『新・週刊フジテレビ批評』という番組がある。土曜日の早朝5時という、生で観るには絶望的な時間に放送している番組で、テレビ番組で唯一と思える、テレビを軸にしたメディア論の番組だ。2年前に『テレビは生き残れるのか』を出版した時に声をかけてもらって出演して以来、時々コメント出演したりしている。
先週の土曜日、12月14日の放送にもちろりと出演した。今回は「キーワードで振り返る今年のネットメディア」というテーマで、そのキーワードを挙げてコメントする3人の中の一人として呼ばれた。他は週刊アスキー編集長代理・伊藤有氏、ニコ動の運営会社ニワンゴ社長・杉本誠司氏というそうそうたる面々で、なんでぼくなんかがそのお二方と並んで呼ばれたのかわからないが、まあ頑張って喋った。
15分くらいは喋ったのだけど、当然3人のコメントを編集して使うので実際に使われたのは合わせても数十秒程度。でもせっかく頑張って喋ったので、ここであらためてぼくが選んだ5つのキーワードとその解説を書き留めておこうと思う。
1)ネット選挙解禁
最初にあげたのがこれ。今年のネットメディアで起こったことの中で最重要といえば最重要だと思う。ただし、ネット選挙解禁が実際に政治に効力を発揮したかは別。その点はむしろ"空振り"だったと言えるだろう。ネット上での政治論議が活発になったとも言えなかったし、若者の投票率がとくに上がったわけでもなかった。選挙そのものが争点を見いだせず、あまり盛り上がらなかったせいもあるだろう。
ぼくはネット選挙解禁には非常に注目して、6月29日には私的勉強会イベント"境塾"でこれをテーマに据えて開催した。二人の若者がネット選挙に関係する活動をしていたことをとらえ、そのお二人を招いて話してもらったのだ。ネット選挙解禁を促すOneVoice運動の中心人物・江口晋太郎氏と、日本政治.comというサイトを運営する現役東大生・鈴木邦和氏。ネット選挙が空振りだったとしても、ネットを入口にこうした若い人たちの自由な活動がはじまったことは大きいと思う。
次の選挙で、もっと大きな争点が浮上した時、ネットが濃厚な言論の場になる可能性はある。今回はそのための第一歩だったのだととらえたい。
2)ソーシャルゲーム
ソーシャルゲームがプラットフォーム型から個々のゲーム単品型にシフトし、GREEとモバゲーが、あっという間に凋落した。つい最近まで、テレビCMの商品別のオンエアランキングでGREEとモバゲーが1・2フィニッシュしていたものだった。(Garbagenewsのこの記事などを参照)でも今年のソーシャルゲームの主役はご存知の通り、パズドラに取って代わった。栄枯盛衰ということだ。これはスマホの普及の影響だがそれはあとでふれよう。
3)ネットのモラル
いわゆる"バカッター事件"などの話。これがいちばん2013年を象徴するキーワードかもしれない。
説明の必要はないだろう。コンビニの冷蔵庫に入った写真とか、お馬鹿な行為を自分でもしくは仲間で写真に撮ってtwitterにあげて大炎上。中には損害賠償を突きつけられた例もあった。
こういうことがなぜ起こるか。いま、若い人、ティーンエイジャーの中で、最初はLINEを使っていて、twitterも使うようになった人が増えているのだ。もっと上の世代は、ソーシャルといえばまずtwitter、それからFacebook、そして最近はLINEも、という流れだったと思うが、ティーンエイジャーでは順番が逆なのだ。
LINEは友達同士のクローズな、ソーシャルというよりコミュニケーションツールだ。これはそもそも、ガラケー時代にメールでやっていた友達とのやりとりの延長なのだ。ガラケー時代には「いま映画終わった」とか「腹減った」とか、そんなことメールで伝えるか?というようなやりとりを煩雑にしていた。LINEに置き換えてこれがますます便利にできるようになった。LINEはガラケーのメールの代替サービスなのだ。
LINEと並行してtwitterもはじめた若者たちの中には、その違いが身体でわかっていない者が多々いる。LINEは言わば部室や校舎の裏でこっそり集まってダベっているような状態。twitterはそれが学校の外に出てあらゆる人が通る大きな広場にいるようなものなのに、フォローしあっているのが友達だけだと、まだ部室感覚を引きずってしまう。それがバカッターをあちこちで生み出すに至ったのだとぼくは推測している。
バカッター事件とは別に、twitterがすっかり揚げ足取りの場のようになってしまったのも、2013年だったのではないだろうか。2年前くらいからはじまってはいたが、今年はもうすっかり殺伐とした場になってしまった気がする。誰かが失言するのを大勢で待ちかまえている、大袈裟に言うとそんな状態になっている。
