55才になってしみじみ感じる6つのこと

55才になってしみじみ感じることがいくつかある。何度もどこかで読んだようなセリフだから、それをここに書いたところで誰かの役に立つかどうかはわからない。
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 55才になってしみじみ感じることがいくつかある。何度もどこかで読んだようなセリフだから、それをここに書いたところで誰かの役に立つかどうかはわからない。

 ただ、人生の残り時間が少なくなったにもかかわらず、あいかわらず、人生が無限に続くと感じていた若いころの考え方をひきずっていることも多いので、自分のための覚えとしても、書いてみることにした。

 若いころは時間が無限にあるように感じた。だから、1時間辛い仕事をしたら5000円あげると言われたら喜んでした。自分の時間をお金と引き換えることに躊躇もなく、その金額は低かった。

 やがて自分にとって時間の価値はだんだんとあがり、今では完全に逆転したように思う。

 お金で自分の時間を買うこともできるけど、自分に残された総時間以上の時間はどれほどお金を積んでも買うことはできない。

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 いくら良いものを持ったところで、いつかは無価値になる。経験はいつまでも心のなかにもっていることができるし、誰かに伝えることもできる。

 お金は経験に使おうと思う。

 いままでは、形に残らないものにお金を使うことが、もったいないような気になることが多かった。

 ついついそういう考え方を引きずって行動してしまうが、これからは経験、まだやってみたことがないことに、思い切ってお金を使おうと思う。

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 人にどう思われるか、人からどう評価されるか、友人たちに重きをおかれるか、馬鹿にされるか、そういうことばかり考えて生きてきた。

 もう、そんなものは投げ捨ててやる!

 「で、年商はどれくらいになったの?」と、昔の会社で偉くなった人に久しぶりに会うと訊ねられる。

 「いや、10年かかって、2億ぐらいで・・」と、なんだか、情けないなと思いながら答える。

 僕は残りの人生でやりたいことが明確になってきたから、10年で2億だろうが、1億だろうが、さほど重要ではない。

 しかし、こういうことがやりたくて、こういうことをやっていて、こういう成果がもうすぐ出るはずだということを、昔の会社の人や業界の人に説明するには、何時間もいる。

 それは無理だ。かまうもんか。

 そんなことは諦めて、自分のしたいことにフォーカスしていきたい。

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 人がよいと言われることが多い。ほかにあまり取り柄がないから、それを勲章に生きてきたようなところがある。

 昔にくらべると、だいぶん、NO!と言えるようになったが、まだまだ、誰にでもいい顔をしたいという気持ちが残っている。

 これからは、もっと大胆に、NO!と言おうと思う。ほったらかすべきものは、ほったらかして忘れてしまおうと思う。

 YES!と言うたびに、丁寧な返答をするたびに、将来しなければならないことが増えていく。そうして、僕の限られた『時間資産』が将来にわたって減っていくのだ。

 No! No! No!である。

 ごめんなさい! 

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 「忙しい」っていう状態から、一刻も早くおさらばしたい。「忙しい、忙しい」と言っている間に、人生が終わってしまうではないか!

 残りの時間はちゃんと周囲を見ながら、味わいながら歩いていきたい。

 「忙しい」は「死に急ぐ」と同じだ。「忙しい」と感じる時間を限りなくゼロに近づけていきたい。

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 でも、まだまだ、何かができる。

 だって、毎日、1%だけ前日より改善して、それを1年365日積み重ねたら、1が38になる(1.01の365乗)。

 1%だけ落ち込んで前日よりつまらない日をおくり、それを1年365日積み重ねたら、0.026になってしまう(0.99の365乗)。

 たとえば、このブログを2年半毎日書き続けて、継続して努力を重ねることで、思いもよらないところまで到達できることを、思い知った。

 たしかに、残り時間は限られているが、何かをなしとげるに遅すぎるということはけっしてないはずである。

(2014年11月20日「ICHIROYAのブログ」)