駅名募集した京浜急行さんへ。「鉄道の日」に新駅名を考えてみました。

沿線の歴史をもとに考えた大胆な独自案とは?
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「赤い電車」の京急が駅名を募集

東京都と神奈川県を結ぶ京浜急行電鉄(以下、京急)といえば、鉄道ファンの岸田繁さん率いるくるりが「赤い電車」という曲でモデルとするなど、鉄道ファンには好感度の高い路線です。

私は特に、JR川崎駅前あたりで赤い列車が空中をつっきっていくかのような様子や、急行の止まらない小駅(特に子安駅、北品川駅など)のいなたくゆるい雰囲気が好き。乗るときにはちょっとテンションの上がる鉄道です。

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京急の赤い電車
DigiPub via Getty Images

そんな京急が、創立120周年記念事業として、沿線の小中学生を対象に駅名変更案を募集したらしい。大師線の「産業道路」駅を改名することは完全に決定しており、それ以外にも、「読みかた等が難しくお客さまにご不便をおかけしている駅」など数駅を「一層皆さまに愛される」名前に変更するとのこと。

このことはネットでも賛否両論、いや、ほぼ「否」のほうで話題になっております。「慣れているものを変えないでほしい」「キラキラネームになりそう」「歴史への敬意がない」などの声が見られます。

勝手に駅名を考えてみた

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下りは「羽田空港」「三崎口」「浦賀」行きの電車が発車する品川駅。上りの始発駅は「泉岳寺」駅。
winhorse via Getty Images

さて、細かな賛否はまず置いといて、まずは私が自分なりの改名案を大胆に発表してみたいと思います。私は大学の卒論で「東京の地名の消滅」についてデータ化して研究したこともあり、もともと趣味として古地図が大好きで、「歴史・地名原理主義」を勝手に標榜しております。

京急側は、他社線との乗換駅や「公共施設、神社仏閣、歴史的史跡などの最寄駅として広く認知されている駅」は改名しないと発表しているのですが、その基準は置いておいて、変更するもしないもこちらの基準でやります(ただし、あまりに路線が長いので、この記事では一旦都内だけにとどめます)。

品川の歴史を重んじる駅名たち

まず「泉岳寺(せんがくじ)」。この駅は、じつは駅名の使用差し止めを求めて泉岳寺(寺院)から訴えられたことがあります。結局この訴えは通らなかったのですが、この際だから駅名を変えましょう。江戸期からここに存在し、戦後に消されてしまった地名「車町」を採用。

「品川(しながわ)」。駅名の元となった品川宿はだいぶ遠いのですが、なにせ国鉄・品川駅の開業は明治5年で、ここは日本初の「駅」です。当時はここが品川という大きな宿場町にいちばん近かったわけです。歴史を重んじ、ここは「品川」のままでよろしい。

「北品川(きたしながわ)」。「品川駅の南に北品川駅」ということが鉄道好きの間では話のタネになりますが、ここは品川宿の北側で、元から北品川と呼ばれていたところです。どちらが間違いかといえば、「品川駅」が間違いなのです。しかし上記の事情で「品川」はキープしたく、「品川の南に北品川」もややこしい。そこで、このあたりがかつて呼ばれていた地名「品川歩行新宿(しながわかちしんしゅく)」を復活させて駅名とします。南北に長い品川宿のうち、歩行人足だけを負担したことによる地名。読みづらい?長い?そんなものは、慣れです。現代人の、歴史への無関心ぶりに譲歩するつもりはありません。

「新馬場(しんばんば)」。ここは北馬場と南馬場の駅が統合されてできた駅。両者とも歴史的地名に基づく名前ですが、合わせて「新」とつけるのは雑な命名だと感じます。本来この近くが品川宿の中心地にあたり、「本宿」とも呼ばれるので、ここは「品川本宿」でいかがですか。

歴史を感じる駅名たち

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1983年に撮影されたブルーリボン賞を受賞した「京浜急行2000系電車」
時事通信社

