(編集注:1月14日は、チュニジアの民主化運動「ジャスミン革命」でベンアリ独裁政権が崩壊してから5周年となる。)
5年後の1月14日。
「国が私をつぶしてしまいました」
これは、アミンが拘置所から出る際に口にした言葉だった。アミンは19歳で、自分について語るときには偽名を使った。チュニジアの刑法230条により、毎年、彼のようなチュニジア人の約50人が逮捕されて拘置所に放り込まれる。彼らの犯罪は何かというと。「同性愛者」ということなのだ。
診察室で肛門部のテストを受けるのを最初は拒否しましたが、そのため床に叩きつけられ、肉体的・精神的に虐待を受けたので、従うより他ありませんでした。
アミンの意思に反して機器を彼の肛門に差し込む前、医師は説教するような感じでなくもないような調子で「お祈りでもするように、四つん這いになりなさい」とはっきり指示することを忘れなかった。
アミンの長きにわたる証言により、刑務所のシステムが、5年前に民主化要求運動「アラブの春」で打倒された独裁者ベンアリの時から少しも良くなっていないことがよくわかる。
彼ら(刑務所の警備員)が退屈するといつも、監房から私たちを引きづり出し、慰み者にしました。それから15人以上の警備員が棒で私たちを殴り、もっと楽に蹴ることができるように、ひざまずかせたりしました。彼らは始終、私たちを罵りました。その後天井に吊るされ、水の拷問を受けました。失神するまで、放されません。
2015年は、チュニジアの若者にとってひどい年だった。警察署での拷問によって死亡したり、何百人もの若者が大麻使用で拘置所に送られたり、市民が警察をFacebookで批判したため逮捕されたりした。他にも、ラマダン(断食月)に断食を守らなかったため逮捕された人もいる。何よりも、若者の失業率の急上昇が、中心市街地と、公民権を剥奪された周辺部との社会経済的な隔たりを次第に押し広げている。
「5年前、威厳や自由、社会的正義への抑制できないほどの強い要求からチュニジア革命が突然起こった。しかしどれも達成されてはいない」
チュニジアでは2014年12月からベジ・カイドセブシが大統領を務めているが、社会のへりに追いやられるような脅威から免れている人はいない。大統領選挙戦の時、“私の子供たち”と彼が呼んでいた人々は、彼が宣誓就任して以来、この世の地獄のような暮らしをしている。ただ、彼の子供たちの1人は実はうまくやっている。それは彼の息子だ。
先週、89歳の大統領は世俗派の彼の政党「ニダチュニス」の初会合に出席したことで、チュニジアの憲法に違反した。憲法76条は、大統領が派閥政治に参加することを全く許していない。意外でないこともないが、この条項は2014年の憲法制定会議で満場一致で可決した。結局、ベンアリ統治下での多くの国の災いの源は、与党「立憲民主連合」(RCD)と、チュニジア国家が完全に同党だというところにある。この独裁主義的取り決めのせいで、ベンアリが亡命した後でも、1党体制に反対して多くのチュニジア人がデモ抗議した。「独裁者の後は、独裁政権を解体しよう」
アラブの春で自分を国外に追いやった革命の失敗を笑っている、チュニジアの独裁者だったベンアリを描いた漫画(© Z - DEBATunisie)
最近の政治的利益を無視して、カイドセブシは息子ハフェドを新しい党首に指名するためニダの党会合を主宰した。
ハフェドは、チュニジア政界では知られていない人物だ。しかし数日前から、この国でもっとも目立つ政党の新しい後継者だ。父親は、政治的日和見主義的傾向と政治権力への渇望を共有する、年季が入った助言者を何人も自分の周りに置くことを忘れなかった。実は、取り巻きの多くは、最近の内閣再編でその忠義が報われている。
ハフェドにカリスマ性はなく、雄弁でもなく、政治的ビジョンも全く持っていない。新たに指名された(選挙がおこなわれていないのは、言うまでもない)このニダチュニスの事務局長の唯一の強みは権力はあるが老齢の父親だ。その父は、政治的キャリアがない息子を後押しするため、国の安定を気まぐれに犠牲にしようとしている。
■「以前の方がよかった」
アラブの春からちょうど5年、チュニジアの革命による功績は消えてしまった。2011年以降、中東・北アフリカに広まった大混乱に抵抗したとかつては考えられた国は、徐々に革命前の状態に戻りつつあるようだ。この原因はただひとつ、指導手腕の不十分さだ。
縁者びいき、派閥主義、保守主義、自己中心は、チュニジアの政治的エリートの間ではありふれた平凡なことだ。5年前、チュニジア革命は高潔さや自由、社会正義を求める抑えきれない強い衝動で突然起こったのだが、そのどれもが達成されていない。さらに悪いことに、革命がもたらしたわずかな利益は、再びゆっくりと失われつつある。それにもかかわらず、この国にはまだチャンスがあり、チュニジアの究極のテストのための場が設けられている。革命は、指導者を追い払うことで独裁体制を打倒させたが、まだその体制を排除してはいない。
独裁政権が崩壊するとき、それに続く政治的空洞は、反独裁制を掲げる反対勢力の政治的活動家によってすぐに満たされる。これらの人物は合法性があるものの、能力や経験には欠いており、国家を改革する仕事を引き受けることはできない。結果として、「以前のほうが良かった」と、反革命論議がほぼ組織的に起こってくる。
「革命は、指導者を追い払うことで独裁体制を打倒させたが、その体制はまだ排除されていない」
ニダチュニスに投票するのは、多くのチュニジア人たちは、“以前の”体制、決して先験的な道徳の問題などなかった体制を想像しながら投票することだった。2011年の短い瞬間、革命的瞬間によって引き起こされたより良い未来への希望に動かされて、彼らは“以前の”体制が何十年間も抑圧してきたその人々を支持したが、ここ数年の障壁の多い民主化への変遷の後、多くの人が考えを変えた。
2014年、彼らはニダチュニスに投票すれば手遅れにならず、あの待ち焦がれた“以前”に戻れると考えた。今日、彼らの大半が、以前のほうが良かったということは決してなく、希望ある未来は過去の要素で築き上げることはできないのだと、実感している。
2014年のチュニジア初の民主的大統領選の結果を祝うニダチュニス の支持者たち(Mustafa Bag/Anadolu Agency/Getty Images)
革命から5年、チュニジアはなお革命以前の過去から抜け出そうとしている。過去を取り除くのは楽で、平和で静かなやり方だという場合もある一方で、難しい場合もある。チュニジアは難しい方を選んだ。
アミンは5年の懲役を宣告されたが、逮捕の後数週間で釈放された。大麻使用による拘留者が1月14日釈放される。警察を批判したとして逮捕された未成年者アフラも釈放され、他の人たちもそれに続くだろう。ハフェドは父親の党を引き継ぐかもしれないが、空虚な殻を受け継いだのだとすでに知っている。
その理由とは何か。“新たな”政治家たちがどれほどひねくれていようと、チュニジアの人々は戦いを諦めはしないからだ。
(敬称略)
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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