日本的リーダーシップの源流「菩薩道」―あすか会議2013(仏教と経営 特別編1)

住職という仕事は、2つの重い役目を両立させなければならない難しい仕事だと思います。ひとつには、宗教者。皆からの期待に答える宗教者になるというのは、これはなかなか大変なことです。そしてもうひとつは、経営者。お寺といえども現代では宗教法人という法人であり、住職はその代表役員です。お寺が社会の中で果たすべき役割をしっかり果たせるように導く経営者としての側面があります。
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約2500年の歴史を持つ仏教。その教えは衆生を救い、寺院という組織は、人を養い、祖先を祀り、人々の集うコミュニティ、そして文化の発信地として、長い歴史をつくり上げてきた。最古の組織ともいえる仏教。そのサステイナビリティ(持続可能性)は、果たしてどのようなマネジメントに裏付けられてきたのか。企業経営との共通点はあるのか――。過日、世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーズにも選出された松本紹圭氏による「仏教と経営」。今回から2回にわたっては特別編として「あすか会議2013」でのご講演内容を、ご自身の著述によりお届けする。

先日、グロービス経営大学院のカンファレンス「あすか会議2013」で「仏教とマネジメント」という分科会セッションを担当させていただきました。ビジネス系のテーマに紛れてかなり異色の内容でしたが、おかげさまで大勢の方にご参加いただき、とても嬉しかったです。当日お話しした内容を、こちらで共有させていただきます。

宗教者と経営者という異質を架橋する住職という仕事

私は仲間と共に一般社団法人お寺の未来にて「未来の住職塾」を主宰しています。宗派を超えて僧侶が集い、これからのお寺のあり方について学び合う「未来の住職塾」では、多くの住職方と交流をさせていただく機会があります。これからのお寺の運営について、講師を頼まれることも増えてきました。

先日、臨済宗妙心寺派のご住職とお会いする機会があり、このような依頼がありました。「ぜひ、これからのお寺運営について、若手の住職たちにお話しをしてくれませんか。臨済宗のお偉方は、なかなか昔堅気の人も多くて、『住職たるもの、やれイベントだ、やれ経営論だなどと、余計なことに手を出さずとも、早起き、坐禅、掃除、托鉢、自給自足の生活をしっかり続けていれば、自ずと寺を支える人が集まってくるものだ』という雰囲気がいまだに強い。でも、そうは言っても、これからは経営論とかも必要になってくると、若い人たちも気づいています」。

私はそれに対して、こうお答えしました。「私は、宗派のお偉い方々が仰っていることには、全面的に賛成です。僧侶としての本分をしっかり果たしていれば、他に何も心配する必要などありません。私の役目はむしろ、なぜ僧侶としての本分を果たしていれば、何も心配する必要などないのか、その飛躍に橋をかけることだと思っています」

住職という仕事は、2つの重い役目を両立させなければならない難しい仕事だと思います。ひとつには、宗教者。皆からの期待に答える宗教者になるというのは、これはなかなか大変なことです。そしてもうひとつは、経営者。お寺といえども現代では宗教法人という法人であり、住職はその代表役員です。お寺が社会の中で果たすべき役割をしっかり果たせるように導く経営者としての側面があります。

経営者と宗教者。この2つの重い役目は一見両立が難しいように見えます。しかし私は、これらをそれぞれ突き詰めていくと最終的には統合されていくものだと思います。経営者として最初は法人運営のイロハを学ぶ必要がありますが、だんだんそのような知識やスキルの必要性は下がり、次第にリーダーとしての人格が求められるようになります。一方、宗教者としても最初は教義や儀礼などの知識やスキル的なものが重要ですが、その後はそれを人生においてどのように示していくか、姿勢や実践が求められてきます。どちらにしても、最終的にはリーダーシップの問題に収斂されていきます。

自らが実践し歩む・・・すべての道の源流とも思える「仏道」

ここで、経営者が担う「経営」の「経」という字に目を向けると、これは宗教者が勤めるお経の「経」でもあります。双方に通底するもともとの意味は「縦糸」や「物事の道理」。いずれも、真っ直ぐに物事の道理を通していくという文脈で相通じている。どちらも「道」が肝心であるという点において同じなのです。

ところで、実は「仏教」という呼び方は近代に入り、宗教(Religion)という考え方がもたらされてからの浅い伝統しかなく、本来は「仏道」と呼ぶほうがふさわしいものです。経典に書かれた教えを読んだり聞いたりするだけでなく、自らが実践し歩む道であるということです。こちらのコラムでも以前書きましたが、私は「仏道」はすべての道の源流といってもいいのではないかと思っています。

江戸時代の禅僧、鈴木正三は、自らの生業において勤勉に働くことがそのまま仏道修行となることを強調しました。キリスト教におけるプロテスタントの考え方にも重なりますが、世俗のなかにこそ真の仏道があると考えた正三は、農民は農民として、職人は職人として、商人は商人として、日常的な仕事に打ち込むことが、すなわち人格の完成につながる修行であると説きました。このような職業観は、多くの日本人が心の奥底で共有しているもののように感じます。