「青物横丁(あおものよこちょう)」。青物(野菜)を扱う横丁(横町)があったことから名づけられた、当時の風情を感じる駅名。絶対に変えちゃいけません。

「鮫洲(さめず)」。古地名に基づく。変えなくてよい。

「立会川(たちあいがわ)」。ここには「浜川」という、公式な住所からは消えてしまった地名があります(学校の名前などには残っている)。かつてはこの駅の北に実際に「浜川駅」があったそうなのですが、戦中に廃止されてしまいました。「立会川」という味のある川名もよいので悩むところですが、地名がなくなってしまうのが惜しいので、旧地名を生かして「浜川」とします。

「大森海岸(おおもりかいがん)」。ここは開業時の「八幡」から「海岸」 「大森海岸」と駅名が変遷している。言うまでもなくかつてここは海岸だったわけですが、そんなことよりもこの場所にはぜひ使いたい地名があるので、私としてはそれを復活させたい。この駅の所在地は、明治時代前半には荏原郡不入斗村字八幡。この、非常に読みづらく、歴史を感じる「不入斗(いりやまず)」を使わないわけにはいかない。租税を免除された地、という意味があるそうです。

国鉄が先に使った駅名どうする問題

「平和島(へいわじま)」。ここも、「沢田」 「学校裏」(寄木尋常小学校、のちの大森第二小学校の裏であったことに由来する) 「平和島」という変遷を経ています。実はこの駅が本来の「大森」という漁村にいちばん近いのですが、悔しいことに、当時の国鉄大森駅に先に名称を取られています。本来の大森ですので、「本大森」にしちゃおうかな。最近の駅名は「新」はつけたがるくせに「本」をつけたがらない。先に名乗られた遠くの駅名に対して「こっちこそ本当だ」と名乗る「本○○」は好みです。

「大森町(おおもりまち)」。「山谷」 「大森山谷」という駅名から、休止期を経て現駅名。「山谷」の地名が消えてしまい、ほかに名乗りようがなかった、という感じの中途半端な駅名です。かといって「山谷」に戻すとしても、山谷という地名は東京の至るところにあってややこしいので気が進まない。先ほど立会川駅を改名してしまったお詫びに、かつてここに流れていた(現在は流路が変えられている)川の名から「内川」とします。

絶対に変えられない駅名もある

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北斗の拳35周年×京急120周年記念で、2018年7月30日~9月17日まで、京急蒲田駅の駅名看板が「京急かぁまたたたたーっ駅」などに特別装飾された。創立120周年イヤーでいろんな企画を実施する京急
時事通信社

「梅屋敷(うめやしき)」。売薬所、兼、梅見のできる茶店があり、梅屋敷と呼ばれて繁盛していたらしい。文句なくそのままです。

「京急蒲田(けいきゅうかまた)」。昔ながらの地名に基づいた「蒲田」から「京浜蒲田」 「京急蒲田」という変遷を経ていますが、ここが開業したのは国鉄の蒲田駅よりも前です。国鉄(現JR)に忖度せず、元祖なんだからこちらが「蒲田」を名乗りましょう。変更すべきはJRのほうです。

「雑色(ぞうしき)」。古くは平安時代の役職に由来する村名から名づけられた、歴史の長い地名。絶対に変えません。

「六郷土手(ろくごうどて)」。開業時の「六郷堤」から「六郷土手」へ変わっています。このあたりは江戸時代には六郷領と呼ばれ、多摩川は六郷川とも呼ばれていました。土手のすぐそばにあるので、まさに「六郷土手」で良いと思います。開業時の「堤」よりも「土手」がいいなあと思うのは単に私の好みです。

古めかしいイメージの駅名の運命

ということで、駅名が決定いたしました。

車町(泉岳寺)⇨ 品川⇨品川歩行新宿(北品川)⇨品川本宿(新馬場)⇨青物横丁⇨鮫洲⇨浜川(立会川)⇨ 不入斗(大森海岸)⇨ 本大森(平和島)⇨内川(大森町)⇨梅屋敷⇨蒲田(京急蒲田)⇨雑色⇨六郷土手 ※カッコ内が現在の駅名。

