あれから3年経ち、震災がぼくたちに何をもたらしたかを考えてみる。3月16日、震災から数日後に書いた自分のブログ記事を読み返してみた。
週が明けて首都圏は混乱しており、会社がしばらく自宅待機になった。震災の重みをまだどう受け止めていいか自分も混乱している様子が書かれている。
読み返して思い出したのだけど、週明けは電車が中途半端にしか動かず、みんな通勤に苦労したのだった。そして会社は自宅待機。首都圏のお店から食料が消え、原発事故はどういう事態なのかはよくわからず、漠然とした不安に包まれた日々が過ぎていった。そしてテレビからCMが消え、「ぽぽぽぽーん」と不思議な唄が繰り返し流された。
そんな奇妙な日々を過ごしながら、被災地の惨状が伝わってきて、ぼくたちは重たい重たい悲しみを背負っていった。重すぎてこの先歩いていけるんだろうかとまた不安になった。
奇妙な日々は徐々に平静な日々に落ち着いていったが、ぼくたちの心持ちは明らかに変わったと思う。
去年2013年の3月、友人からの縁で南相馬市に行った。震災で崩れた家や建物がそのままになっている地域を直接見て、ショックを受けた。何かできることをとブログに書いたのが、次の2つだ。
ぼくらの世代はシラケ世代とか言われ、会社に入ると新人類と呼ばれた。振り返るとバブル世代でもあったらしい。高度成長の産物みたいな世代だ。ぼくたちはふざけていた。大学時代は学園祭でちゃらけ、社会人になると合コンに明け暮れ、六本木で一万円札をひらつかせてタクシーをつかまえた。
友達との会話に政治の話題を持ち込むのはダサかった。社会について語るヤツなんていなかった。世の中をより良くしようなんてお笑い草だった。
マジメは照れくさかった。
震災がやっとぼくたちの目を覚ましてくれた。照れくさがってる場合じゃない。いままで何もしてこなかった分、世の中のためになることをしよう。社会に貢献することをやろう。お金のためじゃなく、人のためになることをやろう。
十年前の自分が見たら、なにそれ、偽善?などとあざ笑いかねないことに、素直に取り組めるようになった。
友人のCMディレクター、新井博子は実際に2つの活動をはじめた。ユニークな活動をする人びとにインタビューして映像アーカイブ化する"Interviewers"。絵像制作者を集めて地域貢献する"PVプロボノ"。十年前にはよく一緒に仕事をしてCMをつくっていた。寝ても覚めても魅力的な映像づくりのことばかり考えている分、社会のこと世の中のことには興味がなさそうだった。リーダーシップを発揮するより個人で活動するタイプだった。そんな彼女がいま、社会貢献に真剣に向き合い、人びとを集めて活動に導いている。
かく言うぼくも、業界のことばかり書いていたブログで社会的なメッセージを記事にするようになった。その中の、赤ちゃんを育てるお母さんの大変さを訴える記事に反響があったのでと、お母さんたちの活動を取材して回っている。
新井博子は、いい人になった。
ぼくも少しは、いい人みたいな活動をしている。
新井博子がいい人になったのは、いい人だと褒められたいからではない。いい人は結果であって、ほんとうに純粋に世の中のためになることを"やらなければならない"と思ったからだろう。
いい人になることは、悪くない。恥ずかしくも照れる必要もない。そんな、ものすごく単純で簡単なことがやっとわかった。やっとわかったことがようやくわかった。3年間かけて自分が何をどう受け止めてきたのか整理がつき、ようやく気がついたのだった。
まだまだ、ある。できることは、たくさん、ある。東北の復興、だけでなく、世の中のため、日本のため、世界のためにできることはたくさんある。そのことを、ぼくはみじんの照れもなく、言える。よかった、と思っている。