これまで「ジハーディ・ジョン」として知られてきた過激派組織ダーイシュ(イスラム国)のメンバーは、ロンドンに住んでいた「モハメド・エムワジ」という人物である、とアメリカとイギリスの治安当局関係者が認めた。
ジハーディ・ジョンは、2014年8月以降、アメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏ら複数のアメリカ人やイギリス人の人質を殺害したほか、後藤健二さんや湯川遥菜さんの殺害も実行したと見られている。インターネット上で公開された映像では、彼は黒い覆面をかぶり、ロンドンなまりの英語を話している。
しかし、イギリスの警察や政府が、ジハーディ・ジョンの身元を確認したわけではない。イギリス警察は「現段階で容疑者の身元を確認、またはテロ捜査の進展状況についての情報を更新する考えはない」という声明をだした。なお、2014年8月には、ジハーディ・ジョンは、ロンドン西部出身の元ラッパーである可能性が高いと報道されたが、2月25日付のワシントンポスト紙で、この元ラッパーはジハーディ・ジョンではないと確認されたと報じられた。
下記にまとめる10の事実は、現段階でモハメド・エムワジという人物についてわかっていることだ。
1.ロンドンで育った
BBCやガーディアン紙の報道によると、モハメド・エムワジは1988年にクェートで生まれ、6歳のときに家族とともにイギリスに移住してきた。
また2月26日付のワシントン・ポスト紙の記事によれば、エムワジの一家は中流階級で、ロンドンの西部に住んでいた。最後に正式に登録された住所はロンドンのクイーンズ・パーク付近で、このニュースが伝えられた後インタビューを受けた近隣の住民は、一様にショックを受けている。
2.コンピューター・プログラミングの学位を持っている
ワシントン・ポスト紙の記事によると、エムワジはロンドンのウエストミンスター大学に通い、2009年にコンピュータ・プログラミングの学位を取得して卒業した。
ウエストミンスター大学では2011年に、過激なイスラム信仰を持つグループと関係のある学生が学生自治会の会長として選ばれ、問題になったことがある。
ウエストミンスター大学(Peter Macdiarmid/Getty Images)
3.タンザニアへの「サファリ旅行」で警察に身柄を拘束された
2009年にウエストミンスター大学を卒業した後、エムワジは2人の友人とともに、休暇を使ってサファリ旅行をするためにタンザニアを訪れた。しかし、ワシントン・ポスト紙によれば、首都ダルエスサラームに到着したエムワジたちはすぐに警察の聴取を受け、拘留された。拘留の理由は当人たちには明かされなかったが、釈放された後に国外退去を命じられ、アムステルダム経由でイギリスに帰国することになった。
エムワジの話によると、アムステルダムのスキポール空港に到着した彼と友人たちは、再び警察に拘束されて3人別々に聴取を受けた。エムワジはイギリスのイスラム教徒の人権擁護活動家の組織「CAGE」と交わしたメールの中で、2人の男に取調室へ連れて行かれたときの様子を伝えている。
エムワジがコンタクトをとっていたCAGEは「対テロ戦争で打撃をうけた各国のコミュニティに力を与える」ことを目的とした組織だと、同組織のウェブサイトには書かれている。一方で、創立者はかつてグアンタナモ湾収容キャンプで拘禁されていた人物であり、イスラム過激派に同情的な組織だ、との批判もある。
ワシントンポスト紙の記事は、ダーイシュの人質になっていたある人物の話として、エムワジはソマリアのテロリスト組織「アル・シャバーブ」の熱烈な支持者だった、と報じている。
4.MI5に勧誘されたと主張した
エムワジはCAGEに宛てたメールの中で、ニックと名乗る人物から、イギリスの諜報機関「MI5」で働かないかと誘われたが、その誘いは断ったと述べている。
5.イギリスでも取り調べを受けた
CAGEのリサーチ・ディレクター、アシム・ケレシ氏とのメールでのやりとりから、エムワジとイギリスの警察当局との間に「もめ事」があったことが分かる。
ガーディアン紙によると、エムワジはケレシ氏に送ったメールで、コンピューター・プログラマーとして働くためにクウェートへ行っていたが、2010年6月にイギリスに帰国した直後に警察の取り調べを受けたと説明している。さらに、クウェートに戻ることも阻止されたという。2010年のメールでエムワジは「ただ監獄に入れられていないだけで、ロンドンでは実際には囚人も同然だと感じる」と語っている。
またケレシ氏は、26日にロンドンで行った記者会見で、エムワジを「すばらしい若者」と呼んでいる。
Asim Qureshi of campaign group CAGE speaks during a press conference in London on Wednesday. (Justin Tallis/AFP/Getty Images)
ロンドンで記者会見を行った「CAGE」のアシム・ケレシ氏。
6.英語教師を目指していた
ケレシ氏がエムワジと最後に会ったのは、2012年1月に、ロンドン東部にあるCAGEのオフィスで面会したときだという。ワシントン・ポスト紙によると、同年にエムワジは、サウジアラビアで英語教師になろうとしたが望んだ職につくことができなかったという。その後行方がわからなくなったエムワジが、どの時点でダーイシュに加わったかは不明だ。
7.人質解放交渉の中心的人物だったと見られる
2012年から2103年にかけて人質となったヨーロッパ人の解放交渉に関わった2人の当局者は、交渉の際にスカイプで会話をした人物は、エムワジととてもよく似た声の持ち主だったとガーディアン紙に語っている。
8.現在はラッカ近くに住むと見られる
シリアの都市ラッカは、現在ダーイシュの活動拠点として知られているが、エムワジはラッカ近くにある訓練キャンプの責任者だと考えられている。
墜落した爆撃機にダーイシュの旗を掲げる戦士たち。2014年8月27日に公表された日付不明の写真(AP Photo)
9,名前の由来はビートルズだった
ダーイシュにとらわれていた人質たちの証言によると、ダーイシュには英語を話す特に暴力的な3人組がいて、人質たちはこのグループを「ビートルズ」と呼んでいた。エムワジはこの「ビートルズ」のひとりで、ジョン・レノンから名前をとって「ジョン」と呼ばれていた。
10, 「サディスティックな殺人者」と呼ばれている。
エムワジはダーイシュの外国人兵士の間でよく知られた存在であり、あるダーイシュの元メンバーはジハーディスト・ジョンのことを「彼は私たちにとっては人々を虐殺するイギリス人だった」と述べる。また、元人質の1人は、ジハーディスト・ジョンは「冷酷でサディスティックで情け容赦のない」人物だと述べている。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
[日本語版:水書健司、合原弘子/ガリレオ]
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