熊本県内の各地に甚大な被害を与えた熊本地震から1年。被災した人たちは、それぞれ違う歩幅で復旧・復興へ向けた歩みを進めている。その歩みを近くで見つめてきた地元紙の記者5人が、その時々の思いをつづったコラムを寄稿する。今回は太路秀紀記者の記事を紹介する。
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【地震から3週間 2016年5月4日 心に余裕を】
「官邸が、官邸が」
熊本地震の発生直後、政府が現地対策本部に送り込んできた内閣府幹部の一人は、熊本県との合同対策会議のたびにそう言っていた。この幹部は震災直後、テレビ会議を通じて東京に、自分たちの食事の確保を依頼し、地元で「おにぎり副大臣」とやゆされていた人物だ。「この人は東京を向いて仕事をしているのか」。地元紙の記者として、残念に思った。
震度7の揺れが立て続けに熊本県内を襲った未曽有の震災。県をはじめとする地元自治体の対応が、発生直後に万全だったと言い難いのは事実だ。しかし会議で、市町村からの要望を積み上げて他県に要請する応援の職員の人数を報告した県に対して、「要請する人数のゼロが一つ足りないんじゃないの」などと、わざわざ県職員らの気持ちを逆なでするような言い方を繰り返していたこの内閣府幹部には、取材する立場を忘れて腹を立てた。
そもそも、地元自治体の職員も被災者だ。被災した住民のために奉仕すべきなのは当然だが、県庁内で仕事の合間を縫って、人目をはばかるように家族の安否を確かめる職員らの姿を目にすると、余震が続く中、不安げな妻子を残して家を飛び出してきた自分自身の姿とも重なり、胸を締め付けられるようだった。疲労も重なり、心の余裕を失った政府と地元との合同会議は、この幹部の存在によって、さらにギスギスした雰囲気になっていくようだった。
そんな中で聞いた知人の指摘には、はっとさせられた。「その幹部がわざと憎まれ役を買って出ているのなら、たいしたものだ。地元の人間では言いにくいこともあるからね」
この内閣府幹部の心の中は分からない。しかし、わざと憎まれ役を買って出ているという可能性に全く思い至らなかった私自身も、記者として、多角的なものの見方や心の余裕を失っていたのかもしれない。
地震からやがて1カ月。避難所で不自由な生活を送っている人も多い。それでも熊本は、これから、一歩ずつだが前に進んでいく。心に余裕を持ち、読んだ人が、ほんのちょっとでも前を向ける、そんな記事を書きたいと強く思う。
【地震から5カ月 2016年9月7日 1枚の紙の重み】
たかが紙切れ1枚とはいえない重みを持っている。市町村が熊本地震の住宅被害を調査して、被災者に対して発行する罹災(りさい)証明書のことだ。
証明書は、仮設住宅への入居をはじめ、生活再建のための支援金など各種公的支援を受ける際に必要になる。義援金など民間ベースの支援でも条件になることが多い。今、この証明書発行のための住宅被害調査が問題になっている。
不満が募っているのが、半壊に至らない「一部損壊」と判定された世帯だ。制度上、一部損壊にはほとんど支援がない。「一部損壊でも半壊に近い壊れ方で修復にお金がかかる場合だってある。何もないのはおかしい」(熊本市の71歳男性)といった声が、あちこちから聞こえてくる。
判定が不満な被災者は、2次調査を求めることになるが、これが今度は、市町村にとって大きな負担になる。
8月下旬、熊本市や御船町の調査に同行した。最高気温が35度を超える中での調査は、市町村職員にとって体力的にも過酷だが、それ以上に、精神的な重圧が大きいとの声が聞いた。ある職員は「被災者の話を聞けば、できるだけ被災者に有利な判定をしたくなるが、公金を使う支援につながる以上、われわれには厳格さが求められる。せめぎ合いの毎日です」。
加えて、熊本市と他市町村とでは、2次調査に用いるチェックシートが異なることも、公平性の面で問題化している。住宅被害の判定をめぐって、同じ被災者や被災自治体が"分断"されかねないという不幸な事態なのだ。
一部損壊でも、全壊や半壊世帯以上に経済的に困っている世帯だってあるはずだ。災害時には社会的弱者がより窮地に立たされる。公平性を保ちつつ、そうした「本当に困っている人」に手が届く支援制度とはどういうものなのか。早急に制度を考え直す必要がある。
【地震から8カ月 2016年12月23日 大空港と復興】