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改名案で描いてみた路線図
能町みね子

――と、このように、「歴史・地名原理主義」である私にかかれば8駅もの改名が起こってしまいます。さすがに現実でこんなことは起こらないと分かっていますが......おそらく京急は、そもそもこんなことをやりたいわけではない。

きっと、私が「変えるべきではない」と思った方の駅名を変えたいのではないでしょうか。

青物横丁、梅屋敷、雑色......公式な住所には採用されておらず、やや古めかしいイメージの地名。「読みかた等が難しくお客さまにご不便」ということで、「雑色」は特に変更される可能性が高い。

上記のように、「雑色」の地名の歴史は江戸時代に、言葉の歴史で言えば平安時代までさかのぼります。この地域の公式な住所から「雑色」が消えたのは昭和12年。大田区の前身の蒲田区が細かな地名を大幅に整理して廃止してしまい、駅名だけに生き延びることになりました。京急はたかが「読みづらさ」のために、こんな文化財クラスの地名の息の根を止めてしまう可能性がある。地元の人は慣れているから読めるに決まっているのに。

なぜ応募は「小中学生」限定なのか

変更案を応募する資格を「小中学生」に限定しているのも卑怯です。京急によると「沿線に長く関わる方に、沿線に愛着、思い入れを持ってもらう機会にしたい」そうですが、私はあえてこの言葉で批判したい。卑怯です。

平成の大合併時にも、市名の案にはひどいものがたくさん現れました。しかし、まったく中央ではない愛媛県の「四国中央市」も、あまりにひどくて廃案になった愛知県の「南セントレア市」も、大人が決めたもの。大人が言い出したものなら、みんなが文句を言えます。

しかし、「子供の盾」の前には大人も黙らざるをえない。地元の子供が純真無垢な心で「南東京ゆめ・みらい駅」だとか「超スーパーKAWASAKIグレートシティ駅」だとか名づけても(これは極端な例ですが)、正面切って「センスがない」「歴史を踏まえていない」と反論しづらくなります。

ところで、改名の決定している「産業道路駅」については、この駅名に抵抗のある住民によって9年前に協議会が発足しており、旧来の地名に基づく「大師河原(だいしがわら)」という駅名案がすでに京急と市議会に提出されています。

これは良いと思うのです。さすが「大人の住民」、きちんと歴史を踏まえている。

京急にこの件について質問してみると、ハフポストに寄せられた回答によれば「要望はうかがっています。『大師河原』が(小・中学生からの)応募にあれば、(今回の)候補に入ります」とのこと。これでは、かつて寄せられた大人の住民の意見については一旦却下しましたと言っているに等しい。

京急に伝えたいこと

また、「今回の変更にあたり、地元の郷土史家など地域の歴史に詳しい識者に意見を聞く可能性はあるか」という質問してみると、「これから案を見て、という段階なので、歴史家などにヒアリングする機会を持つかどうかも含めて、今後のプロセスはまだ決まっていない状況です」という曖昧な回答。正直言って、現時点では専門家に相談することは全く考えていなかった、という印象を受けます。

まして駅名を考えるのが小中学生とあっては、文化財クラスの地名の重みや歴史を考慮する可能性はきわめて低い。「読みづらい」「実態に合わない」という短絡的な理由で、120年にもなる京急の歴史、さらにはもっと長い地域の歴史を灰燼(かいじん)に帰す行いとなってしまいます。このままでは創立120周記念事業にも関わらず、まるで歴史を顧みない事業になりかねません。

その地の歴史によって紡ぎ出されてきた地名に愛着の強い私なので、人一倍否定的になってしまうのは承知の上ですが......どうか京急には、今の感覚では読みづらかったり、実情と多少ずれた駅名であっても、その地名が生まれた地域の歴史を尊重し、いまは駅名以外に使われていない遺産のような地名こそ残すよう心がけてほしいものだと思います。

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能町さんの文庫『うっかり鉄道』は幻冬舎から発売中。

(文・イラスト:能町みね子、編集:笹川かおり)