仏教の経典には、ブッダ(お釈迦さま)がさまざまな仏弟子に仏法を説いたたくさんのお話が収められています。出家のお坊さんに対しては私のような凡人には理解の及びがたい深い思想が雄弁に語られていますが、面白いことに、在家の信者に対してはまるで別人のように、非常に分かり易く直接的な事柄をお話しされています。
ブッダは相手に面しただけで、その人の心の状況が分かるのでしょう。相手のレベルに合わせて自由自在に言葉を繰り出し、どんな人でも必ずその人の「悟りのツボ」を押すわけです。これを対機説法(機、つまり人に合わせて法を説く)といいますが、データベースなしのOne-to-Oneマーケティングというところでしょうか。
その経典のひとつに、在家の若者に説いた「六方礼経」というお経があります。その中で、主人と使用人の幸せな関係を築くための方法が、とても具体的に説かれています。現代の私たちなら、上司と部下の関係と読み替えてもいいでしょう。言うなれば、仏教的リーダーシップ・フォロワーシップです。
■仏教的リーダーシップ~上司が部下に対してなすべきこと~
1. 能力に応じた仕事を与える
まず、仕事です。待遇の問題以前に、仕事が面白くなければいけません。ここでブッダが指すのは「能力主義」とも違うと思います。仕事の種類に優劣をつけて、型にはめて競わせるのではありません。一人ひとりが輝ける仕事を、その人の特性に応じて与えるのです。管理職向きの人もいれば、専門分野を研究することに打ち込みたい人もいるでしょう。どちらの方向を追求しても、その人をしっかり評価するということですね。ここには画一的な「成功者」の定義は見当たりません。
2. 仕事に見合った給料を与える
次に、人をきちんと処遇しましょう、ということ。人事評価のあり方はどの企業でも大きなテーマですが、二千年も前から人間社会は同じなのですね。仕事に見合わない給料を与えることは、未来に悪業を積むことにもなるでしょう。まず、部下の心に、怒りの感情を呼び起こします。さらに、もしもしっかりとした給料をもらっていれば起こらなかったであろう悪事(横領など)へと部下を駆り立てます。そのような悲劇を招かないためにも、ちゃんと給料を支払うことは上司の責任です。
3.病気のときは親切に看病する部下が鬱になりかけているときに「気合いの問題だ。あいつには気合いが感じられない」などと言って追い打ちをかけるのは論外ですが、「大丈夫?しばらく休んだほうがいいんじゃない?」などと親切にして気にかけている風を装って、部下が休職している間に帰るポストを無くしてしまうようなのもいけません。部下が病気になったら、ちゃんと元気になって戻って来られるように、看病してあげましょう。つきっきりというわけにはいかなくても、ときどきお見舞いにいくなどして、心を支えてあげることが大切です。上辺のポーズではダメです。
4. 美味しい食べ物を分け与える上司は部下を幸せにするなら、給料を払うだけでは足りません。もちろん報酬をもって部下の仕事に報いるというのは大切ですが、それだけでは部下のやる気につながらない。ジャック・ウェルチのリーダーの心得にも、部下に対して「派手にお祝いする」という項目がありましたが、部下の成功はプライベートでもしっかりねぎらってあげましょう。
5. 適当なときに休ませる休暇もあげてください。無理な状態が慢性化すると、結局は長続きしません。「代わりならいくらでもいる」という使い捨て的な人の使い方をしていると、そのうち誰もついてこなくなります。リーダーの仕事は、人を育てること。人は一朝一夕にできるわけではありません。一歩一歩、信頼関係を築きながら、長い目で部下を育てていきましょう。「ご縁」を大切にすることです。
■仏教的フォロワーシップ~部下が上司に対してなすべきこと~
1. 上司より早く出勤する
部下の仕事は上司によって規定されますが、そもそもその場にいなければ仕事を頼むこともできません。上司がいつでも仕事が頼める状態にしておくということが、部下としての基本的な姿勢です。
2. 上司より後に仕事を終える
「上司が残ってるからまだ帰れないよ・・・」とぼやく人がいますが、部下の仕事は上司の仕事を補佐することです。上司が一生懸命仕事しているのなら、そこにはきっとまだやるべき仕事があるはずです。上司がすでに仕事を終えたのにダラダラ残っているだけ、というのでもなければ、前向きに残りましょう。
3. 正直に与えられたものだけを受ける
「30代の自分たちはこんな安い給料で死ぬ程はたらいて、見るからにヒマそうな50代の上司連中を食わしてるなんて、もうやってらんないよ!」と怒りたくなる人の気持ちも分からないではないですが、ヤケを起こしてはいけません。安い給料を何か悪いことをして取り返そうと思っても、それは長い目で見ると、自分の心を傷つけ、誠実さというリーダーシップの必須条件を失うだけです。
4. 仕事に熟練し、責任を持つ常に上司より早く出勤し、上司より後に仕事を終え、正直に与えられたものだけを受け取る部下だとしても、仕事ができなければどうしようもないということです。もちろん、誰しも最初から仕事に熟練していることなどあり得ませんから、苦労して少しずつ成長していくしかないのですが、それを真摯にやるかどうかが問題です。ゴキゲン取りにばかり長けた人というのはいるものですが、ゴキゲン取りと本気の取り組みの区別がつかないような上司は自分のついていくべきリーダーではないと心得て、真摯に向上心を持って仕事に取り組むことが大切です。
5. 会社や上司の名誉を傷つけない
上司の仕事を補佐するのが部下の仕事ですが、それは足りない手を貸せばいいというものではなく、あらゆる面でポジティブに支えなければなりません。手は言われた通りに動かしながらも、口では組織や上司の悪口を言っているようでは、部下として失格です。そういうクセがついてしまうと、どこへ行っても上司からの信頼を勝ち取ることはできなくなります。
以上、仏教的リーダーシップとフォロワーシップ、いかがでしょうか。上司と部下がお互いに幸せにやっていくために必要なことは、二千年を経ても変わらないものですね。
「リーダーシップ論」というと、毎年のように新たなキーワードやフレームワークが登場して最新版へとアップデートされているかのように思えますが、基本はいつの時代も変わらないのです。
(2013年1月15日に「GLOBIS.JP」で公開された記事の転載です)