東日本大震災から5年、私たちは何を遺すべきなのか

東日本大震災から5年にあたり、どんな記事を出すかという会議で、編集部員から出たのは「被災地にとって、5年という数字に大きな意味はないですよね」という言葉だった。

5年前の3月11日。福島第一原発を巨大津波が襲ったとき、妊娠中でありながら必死に現場で作業に当たった女性がいたのをご存じだろうか。その後、女性の就業は一時的に禁止されたが、2014年6月からは一部エリアに限って女性の就労が認められた。

現在3人目の子を身ごもっている井手愛里さん(33)は、今も第一原発の事務棟で廃炉作業に携わっている。幼い子供を育て、現在もお腹に命を宿しながら、井手さんはなぜ福島第一原発の廃炉作業という過酷な現場で働き続けるのか。その思いにハフポストの記者は迫った。

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井手愛里さん

「東日本大震災から5年にあたり、どんな記事を出すか」という会議を行ったとき、編集部員から出たのは「被災地にとって、5年という数字に大きな意味はないですよね」という言葉だった。人は5年、10年という数字に「くぎり」の意味を持たせがちだけど、日々過酷な日常と向き合っている被災地の人々にとって、「くぎり」とは意味を持たないものなのではないかと。

それならば、5年という時間が必要だったことや、5年という年月を経たからこそ浮かび上がってきた問題に目を向けてはみないか、ということになった。井手さんが今回、自分の経験をメディアに話すということにも5年という歳月が必要だった。

5年という年月を経て、個々人の感情に違いが生まれてくるという状況を目にすることも増えてきた。被災地で今、大きく議論が分かれているのが「震災の遺構を残すべきか」という問題である。骨組みだけを残す南三陸町の防災庁舎をめぐっては大きく意見が対立した。「将来の教訓として残すべきだ」「残すべきではない。モニュメントは必要ない」

住民らの賛否が大きく分かれた南三陸町は、結局「20年間、県が保存し、その後は後世の議論に委ねる」とする暫定結論に達した。ハフポストは、賛成、反対に分かれた地元の人々の思い、その背景を取材している。

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志津川小学校のある高台から撮影した防災庁舎。周囲を盛り土で囲まれている(3月5日撮影)

この「震災の遺構」をめぐっては、石巻市の旧門脇小学校と旧大川小学校の2校も保存か解体かで意見がわかれている。賛成、反対の意見がぶつかり合って、どちらかの意見がどちらかを押しつぶす、というようなこれまでの公共事業の在り方であってはいけないと、地元の人々は繰り返し意見交換会を行っている。

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門脇小の旧校舎(上)と大川小の旧校舎(下) (撮影・加藤順子)

一連の取材をとおして見えてきたのは、「遺す」ということが今後、大きく意見が分かれながらもとても大切なテーマになってくるということだ。では過去にあった他の自然災害、あるいは日航機の御巣鷹山墜落事故の場合などはどんな判断が下されてきたのか。「未来のつくりかた」を編集の軸としているハフィントンポスト日本版では、今後もさまざまなケースについて、未来になにをどう伝えていくべきか、「遺す」ことについて取材し、考えていきたいと思う。

ハフポストでは3月11日に限らず、1年を通して被災地についての記事を掲載している。

折に触れこちらもごらんいただければと思う。