訪れたドイツ人(筆者撮影)

私は、敗戦から70年目の今年、日本とドイツの間になぜこれだけの違いが生じたのかについて、考えるべきだと思う。日本で歴史認識をめぐる混迷が深まっている今こそ、ドイツ政府と社会が歴史認識をめぐり一貫した姿勢を取り続けていることを知る必要がある。

特にドイツ政府が「犠牲者の数など、歴史の細部の究明よりも、イスラエルなどの旧被害国との関係改善の方が国益にとって重要だ」と割り切って自国の責任を認めたことは、特筆に価する。ドイツは日本とは異なり、あえて「木よりも森を見る」道を取ったのだ。それは、旧被害国との和解を最優先にして、「小異を捨てて大同に就く」姿勢とも言える。日本政府の態度には、このような理念が感じられない。

しかもドイツは、日本のように歴史問題を棚上げにしたのではない。「ドイツに全面的に責任がある」と自国の前の世代の非を認め、今なお謝罪を続けているのだ。

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アウシュビッツ解放70年の追悼式典で演説するメルケル首相(筆者撮影)

私には、ドイツに韓国人や中国人の知り合いが数人いる。ヨーロッパで彼らと話をしたり一緒に働いたりすると、日韓・日中の違いよりもアジア人としての共通項が目につく。

私の知り合いの韓国人、中国人の多くはヨーロッパ人よりも勤勉であり、柔軟性に富んでいる。仕事のためには私生活を犠牲にすることをいとわない点も、日本人に似ている。中国にいる時からドイツ語を学び、流暢に話せる中国人も数人知っている。

特に韓国人のメンタリティーは、ドイツ人よりもはるかに日本人に似ている。食事の好みも、見ている。そのためか、私は日本人であるだけでなく、アジア人でもあることを、日本に住んでいた時に比べて強く感じるのだ。

私は21世紀に入ってから数回香港で働く機会があった。香港人、中国人、台湾人、シンガポール人とともに働いた。この時「日本と中国、香港、韓国、シンガポールなどが団結してEUのような経済共同体を作れば、アメリカや欧州は全くかなわないような経済パワーに成長するだろう」と思った。

それだけに、政府間のいがみ合いや歴史認識をめぐる国民感情の悪化によって、東アジア版EUが夢のまた夢となっていることを非常に残念に思う。多くの日本人は、私のことを夢想家と思うだろう。東アジア諸国は、19世紀以来欧米列強によって牛耳られてきたが、彼らはその時代にピリオドを打ち、自らの手で運命を切り開き始めた。これは世界史に新たな1ページを開く変化である。日本は本来、周辺国と和解し、走り始めた「アジア」という列車に飛び乗るべきだと思う。天然資源に乏しく、高齢化と少子化で人口が急激に減っていく日本にとって、東アジア版EUは回答の1つであるはずだ。

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香港の下町にて(筆者撮影)

歴史認識のディテールをめぐる出口なき論争のために、日本がすでに走り出した列車に乗り遅れるのは、あまりにも惜しい。したがって私の夢は、いかに現状からかけ離れていても、努力するに足るべき目標である。

世界が混迷の度合いを増す中、欧州諸国のように共同体を作って団結することは、1つの解決策だと考えている。欧州の国々は単独では弱小だが、連合体を作ることによって国際社会での発言力を増した。

ドイツから見ていると、日本の発言力は過去25年間で大幅に低下した。東アジアでもEUのような組織を作るための前提は、日中韓の和解である。

だが、日中韓の現状を見ると、東アジア版EUは夢のまた夢である。歴史認識や領土問題をめぐる議論が袋小路に入っている今、日本政府は長期的な国益を優先して、歴史問題をめぐる「大人の解決手段」のための一歩を踏み出してもらいたい。

さらに私は、日本政府に対して、これまで以上に公共性と倫理性を重視する政策を取ってもらいたい。公共性とは、経済界の利益だけではなく、市民特に競争の敗者にも手を差し伸べ、国富の一部を還元する発想である。日本政府には、ドイツ政府に比べて公共性の理念が欠けている。

公共性の重視は、政治や経済活動の中で倫理が持つ比重を高めることも意味する。私がこの本で分析したドイツの歴史認識、社会的市場経済、エネルギー転換の背景には、1945年以降のドイツが、倫理を重視する国家をめざしているという事実がある。

ドイツが倫理を重視するのは、この国が、1933年のナチス台頭から敗戦までの12年間に倫理を踏みにじり、人間の文明に背を向けたことへの反動である。この国の政府や社会には、経済成長や物質的な充足、ROE(株式資本収益率)、国粋主義よりも、大切な物があるという合意がある。

ドイツは過去の教訓を日本よりもうまく生かして、国を形作ってきたと思う。ドイツのようなポスト経済成長、ポスト・ナショナリズムの境地に、日本はまだ達していない。

それどころか、特に2011年の東日本大震災以降、日本は内向きの傾向を強めており、多くの人々は日々の生活に追われて、政治と倫理の関係など、形而上的なテーマについて考える余裕すらないように見える。ある日本の編集者が「今どき日本で倫理の重要性を主張すると、頭の中にお花畑があるのではないかと言われますよ」と語っていた。倫理の軽視は、古代ギリシャ以来の人間の英知に対する冒瀆である。人々が心の余裕を失っていることは残念だ。

市民は労働と人生についての発想を転換して、物事を考える時間を作らなくてはならない。考える時間がなければ、なぜ日本で民主主義を強化しなくてはならないか、自分の時間がなくては、なぜ保守主義だけでなくリベラリズムが重要なのかという問題と取り組むこともできない。25年間ここに住んだ結果、私はドイツで最も貴重な物は「考える自由」と「リベラルな精神」だと考えている。

日本改革の道の遠さにため息をつきたくなるが、あきらめてはならない。初めの一歩は、アジアでの和解の実現であり、政治の世界に公共精神と倫理を吹き込むことだ。政治を変えるためには、ドイツのように二大政党制を確保することが前提である。

付記

2つの国がいかに異なる道を歩んできたかは、今年7月に上梓した「日本とドイツ ふたつの戦後」(集英社新書)で詳述した。ご参照頂ければ幸いである。