30歳になりました。いま、癌と闘っています。

30歳になった所信表明として、いまの想いを書いてみたいとおもいます。
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米良はるか

私も今日で、30歳を迎えました。そんなタイミングで、皆さんにご報告ですが、現在私は悪性リンパ腫という血液の癌にかかっており、少し社長業をお休みさせてもらっています。

今日は少し長いのですが、30歳になった所信表明として、いまの想いを書いてみたいとおもいます。

今年の5月。左の首に異変を感じ、夜間の大学病院にいきました。

普段は忙しくしているので、体調が悪くても病院にいくことはないのですが、

なぜかこのときは、行くべきだと思ったんです。

その日は、詳しい検査はされず、おそらく、炎症性のものだから、心配することないと先生にいわれ、安心していましたが、2週間たっても、腫れは引かず、別の大学病院で再度診てもらう事に決めました。

「咽頭癌か、悪性リンパ腫か、良性の炎症ですね」。

先生からこの言葉を聞いたとき、今まで良性と言われていたので、選択肢の2/3が「癌」であることに驚き、同時に、恐怖で頭が真っ白になりました。

今まで一度も入院経験のない私が、まさか、それも「癌」を患うなんて...

生体検査の手術を受けるタイミングは、私たちの会社の4期目を迎える直前でした。

会社から抜ける事、そして、自分の未来に保証がないこと。恐怖があふれてきて、正直、会社の代表として、走り続ける自信がなくなっていました。

「こんな弱虫な社長、最悪だ... 誰もこんな気持ちの人について行きたくないよ」

社員のみんなの声が聞こえてくるようでした。

でも、言わなくては。最初に、今まで隣で一緒に走ってきた取締役の樋浦さんに相談しました。

「そうですか...でも大丈夫です。READYFORは、僕らが守るから」

今まで心のどこかでずっと一人で走っていた感じがしていました。でも、彼の表情を見て、「私は、会社という【家族】を作ってこれていたんだ。辛いときは、頼っていい。任せよう」と勇気づけられました。

世間からみたら、情けないかもしれない。ダメな社長かもしれない。でも、このきっかけをチャンスと捉え、さらに強い組織になるんだ、そういう時間を神様がきっと与えてくれたんだ、この瞬間から私は頭を切り替える事が出来ました。

そして、7月から私は長期療養に入りました。とはいうものの、実は、想定していたよりも、副作用が強くなく、聞かされていた吐き気もなく、ある程度自由に動けるため、この闘病期間を学び直しの時間として、動いております。

また、まかせきりの会社も順調で、私の不在も影響なく(笑)、新しい体制で成長させていただいております。ということで、私が戻ったらこの会社が、この時代に必要な仕組みとして、さらに高い価値を提供できるように、面白い仕掛けを考え、世に出していこうと思っています。

お休みしている中で、いくつか思ったこと。

1、途中で立ち止まる事は悪い事ではない

20代最後の歳に、ゆっくり自分に向き合う時間をもらいました。今までアウトプットばかりになっていた知識を増やすべく、100冊を目標に、本を読む事にしています。特に哲学(西洋も東洋も!)、日本史(特に幕末〜昭和史で半藤先生を読破しました!)、経済学(アダムスミスとか、フリードマンとか)等、本来学生のときに学ばなければならないことを学び直しています。(いつか20代が読むべきオススメ本100冊!とか出版しようかな。)

突然訪れた立ち止まる時間でしたが、人生100年時代と言われている2017年に生きる私たちには、「たっぷり時間があるのでは」と思うようになりました。(幕末の志士なんて、20代で国のリーダーになり、40代で死ぬというスパンを考えると、人生2.5倍もある!!)100年を存分に生きるためには、幾度か立ち止まってしっかり新しい知識をインプットをし、そしてまた走り出す。未来予測が難しいこの時代に生まれたからこそ、立ち止まる事が人の可能性をのばし、そして、充実した一人一人の人生を生み出すんだということを確信しました。

2、究極の場面では、守ってくれるのは、お金ではなく、人と人との信頼だ

悪性リンパ腫と診断された日、旦那さんと一緒に、複数の知り合いのお医者様に連絡させていただき、自分の診断結果を伝え、どのように治療に臨めばよいかを聞きました。

すると、皆さん、悪性リンパ腫なら、○○先生(名前出していいのかわからないのでひかえます)に診てもらうべき、と回答が一緒でした。ですが、そのエライ先生の予約がとれるのか?お金はいくらかかるのか?その不安は杞憂におわりました。親しい友人と、私のメンターが、仲介してくださる教授を紹介してくれ、結局、診断から3日後にはその名医に基本料金で予約する事ができました。まさに友達さまさまです。

最終的には、私の病気は、標準医療が確立した病気であったことと、診断してくださった病院の医師との信頼関係が出来ていたので、家の近くの大学病院に通院となりました。

何を言いたいかというと、究極の問題解決の道は"お金"ではなかった。代わりに、自分のために一生懸命になってくれる人がいて、その人たちのつながりで、私の命は助かったということです。人のつながりのほうが、お金より高い成果を生むという事を肌で感じた、良い事例になりました。

これって、クラウドファンディングの構造と共通するのではと思います。クラウドファンディングは、日頃培った人間関係のもとで自分を信頼してもらい、お金を出してもらう手段であるわけです。ということは、スタートは「信頼」だという事ではないでしょうか。信頼こそが財産で、それを大事に生きて行く事が、一人一人の生きる軸になるのではないかと思いました。

今の想いは、一旦ここまでにしておきます。

嬉しい事に、発見が早く、転移がない状態で見つかったこともあり(ステージ1ってやつです)、治療の薬がしっかり効いてくれて、もうすぐ治療も終わる予定です!お休み中、お仕事やプライベートのお誘いを沢山の皆様に頂きましたが、治療の初期だったこともあり、本当のことをお伝えせず、お断りをしてしまい申し訳ありませんでした。もうすぐ復帰ができるので、復帰後に皆さんとお会いできる事を今から楽しみです。快気祝い等のお誘いもお待ちしています!笑

20代最後の4ヶ月、会社から離れ、黙々と本を読み、これまでの人生を振り返り、30歳からの自分、会社、そして社会について深く考え、決断できたように思えます。病気がきっかけでしたが、こんなに豊かな時間を作れたことに感謝しかありません。人間にはそれぞれ使命がある、私にはそれを感じずにはいられない時間になりました。

最後に、この弱い社長を支えてくれた、レディーフォーのみんな、毎日支えてくれる両親、そして、入院中、毎日病院に来て、泣きながらハグしてくれた、イケメンな旦那様。本当にありがとうございます。絶対元気になって、もっと会社を面白くするので楽しみにしていてね。

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米良はるか

◇◇◇

米良さんの許可を得て、2017年10月20日のnoteから転載しました。