熊本県の蒲島郁夫知事は、滑走路やターミナルビル、駐車場など、熊本空港の運営を民間に委託する「コンセッション方式」の導入を国に要望した。民間資本を活用して空港ビルを建て直し、熊本地震からの「創造的復興」のシンボルにしたいという。
今年7月にコンセッション方式を導入した仙台空港では、国際線に格安航空会社(LCC)が初参入するなど、早くも効果が表れつつあるという。鍵を握るのは、どんな民間企業が受け皿として手を挙げるかだ。
仙台空港の場合は、大手私鉄・東急電鉄やゼネコン・前田建設工業などが出資して受け皿会社を設けた。関西国際空港などでは、日本の大手総合リース会社・オリックスと、世界5位の売上高を誇るフランス最大手のゼネコングループが手を組んで、運営に当たっている。
熊本県は、熊本空港へのコンセッション方式の導入を単に「稼げる空港」の実現に終わらせず、熊本市東部や益城町、西原村など周辺地域へ民間投資を呼び込み地域全体の浮揚を目指す「大空港構想」の柱に位置付ける。
もし、熊本空港の受け皿に大手ゼネコンや大手私鉄が手を挙げたら...。 利用者が増え、利益が上がるとなれば空港ビルの建て直しだけでなく、空港周辺への宅地開発や空港への鉄道整備の可能性なども視野に入ってくる。一人ワクワクしながら、しかしここまで考えて、自分の頭の中で、この夢のような"物語"はいったん止まった。
空港周辺は、熊本地震の被害が大きかった地域でもあり、今も多くの被災者が仮設住宅での不便な生活を強いられている現実がある。被災者にとっては、空港周辺の開発も自分たちの生活とは、遠い世界の話でしかないのかもしれない。地震前の"普通の暮らし"を取り戻すことこそが被災者の望みだろう。そのための、地に足のついた議論の重要性も、けっして忘れてはいけない。
【地震から11カ月 2017年3月24日 空気を読まない】
阪神大震災級の揺れが続けざまに2度、熊本県内を襲ったあの地震から、やがて1年を迎える。発生直後は、頻発する余震に耐えながら、地震対応の司令塔となる熊本県庁新館10階の防災センターで取材に当たっていた。
この1年、熊本県内は蒲島郁夫知事が掲げる「創造的復興」に向けて着実に歩み続けてきた。
被害が甚大だった益城町の町づくりでは、異例のスピードで、町中心部を通る県道の4車線化に着手。道路幅は27メートルに広がり、町は、沿道に都市機能を集積させて町を再建させる姿を描く。
熊本空港では、民間資金を活用して老朽化したターミナルビルを建て替え、運営を民間委託する方向で復興計画が進む。県内第2の都市である八代市の八代港では、国際クルーズ船の拠点化の構想が進み、国によるクルーズ船専用岸壁の整備と、世界2位の船会社と連携した拠点施設の建設計画が進行中だ。まさに、平時なら実現は難しかったであろう事業のオンパレードだ。
創造的復興は魅力的だが、不安もある。最大の理由は人口減少だ。約177万人の県人口は約40年後、118万人に減る推計だ。県は諸政策で144万人にとどめる姿を描くが、それでも30万人を超す減少だ。
4車線化は9年後に事業が完了。事業費は153億円を見込む。事業費に充てた借金の返済に不安はないのだろうか。空港運営の民間委託が行き詰まった場合は行政が責任を持つ仕組みだが、その懸念は残る。八代港では、県が描くクルーズ船の大幅寄港増が実現しなくても港の維持費はかかる。創造的復興の大型投資が人口減少時代の足かせになる恐れは消えない。
加えて、これらの大型投資は、現在でも仮設住宅での生活を送る4万数千人の被災者にとっては、生活に直結するものではない。もっと先に、行政として手を打つべき施策があるのではないか。ここで一度、立ち止まって考えてみるべきではないだろうか。
そんなことを言うと、「みんなが復興に頑張っている時に、空気を読め」とお叱りを受けるかもしれない。しかし、あえて空気を読まない「KY」も、地震を経験した熊本県民の一人である地元紙の記者が果たすべき役割だと感じる。
【編集後記】
熊本出身ではない自分が、縁あって熊本で家庭を持ち、熊本の地方紙の記者となって15年。正直、この1年の経験を通じてやっと、自分自身も県民の目線で取材や記事が書けるようになってきたと感じる。他県出身者でもあり、熊本県民でもある自分自身に記者として何ができるのか。これからも自問しながら、熊本とともに歩んでゆこうと思う。