「お礼をしたい」14年前に仙台駅で僕を助けてくれた、片腕のJR職員さんを探しています

ジャッド・クレイマーさんは2005年に、宮城県で地震に遭遇。帰れなくなった時に手を差し伸べてくれた人がいました
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アメリカ・ハーバード大学で教鞭をとる経済学者のジャッド・クレイマーさんは、14年前の2005年に旅行先の宮城県・仙台市で大きな地震に遭遇して横浜に戻れなくなった。  

その時に宿泊費を払って彼をホステルに泊め、帰りの新幹線に乗せてくれたJR職員がいた。  

当時は日本語がわからず、きちんとお礼を伝えられなかったクレイマーさん。会って感謝を伝えたいと、その時の恩人を探している。

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ジャッド・クレイマーさん
Kazuhiro Sekine / Huffpost Japan

クレイマーさんによると、助けてくれたJR職員は30代くらいの若い男性で、片腕だった。

14年前のことなので記憶の全てが正確ではないかもしれないが、と前置きをした上で、クレイマーさんが当時のことを振り返った。

■14年前の出来事

2005年8月、クレイマーさんはニュージャージー州の公立高校在学中に出会った二人の日本人クラスメートを訪ねて、はるばる来日した。

当時高校を卒業したばかりの彼は、18歳。初めての一人旅で不安もあったが、大学入学を前に、日本を訪れてみたい気持ちが強かった。

友人は受験勉強で忙しかったため、クレイマーさんはJRレールパス(海外からの観光客用の、割引乗車券)を使って日本各地を一人で旅した。

地震が起きた2005年8月16日は、友人宅のある横浜から日帰りで宮城県・松島に向かっていた。

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2005年、日本の友人宅を訪れた際に撮影した写真
Judd Cramer
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築地市場で撮影
Judd Cramer

地震が起きたのは、仙台駅で乗り換えをした直後だ。当時の記録を調べると、この日宮城県で、最大震度6弱の地震が起きている。

クレイマーさんも揺れを感じたが、地震を体験することは初めてだった。「頭上を走る新幹線の振動だろう」と思ったという。

しかし、周りの乗客が次々に降車していく。クレイマーさんも状況が飲み込めないまま、駅員に促されて電車を降りた。

降車後は駅構内に避難した。周りには同じように避難していた人たちがたくさんいたが、アナウンスされる情報は日本語ばかり。「日本語がわからない状況で、周りに英語を話す人もいなくて、何が起きたかわかりませんでした。混乱して怖かったです」とクレイマーさんは振り返る。

駅に設置されたテレビで地震のニュースを見て初めて、地震が起きたことを理解した。

 ■ 不安でパニックに。そこに現れた救世主

そのうち、新幹線が運休になったらしいとわかった。

クレイマーさんは焦った。持っていたレールパスは、その日が有効期限最終日。翌日になれば、新幹線に乗れなくなってしまう。

しかも、日帰りの予定だったので現金をほとんど持っておらず、外国のクレジットカードを受け付けてくれる場所もほとんどなかった。

英語を話す人はいなかったが、クレイマーさんは仙台駅の駅員に「今日中に帰らなければいけない」と必死に説明した。その中の一人が、助けてくれた男性職員だった。

「彼も英語を話さなかったのですが、私が絶望的な状況にいると理解してくれたようでした」

その職員は、彼を近くのホステルに連れて行き、部屋代を払ってくれた。

翌日仙台駅に戻ると、持っていたクレイマーさんのレールパスは使えなくなっていた。しかしあの職員が出てきて、クレイマーさんに新しい新幹線のチケットをくれた。

おかげで彼は、無事に友人の家に戻ることができた。

■14年ぶりの仙台、しかし恩人には会えず

仙台駅での経験は、その後の自分に大きな影響を与えた、とクレイマーさんは話す。

「日本では、たくさんの人に親切にしてもらいました。しょっちゅう道に迷ったのですが、いつも誰かが助けてくれました。友人や友人の家族も、いつも僕のことを気にかけてくれました」

「その中でも、仙台駅での出来事は忘れられない思い出です。それまで日本語を勉強しようと考えたことはなかったのですが、大学に入ってから日本語の勉強も始めました」

帰国後、クレイマーさんはノースウェスタン大学に入学。その後プリンストン大学にて経済学の博士号を取得し、大学院在学中にはオバマ政権下ホワイトハウスで大統領経済諮問委員会に所属して、経済担当(スタッフ・エコノミスト)として勤務した。 

現在はハーバード大学にて、シェアリングエコノミー、労働経済、スポーツ経済などの研究をするかたわら、講師として教えている。

また、1年前からは日本人若手起業家が設立したスポーツベンチャー企業のコンサルティング業務も担っている。

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ホワイトハウスで働いていた頃のクレイマーさん
Judd Cramer
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左から3番目がクレイマーさん
Judd Cramer

18歳の時に助けてくれたJR職員にきちんとお礼を言えなかったことは、今でもクレイマーさんにとって心残りになっている。

「あの頃は、日本語でどうやって感謝を表したらいいのか、わかりませんでした。日本語を勉強した今なら、日本のやり方でお礼が言えます。でもあの時は、きちんとお礼を伝えられないまま横浜に帰ってしまいました」

「もし会えたら、お礼をして、あの時にどれだけ助けられたかを伝えたい。そして、日本の人たちにとても親切にしてもらったことがきっかけで日本語を学ぶようになったことや、経済学者として日本発のビジネスに参画していることをご報告できたら嬉しいです」

2019年7月、クレイマーさんは出張で再来日した。来日してすぐに、JR東日本に問い合わせ、当時の経緯を説明して人を探していることを伝えた。しかし、個人情報保護の観点から有益な情報は得られなかった。

なんの手がかりもないまま、帰国日が迫る焦燥感にかられて、クレイマーさんは仙台駅を再訪することを決意した。

本人に会えなくても当時を知る人がいるのでは……と期待してクレイマーさんは7月9日、14年振りに仙台駅に降り立った。駅長や職員たちに話を聞いたが、残念ながらそのJR職員のことを知る人はいなかった。

クレイマーさんはつい最近、見知らぬ人から飛行機代を借りた沖縄の高校生が、ニュースで取り上げられて恩人を見つけたことを知った。

自分の経験も、多くの人に知ってもらうことでJR職員を見つける手がかりにつながるのではないか、とクレイマーさんは願っている。

クレイマーさんを助けてくれたJR職員について何かご存知の情報があれば、satoko.yasuda@huffpost.jp までご一報ください。編集部からクレイマーさんにご連絡します。

【続報(8月2日14時32分)】

記事を掲載後、JR東日本仙台支社の広報担当者に取材をしました。