4)キュレーション(ニュースアプリ)
キュレーションという言葉は、図書館や美術館の"キュレーター"と源を同じくする言葉で、今の使われ方は、多様な分野で専門知識をもとに情報を咀嚼して仲介する行為のことだ。ITジャーナリスト佐々木俊尚氏が使ってから知られるようになった。
佐々木氏が『キュレーションの時代』という本を出版したのは2011年の春だった。その時は"なんだか小難しい概念だなあ"という受け止められ方をしたと思う。実際、今だってキュレーションという言葉が一般化したとは言えないだろう。
ただ、キュレーションするアプリを使う人は多い。ニュースのキュレーションサービス、SmartNewsとGunosyは今年の大ヒットアプリだ。この二つともぼくは使っている。それぞれの嗜好に合わせてニュースを選んで見出しを見せてくれる便利なアプリだ。
キュレーションは今後ますます必要になってくるとぼくは考えている。ニュース以外にも例えば書籍や音楽、映像などをキュレーションしてくれるサービスがあると便利だと思う。もっとマニアックな分野、鉄道が好きな人のためのキュレーション、スノーボードに関するキュレーション、といった具合に特定のコミュニティ向けもありえるかもしれない。
最近自分でも痛感するのだが、情報が多すぎて何が自分にとって大事な情報なのかもわからなくなっている。ソーシャルはそんな中での一種のフィルタリングの役割も果たしているが、それとは別に、あるいは重なる形で、キュレーションはいろんなレイヤーで求められるようになると思う。
5)スマホの日常化
フジテレビ批評では「日常化」としたが、普及とか一般化とか言った方がよかったのかもしれない。誰しも感じているように、いまやケータイ電話を買うと言えばそれはスマートフォンを購入することとイコールだ。普及率は当然のごとくぐいぐい上昇していく。今年はそれがいわゆるキャズムを超えて現時点で4割程度の普及率になっているそうだ。
先にあげたキーワードも、ネット選挙以外はそもそもこのスマホの普及に起因している。ガラケーからスマホにみんなが移行して、ソーシャルゲームがプラットフォームから単品のゲームに主役交代し、でもまだコミュニケーションのモラルに慣れず、キュレーションが必要になってきた。ぜんぶスマホのせいだ。
PCが売れなくなっているそうだが、そもそもPCとは仕事用のデバイスだ。前のめりでキーボードにタイピングする。これは自宅には向いてなかったのだ。お父さんが仕事を持ち帰るために、家でもPCを使うようになり、それを使ってお母さんが家計簿をつけたり子供が宿題の作文を書いたりしはじめたが、それらは結局それぞれの"仕事"のために使われた。時にはリビングルームにもPCが持ち込まれたが、どうにも馴染まないデバイスだったのだ。
スマホはリビングルームでも頻繁に使われる。そしてできることはPC並、いやそれ以上だ。リビングルームにPCと同等の機能を持ち込んだのがスマホだ。そして前のめりではなく、ゴロゴロしながらリラックスして操作する。コンピュータはついに、仕事の道具という重たい役割から解放され、リビングルームに進出することができたのだ。
キャズム越えを果たした今、そこからもたらされる影響は計り知れない。これから、あらゆる分野で一種の革命が起こるだろう。映像で言えば、ネット動画を見る、ということが格段に増えるだろう。サービスもそれに合わせてさらに便利になったりコンテンツが充実してきたりする。
YouTuberと呼ばれる新しいタレントが活躍しはじめている。マスメディアを介さず、リビングルームにも進出できている。彼らが、彼ら自身の発信力とソーシャルネットワークによって、"日本のお茶の間を賑わす有名人"になる可能性がある。というかそんな動きはもうはじまっている。
11月に「テレビの未来を担う、セカンドスクリーンは定着するか」という記事を書いたら、"ファーストスクリーンはテレビではなくスマホじゃないのか"という意見が出ていた。それはまさしくその通りで、これからはスマホ・ファーストでコミュニケーションを考えた方がいいだろう。テレビ番組も、スマホでいかに観てもらえるか、観やすくできるかが問われるようになる。
その準備は、もうはじめた方がいいと思う。
コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家
境 治
sakaiosamu62@gmail.com
(※この記事は、2013年12月16日の「クリエイティブビジネス論!~焼け跡に光を灯そう~」から転載しました)