被災地支援のNPOアライアンス「ハタチ基金」の共同代表の駒崎です。
今日は311なので、そのまますっと流れないよう、振り返りたいと思います。
■保育士達は深夜まで
311当日はオフィスにいました。僕たちは訪問型病児保育と小規模保育園「おうち保育園」をやっていたので、自分の身と子ども達の命を守るのに必死でした。
保育士さん達は、深夜まで保護者の方々を待ちました。誰一人として、子どもを置いて逃げ出すこともなく。そしてその保育士が帰るのを待ち、オフィスでも深夜までスタッフ達が残りました。
こんな非常事態の中で、僕に指示されなくても「人の命を預かる」ことの重みを理解し、全員が責任を果たしたことに、仲間ながらに尊敬の念を抱きました。
福島では外で遊べない
震災後、福島出身の妻の友人達から、「子どもを外で遊ばせられない。どうしよう」というメールが妻のもとに来るようになりました。原発事故と放射能の不安のせいで、子ども達は常に家にいざるを得ませんでした。
遊びは心の栄養です。遊びが制限されることで、小さな子ども達の情緒はどんどんと悪化していきました。
それならば、我々フローレンスは、中央区で「グロースリングかちどき」という子育て支援施設を運営していて、そこで屋内公園をやっていたので、こういうのを福島につくれば良いんじゃないか、と思いました。
でも、東京をベースに活動している我々が、どうやって・・・と。途方に暮れました。
■「ハタチ基金」結成
そんな中、大学の頃からの友人、NPOカタリバ代表の今村久美から連絡をもらいました。
「ねえ、駒ちゃん。被災地の子どもたちを支援しよう。私たちで。」
当初僕は、「いや、無理だよ。そんな経験もないし。東京だって大変だ。それにお金もないし」と躊躇しました。
「大丈夫だよ。子どもの支援をするNPOが集まって、一緒になって寄付や助成金を集めれば、きっとやれるよ。」
彼女の使命感に「あてられ」、そうだ困っている子どもたちを助けなきゃ、と一歩踏み出しました。
子どもの課題を解決するNPO(フローレンス・カタリバ・CFC・トイボックス)で、「ハタチ基金」を立ち上げました。
幸い、多くの方々が寄付してくださいました。その中には、あの孫正義さんもいらっしゃいました。
被災地支援の経験もない僕たちは、ただただ何とかしなきゃ、ということで動き始めたのです。
■動き出す支援
僕たちは、被災地から東京に避難してきた母子たちが、孤立していたり預け先がなかったりしていたことに注目し、「避難家庭一時保育サポート隊」をつくり、ベビーシッターを無償で提供しました。
さらに現地で、塾が流され受験生達が大変な思いをしている、ということがあったので、ベネッセさんにお声がけをしたら、約1000世帯分の進研ゼミを無償提供してくださることになりました。
これを「希望のゼミ」と名付け、我々が現地の学校等に入っていって、受講生を募集して回りました。仮設住宅だと集中しづらい、という話もあったので、石巻には無償学習室もつくりました。
ハタチ基金の仲間達は、女川に放課後の学習教室をつくったり、学校外教育バウチャーを提供したり、発達障害の子ども達のためのラーニングセンターをつくったりしていました。みんなしゃかりきでした。
■福島の子ども達に屋内公園を
そして福島に、屋内公園をつくろう、と物件を探し回った結果、Twitterで繋がったのが、当時の西友の副社長の金山さん。郡山市のザ・モール郡山という西友の中で、わずかながら空いた店舗スペースがあり、そこを使わせて頂けることに。
下着屋さんと本屋さんの間の小さなスペースでしたが、そこを改装し、「ふくしまインドアパーク」を開設しました。多くの人々が遊びに来てくれました。南相馬からは地元の保育園の園長さん(近藤さん)が来てくれて、「ぜひ南相馬にも!」と説得され、じゃあ南相馬でもやろう!と2園目をオープンしました。
■移り変わるフェーズ
震災から2年経ち、3年経つと、徐々に日常が戻り始め、当初のインフラが足らない「復旧支援」的なフェーズから、「経済復興支援」のフェーズに移ってきました。
地元の塾業者の方から「無料自習室や無料の通信教育があると、私たちが生活していけない」というご意見を頂き、自分たちの事業が、地域の経済復興を邪魔しているのではないか、と気づき、「希望のゼミ」を徐々に終了させていきました。
郡山市も南相馬市も、屋内公園を税金を使って役所が造る、という計画を発表し、寄付でつくり、運営してきた我々の役割もバトンタッチできることになりました。南相馬のインドアパークは、ハタチ基金の仲間のトイボックスに引き渡し、障害児のラーニングセンターとして生まれ変わることに。
■復興のための、待機児童解消
被災地の復興、特に経済成長を支えるために、自分たちのできることは何だろうか。そう思った時に、仙台の方から待機児童問題の酷さを聞くことがありました。東北一の都市、仙台市が経済を引っ張っていかなくてはならないのに、当時は仙台市が待機児童数、東北一。
子どもを持った母親は働きづらく、低所得世帯であれば、片方が働けなかったら非常に大きなダメージを負う。さらにマクロで見ても、労働人口が減っていくのに、女性が働けなければ、経済成長はおぼつかない。
東北経済圏の中心、仙台で女性が活躍できる環境をつくらねば、復興はおぼつかない。
だとしたら、我々の「小規模保育」というソリューションが、ここで役に立つに違いない。そう思い、仙台で「おうち保育園」を開園しました。同時に、自分たちが小規模保育園を作るだけでなく、小規模保育という型自体を広げていこう、ということで、「全国小規模保育協議会 仙台支部」を、地元の仲間とともに立ち上げました。
■循環する支援
先日嬉しいことがありました。「希望のゼミ」で進研ゼミを無償提供することでサポートしていた当時の南三陸の中学生が、大学生になって、フローレンスの学生インターンに応募してくれました。
支援される立場から、支援する立場へ。
そうした循環が、生まれ始めています。
■これからの課題
しかし、もう課題はないのでしょうか。
いえ、いまだに原発避難者へのいじめは、続いています。
原発避難いじめ実感 福島64% - Yahoo!ニュース
つい先日も、ママタレントの方が、「周りが食べてないから、福島のお米は食べてません」と「正直に」言いました。
くわばたりえ 福島産米に本音「みんな買ってないから、私も」
今や福島の米は、日本で一番しっかりと検査を受けている米なのに。
その他の地域でも、震災によって少子高齢化の針を10年先に進めてしまい、衰退が加速されている地域も多々あります。
いまだに3万3800人あまりの方が、仮設住宅に住まわれています。
そういうこともあって、僕たちは、もうしばらく被災地と伴走させてもらい、事業を続けていこうと思います。
被災地の未来を担う子ども達に、何ができるか。刻々と移り行くニーズに耳を澄まし、その時やれる支援を、精一杯。
みなさんの肩の力の抜けた、でも息の長い応援を、僕たちは求めています。
ハタチ基金
(2017年3月11日「駒崎弘樹公式サイト」より転載)