東日本大震災から6年半・・・ 『生きてやろうじゃないの!~歩き出したメッセージ』

「一見被害が小さい家の一軒一軒にも、それぞれの苦悩と悲しみがある」
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武澤忠

キッカケは今年3月10日に放送した朝の情報番組「スッキリ!!」だった。

2011年3月11日、東日本大震災で福島県相馬市の実家が被災。

50年連れ添った夫の死から100日も経たないうちに津波で住む家までなくなり、途方に暮れていた当時78歳の母(武澤順子)を、ディレクターの僕は自らカメラを回し、記録し続けていた。

「一見被害が小さい家の一軒一軒にも、それぞれの苦悩と悲しみがある」

被災地のリアルな姿を伝えたいと、嫌がる母を説得し、本来ならばカメラの前では決して語られないような被災者の本音を「親と子」という距離感で撮り続けた。

そして2012年3月に放送された「リアル×ワールド ディレクター被災地へ帰る 母と僕の震災365日」は、異色のドキュメントとして大きな反響を呼び、文化庁芸術祭参加作品、番組審議委員会推薦作品に選ばれる。

中でも話題を呼んだのは、母が毎日綴っていた震災日記だった。

誰に読ますためでもなく、スーパーのチラシやノートの余白に、不安や葛藤を綴った母の日記は、半年後に書籍となった。(「生きてやろうじゃないの! 母と息子の震災日記」青志社)

そしてその後も、母は毎日、日記を書き続けている。

そしてその言葉は、復興が進むにつれ、徐々に「生への渇望」に満ちた、前向きなものへと変わっていった。

『人生で大切なのは、 今までではなく これから・・・』

『痛い、痛いも 生きてる証し』

『もう一度 人生があったとしたら 同じでいいよと思っている

 もう一度お父さんと 一緒に歩みたい』

「塩水にも負けずに雑草が生き延びた  虫も生きている

 ならば・・・人も生きなくては  」

そこには、戦争と震災という大きな壁に苛まれながらも、逞しく生きる「日本人女性」の魂の叫びがあった。

今年3月、シリーズ最新作となる我が家のドキュメントを「スッキリ!!」で放送したところ、全国ネットということもあって、初めて見てくれた若い方が多かった。

そして多くの10代20代の視聴者から、たくさんのメッセージがSNS等に寄せられた。

「涙腺崩壊!」

「順子おばあちゃんの言葉が"詩"のように心に突き刺さり、涙が止まらなかった!」

「日本人は強くて逞しい!同じ女性として生きる勇気をもらった!」

等々・・・

また番組を見て感動したという名古屋の大学生からの依頼で、講演会も行った。

テーマは「強く!優しく!生きてやろうじゃないの!」

名古屋の金城学院大学の新入生200名の前で、震災を通じて感じた「命の大切さ」と「日本人の逞しさ」を伝えた。そして母からはビデオメッセージも贈られた。

震災のころはまだ小学生だった彼女たちにも、母の言葉はしっかりと届いたようだ。聞きながら涙ぐむ学生もいた。

そのとき、この母の「生きてやろうじゃないの!」という言葉に込められたメッセージを、「次代を担う未来の母たち」へも、伝えていくのが自分の役割ではないかと思えた。

そして母がこの6年半に書いた膨大な日記に改めて目を通し、その中から自分自身の胸に響いた言葉をセレクト・編集して、今回「詩集」としてまとめた。

タイトルは「詩集・生きてやろうじゃないの! 84歳 今を生きる」武澤順子・著 監修・武澤忠(日本テレビ) 出版・青志社

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青志社

この本をまとめながら感じたのは、踏まれても踏まれても立ち上がる「日本女性の逞しさ」と、どんな状況でも人間は「ユーモアと希望」があれば、生きていけるということだった。

『五十肩  八十過ぎても五十肩』

その言葉の数々は、おそらく被災者だけでなく多くの方に共感していただける「人間の業」「生きることの辛さ、悲しさ・・・それをも上回る喜び、希望」そして「老いてなお、生きていくということの真実」が描かれていると感じた。

半壊した家が壊される様子を、父の遺影を抱え慟哭しながら見守っていた母・・・その様子を泣きながらカメラで撮っていた自分・・・

あれから時が経ち、その絶望から見つけた「小さな希望の芽」を紡いだ言葉の数々が、少しでも多くの人を勇気づけられるのなら・・・

僕ら親子の6年半も、まんざら無駄ではなかったと思うのである。