お風呂の中で数を数えるように、子どもたちは勉強ともいえないような段階で多くのことを学んでいる。
虐待や貧困など、やむを得ない事情で両親と離れて暮らす子どもたちは、そうした機会がほとんどなく、小学校で勉強を始めるときに苦しむ一因となっている。
認定NPO法人「3keys(スリーキーズ)」は、そんな子どもたちへの基礎教育の支援に取り組んできた。より多くの拠点で支援をするために、クラウドファンディングで支援を募っている。
「親が追い詰められてしまうのでは」
「自宅の近くに児童養護施設があり、子どもたちに勉強を教えるボランティアを募集していました。
そこで子どもたちと関わりを持つうちに、親元で暮らせず施設で育つ子が、全国で5万人もいることを知ったのです」
こう話すのは、3keysの代表を務める森山誉恵(たかえ)さん。
森山さんは、子ども時代をアメリカやアジア地域で過ごし、日本とは異なる国の文化に触れながら成長してきた。
日本に戻って大学へ進学した際、子育てや教育を家庭で抱え込まなければいけない日本の環境に驚いたという。
「施設に居た子たちは虐待や貧困などを理由に、自宅で暮らすことができない状態でした。もちろん子どもに手をあげてしまうことはいけないことですが、日本の場合には『親が子育てを完璧にしないといけない』というプレッシャーで追い詰められてしまうところもあるのではないか、と感じました」
アメリカで森山さんが暮らしていた地域では、学生が行う定番のアルバイトにベビーシッターがあった。
ある程度成長した子どもはベビーシッターに預けることが一般的だったため、母親がひとりで育児を抱え込んでしまうことはなかった。
その後に引っ越したアジアの各地域でも、親戚や近所の人たちが全員で子育てをするような地域の繋がりがあった。いたずらをすれば誰もが親の代わりに叱り、いいことがあったら一緒に喜んでいた。
森山さんはボランティアで学習支援を続けるうちに、今の日本では教育を受けるために費用がかかりすぎること、子育てを夫婦ふたり(あるいは一人)で完結しなければいけない社会であることが、親を追い詰める原因になっているのではないかと考えるようになった。
しかし、問題意識をもっていても、自分ひとりで勉強を教えられるのは2〜3人が限界だ。
「この問題に対して、私は何ができるだろう?」と考えた結果、2009年に大学生を組織してより多くの子どもに学習を教えるための学生団体を設立した。
これが3keysの始まりだった。名前には、「きっかけ・きづき・きぼう」の3つの鍵を届けたいという思いを込めたという。
「1+1」が分からない
施設で保護された子どもたちは、小学校や中学校に通っている。
恥ずかしながら筆者は「毎日学校に通えているのであれば、さらに勉強を教えてもらうのは贅沢なのではないか」と感じた。
ところが森山さんの説明を聞いて、これが大きな勘違いであったことを知った。
学校にも行けているのに、なぜ学習支援が必要なのか。
まず、養護施設は子どもたちの命を守り育てる場所であるため、基本的には勉強を教えることをしない。
そして保護された子ども達の多くは、親と一緒に買い物をしておつりを受け取ったり、ものを見せて「これは何かな?」と名前を当てたりする時間をもった経験がない。
森山さんが出会った子どもたちの中には、空に浮かぶ、ふわふわした白いモノの名前が「くも」であることを知らない子や、目の前にあるパンが何個なのか分からないという子もいた。
その段階にいる子が小学校へ行って、いきなり「1+1の答えは何でしょう?」と聞かれても答えられる訳がない。
3keysがしているのは、子どもたちが大人になった時に自分の力で生きていくために、学校でまなぶための準備をすることだ。
小学生になると、急にクラスメイトとの学力比較がはじまる。
それまでは知らないことが多くても気にならなかったのに、周囲の子たちが3回練習すればできることが自分は10回練習しないと身につかないことに焦りだす。
原因は理解力の不足ではなく、幼い頃に受けられるはずだった遊びながらの教育が足りなかったことであるのに、本人にそんな事は分からない。
授業で先生が話すことが外国語のように聞こえて「だから自分はダメな子なんだ」「私は馬鹿だから、お母さんに捨てられたんだ」とやがては自己否定にまで繋がってしまう。
3keysではそんな悲しい思いをする子を減らすため、できるだけ早い段階から一人ずつ勉強のサポートをしていく。
初期のころは市販のドリルを使って勉強を教えていた。
だが、ひらがなが分からないからといって、小学生や中学生の子たちに3歳児向けのアニメが描かれたドリルを渡しても、「幼稚園の子がするドリルはやりたくない!」と受け入れてもらうことが難しかった。
そこで、大人が見ても違和感をもたないようなドリルを独自に開発した。
使い方を教える際にも、「初歩的なことを理解していないから、勉強しなければいけない」など否定的な伝え方はしない。
クイズを出すような形式で、問題を解くのに慣れてもらうようにしている。
ドリルの開発には、大人がつきっきりで補助をしなくてもいいことも重要なポイントだった。
施設のスタッフは、一人あたり何人もの子どもの世話をしている。一日中、勉強を教えていることはできないのだ。
手がかかる教材では継続してもらうことが難しいと考え、大人が説明する部分は最小限でいいように工夫している。
ドリルを解くことが習慣化すると、学校での勉強も徐々に分かるようになってくる。黒板に書かれている内容が分かる、テストの点数が上がることは、子どもたちにとって今まで経験したことのない嬉しい体験だ。
さらには森山さんが予想もしていなかった、こんな効果もあった。
勉強が苦手だったある男の子が、少しずつ学習を積み重ねて授業についていけるようになった。
その子はひらがなが鏡文字になってしまうところから修正をはじめて、テストの点数もクラスの平均点に追いつくようになった。
すると「授業が分からないことから、教室を抜け出してしまう」「授業中に周りの子に話しかけて、進行を妨害してしまう」癖がすっかりなくなったのだった。
彼の姿を見て、施設にいる他の子たちもつられて勉強に取り組むようになったそうだ。
「ないがしろにしていい子どもたちはいません」
今回のクラウドファウンディングは、日常のなかで基礎教育を受けられなかった子どもたちをサポートするための支援拠点を増やしていくことを目標にしている。
今後は、基礎教育の補助が必要な養護施設やひとり親家庭などに配布できるような学習ツールを作成することを目指していくという。
森山さんは「ないがしろにしていい子どもたちはいません。
生まれ育った環境によって子どもの権利が保障されない子どもたちがゼロの社会を実現するために、どうかみなさまのご支援をいただけますようお願いいたします」と支援を呼びかけている。
クラウドファンディングは9月3日まで。詳細はこちら。
(取材・執筆=小松田久美/story’s base Inc.)