究極的には、誰しも人は、誰にも代わってもらうことのできない道を歩いています。自分自身の人生という道を通じて、道理を学び、身につけていく。

道の先には何があるかといえば、おそらくそこには執着心を離れた心、自由自在な心があるのだろうと思います。

どのような道でもいいですが、どなたか「道の達人」を思い浮かべてみてください。共通するイメージは、型を完璧に押さえてはいるのだけれど、だからこそ、それを破り、離れていくことができる。守・破・離ですね。そういう人は、自由自在、とらわれから離れたところにいるように見えます。

経営フレームワークとしての「仏道」

さて、日本的「道」の源流として仏道を見たとき、それは別の言い方をすると、菩薩道とも言えるでしょう。一言で仏道といっても、世界には様々なバラエティがあります。その中で、インドから中国を経て日本へ渡り花開いた極めて豊かな仏道は、大乗仏教の精神の上に展開しています。出家者だけでなくあらゆる人に開かれた日本の仏道は、菩薩道として開かれてきました。

菩薩とは何か。菩薩は、分析的・理論的な知(知識)とは根本的に異なる、直観的・総合的な特徴にあふれた「智慧」により、いっさいを直覚し洞察します。また、他者を救おうと願う「慈悲」により、常に他者と交わり、他者のために尽くす利他の実践が伴うのが、菩薩の特徴です。

いかなる道であれ、道を歩むということが菩薩道に通じているとするならば、それは「智慧」と「慈悲」を磨くことにつながります。すべての人に開かれた大乗仏教精神では、人はそれぞれの立場で自分の器量に応じた役割を果たしながら、その道を歩んでいくのです。その意味で、菩薩道はいわば、日本的なリーダーシップ探求のあり方でもあります。

さて、すべての「道」を歩む者に求められるものは「道心」(どうしん)です。道心とは道を修めようとする心、仏道を究めようとする心です。最澄は、この道心をもって生きる人こそが、国の宝であると示しています。どのような仕事であれ、そこに自分の道を見いだし、自己探求を続けるならば、その人は道心の持ち主です。このような人の輪が広がれば、国も自ずから豊かになるはずです。

最澄はまた、「道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし」とも言われています。 道心がなければ、いくら物質的に恵まれていても無意味であり、道心があればこそ、恵まれた心と生活が生まれるというのです。裕福や貧乏にかかわりなく、真剣に道を求めてその道に打ち込む人には、必要最小限の衣食住は自然と備わるので、余計な心配は必要ないということでしょう。

このことは、企業などの組織体においても言えることではないでしょうか。ダライラマ法王が、ビジネスマンの方との対話でこのような趣旨のことを仰っていました。「人はごはんを食べなければ死んでしまうけれども、だからといって、ごはんを食べるために生まれてきたわけではないでしょう。同じように、企業も利益を生まなければ存続できないけれども、だからといって、利益を生むために存在しているのですか?」と。

自己を高めて菩薩の道を修めようとするには、まずは自己を謙虚な姿勢で振り返り、心を柔軟にするための覚悟や戒めを持ち、努力することが大切なのです。

智慧は「空」、慈悲は「利他」の体得と実践により磨かれる

ところで、菩薩の特徴である「智慧」と「慈悲」は、どのようにしたら磨くことができるのか。

「智慧」を磨くということはすなわち、「空(くう)」を体得し、実践することであると思います。「空」というのは「あらゆるモノ・コトは、つねに他のモノ・コトと深い相互依存の関係のうえにはじめて、そのモノ・コトとして成立しており、その存在から運動や機能までのすべてに、自己同一も単独の自立もあり得ないということ(『仏教入門』より)」と言われますが、それを体得した境地は、「こころにとどめながら、とらわれない」という境地でしょう。

また、「慈悲」を磨くということはすなわち「利他」を体得し、実践することであると思います。「利他」というのは「他者に対する善い行ない。自らがあらゆる縁のおかげさまで成り立っていることを自覚し、他者の道心を呼び覚まし、その人が自らの道を確かに歩むことを願い、また、その助けを行うこと」でしょうから、それを体得した境地は、「おかげさまの思いで、他者のために努め励む」という境地でしょう。

さて、菩薩による「慈悲」と「智慧」の実践は、「こころにとどめながら、とらわれない。おかげさまの思いで、他者のために努め励む」というものでした。では、このような菩薩が集まったらどのような組織を作るのでしょうか――。そこにもしかしたら、日本的経営の理想型があるかもしれません。

そこで次回は、コンサルティングファーム出身で、ビジネスにおけるマネジメントの経験も豊富なもう一人の「未来の住職塾」講師である井出悦郎とともに思索した、「菩薩の組織の5つの特徴」をご紹介いたします。

2013年7月31日に「GLOBIS.JP」で公開された記事の転載です)