■特別な年/転機:1995年
歴史を遡ると、何かただならぬ因縁や気配を感じたり、強烈に人々の意識に焼きつく年というのがある。大事件や災害等が立て続けに起きる年もそうだし、何かが象徴的に始まったり終わったりする年、その時代を象徴する人が死んだり、後に大活躍する人が頭角を現したりする年もその候補と言えるだろう。
いわゆる印象的な、あるいはドラマチックな出来事は、整然と順序よく起きてくるわけではない。不思議なことだが、ある時期に集中的に起きる傾向がある。そして、そんな、ある特定の年が、後で振り返ってみると何らかの『転機』として語るに足る年であったことに気づくことになる。
そんなのは、解釈する側の妄想に過ぎないとの声も聞こえて来そうだが、そもそも歴史とは人々の深層意識の妄動や、妄想に近いような物語の蓄積で紡がれて行く面があり、同じような事が相次いで起こったり、時に非常にドラマチックなものに感じられるのは当然ともいえる。
直近でそんな『年』はと言えば、1995年ほど相応しい年はない。すでに『転機』として様々に分析の俎上に載ったりもしている。何せその年には、戦後の安定と静穏を切り裂く二つの大事件が相次いで起こった。『阪神・淡路大震災』とオウム真理教による『地下鉄サリン事件』だ。もう平和で安定した日々に後戻りはできないことを皆が感じ始めるきっかけになった。戦後の繁栄の中で弛緩しきった頭を強烈に殴られたのだから。しかも、二度も連続して。
■速水健郎氏の新著『1995年』
その『1995年』をタイトルとして真っ正面に据えた本をライターの速水健郎氏が出版したので、すぐに購入してみた。
速水氏によれば、『1995年を戦後史の転機となった年という刷り込みからいったん解き放ち、個別具体的に政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化、事件・メディア等といった具合にあらゆる側面から輪切りにして再検討してみるという趣旨』で、歴史を縦でなく、横に読もうと試みたという。(そしてこれには先例があって、エコノミストの吉崎達彦氏が『1985年』で行っているのを真似たのだそうだ)。
『刷り込みからいったん解き放つ』との意図があるせいか、本書での速水氏自身の1995年に対する分析や解説はかなり抑制気味だ。だが、そのおかげで、読者自身が自分で1995年を再発見し、同時にその時代を過ごした自分自身を再発見するための程よいテクストになっている。
本書を読むと、速水氏が示唆(暗示)する通り、少なくとも私にとっての1995年は『地震とオウム』が強烈すぎて、他の、もしかすると『地震とオウム』と同等かそれ以上に重要な転機の兆しを見逃していた(忘れていた)ような気がしてくる。それどころか、今となっては、見逃していたもののほうに、より重要な意味があったのではないかとさえ思える。
■個人的な思い出
1995年と言えば、私個人にとっても非常に思い出深い年だ。当時在籍した会社に短期留学制度があって、米国のカリフォルニア大学サンタバーバラ校でビジネスクラスのサマースクールに参加していた。授業のレベルは結構高いのに、クラスメートは全員欧州人で日本語はまったく使えず、授業について行くのはかなり大変だったが、そのかわりに、非常にダイレクトな外国人の日本人観を知ることが出来た。
当時はまだ『奇跡の経済成長を達成した日本』というイメージが残っていた。大学の先生にもクラスメートにも、日本が成功した理由は何なのか、繰り返し聞かれたものだ。ただ、経済成長して日本が何をやりたいのか(成長の目的は何なのか)、日本のビジネス文化とは何なのか、どうしても理解を得ることができない。結局、日本文化と言えば、ニンジャやカラテ、浮世絵、というような定番になってしまう。特に欧州人のクラスメートと話すときは、何だか自分が粗暴な成金で、文化の香りのまるでしない田舎者になってしまったような気恥ずかしさにつきまとわれた。幸い私は英語で彼らとそこそこコミュニケーションが出来たからサークルには入れてもらえたが、戦後最高値となった円パワーを発揮して、英語もまったくおぼつかないのに大量に押し寄せていた『日本人留学生』には、彼らははっきりと冷たい視線を浴びせていたものだ。
一方、大学ではインターネットを扱った授業があって、非常に強い感銘を受けた。米国の大学で語られているインターネットの可能性は、自分の想像を遥かに超えている。これならインターネットは本当に世界を大きく変えてしまうのではないかと、その時初めて感じた。同時に、日本企業はついて行けるのか、不安にかられた(そしてそれは現実のものとなる)。
そこで私は、日本がビジネスのピークと凋落のちょうど境目にいることを感じる、という奇異な体験をしたと言える。そして、日本のビジネスの成功を誇りたい一方で、日本を文化で語りたいのに語れないというジレンマを感じていた。従来の日本のビジネスのやり方ではあまりに唯我独尊で、海外の友人達とそのエッセンスを共有することができない。さらには、このままでは日本は文化という点では衰退する一方になってしまう。そんな焦りのようなものも感じていた。
■裏テーマ『自己像の転換の模索』
速水氏の著作を参照しながら思い出してみると、当時、少なからぬ日本人は自己像の転換を模索していた。『一億総中流』を実現できたこと(貧富の差がないこと)は確かに誇るべきことと言えるが、一方、世界にも類のない均質社会は、あまりに行き過ぎていて、悪しき平等主義となり、『出る杭は打つ』ことが当たり前となり、個人の突出を許さず、非常に窮屈で、制度的にも疲労していた。会社では、全員が社長になれる可能性があると煽られ、高い目標を追求しないのでは、ビジネスマンとして失格と繰り返し暗示をかけられ、ついには、目標を達成できない自分を許せなくなるような人間を大量生産するようになってしまっていた。それは人間として必ずしも幸福なあり方とは言えないはずだ。そして、長期的な持続可能性にも乏しい。
金銭的に豊かになってお金はあるが、生活に文化的な豊さはまるで感じられない。極論すれば、日本の当時のやり方(モーレツサラリーマン:すべてを画一的な型にはめ、私生活さえ仕事に直結させ金銭価値に置き換える)が成功すればするほど、文化は破壊され、衰退してしまう。それを端的に象徴していたのが、バブル期に企業が大量購入した美術品や文化資産としての不動産だ。お金ができたから文化をお金で買おうとする。だが、そもそもそういう姿勢が、お金で何でも買えるという発想自体が、文化の本質とは相容れない。本当に大事なものからどんどん離れてしまう。そんな日本と日本人としての自己像に辟易するムードは確かにあった。
このような『自己嫌悪からの脱出』『自己像の転換の模索』こそ、実は当時の日本の重要な裏テーマの一つとなっていて、その転機の兆しが大量に現れていたのが、1995年のもう一つの側面だったのではないか。
■事例
以下、速水氏の著作からいくつかの事例を取り上げ、簡単な解説をつけてみた。私がここで語ろうしていることは、案外多くの人と共有されていたのではないかと思えて来る。
無党派旋風。95年には支持政党なしが過去最高の57.1%に上り、東京でも大阪でも無党派のコメディアンが首長になる。(青島幸男/横山ノック)
→ 既存の政党と財界・官界は癒着がひどく、有権者は選挙制度にも旧来の政党にもはっきりと背を向け始めた。青島都知事は、紆余曲折あったが、結局公約の『都市博の中止』に踏み切る。これも、旧来の政治手法にNOを突きつけて変化を求める有権者の意向に支えられていた。
木村拓哉がトップアイドルの地位に上りつめようとしていた。代表作/出世作は96年の『ロングバケーション』だが、95年にはすでに注目される存在になっていた。
→ 『自然体』『ドレスダウン』は彼の持つキャラクターイメージだが、この時代の若者の意識変化のキーワードそのものでもあった、と速水氏の解説。
『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビシリーズの初放映(95年10月)。
→ この作品の世界観は1980年代に流行した、オカルトブーム、神秘主義等に支えられたもの。オウムに若者が殺到したのも、このようなオカルト的な価値観の流行を軌を一にする。既存の社会を破壊したい、という破壊願望も多かれ少なかれ共通するマインド。
→ さらには、『エヴァ』の主人公の『気分』が従前の『頑張れば何とかなる』と強弁する世界観とは正反対で、『がんばっても意味が無い』というシニカルな『気分』の持ち主で、これは多くの若者から支持を受けたとされる。
神戸で被災した市民の声援を背にオリックスが日本一へ。主力のイチローは打者5冠の大活躍。
→ イチローは、『女の人がいるスナックに行くより、友達とメシを食ってるほうが楽しい』と語り、お酒もあまり飲まない。旧来の体育会系的なノリとは違う野球選手。95年に近鉄と喧嘩別れと言える『任意引退』でメジャーに移籍し、新人王を獲得した野茂英雄からも体育会系的な匂いはまったくしてこない。
戦後の日本で、もっとも地方から3大都市圏への人口移動の数字が減るのが95年前後。東京圏初の転出超過も話題に。
→ 若者が都会に出るより、地方での生活を選ぶようになる。上昇志向一辺倒からの転換の兆し。
若者の自動車への憧れが消失、2シーターのスポーツカーからRV(レジャー・ビークル)へ。
→ 自動車は憧れの対象でも、ステータスシンボルでもなく、実用的なコモディティへ。消費も、無理して見栄や片意地をはるのではなく、自分本位の自然体へと転換。
若者ファッションの転換期。アパレル業界が主導する産業・メディアが流行を生み出す旧来のファッションが支持されなくなった。
→ 渋谷などのショップやファッションセンスのいい一部の若者たちから自然発生的に波及するストリート文化発祥のストリートファッションの時代へ。
こうしてみると、旧来の固着して不自由な体制を『破壊』し、クリエイティブで文化的な自由を取り戻そうという意識で溢れていると言えないだろうか。
■ビジネスと文化の逆転
95年にはまだ日本の製造業は世界のトップに君臨していた。その象徴とも言えるソニーと、どん底にあったアップルとの差は歴然だった(アップルは身売りを真剣に検討していた)。ところが、今では多くの日本企業(主として製造業)は構造転換に遅れをとり、自動車等の一部を除けば、大変な苦境にあえいでいるところが多い。一方で、若者の意識調査では、幸福度は明らかに今の方が当時を上回っている。海外から日本への留学生も、減る一方で、日本経済やビジネスの手法に憧れて来る人はもうほとんどいない。むしろ日本の文化、特にオタクカルチャーに興味をひかれてやって来る人は少なくない。多少強引に言えば、ビジネスと文化はこの18年で逆転したとも言える。
生産年齢人口(15歳以上~65歳未満の人口)のピーク、『高齢社会』(65歳以上の高齢者人口が国民の14%を超える社会のこと)への突入等、まだ1995年で語れることは沢山あるのだが、長くなったのでこのあたりでやめておく。続きは、是非『1995年』を読んで皆さんでやってみて欲しい。
(この記事は、2013年11月12日の「風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る」から転載しました)