国連南スーダン派遣団 (UNMISS)軍司令官のジョンソン・モゴア・キマニ・オンディエキ中将の解任は、国連平和維持活動(PKO)の構造的な限界を浮き彫りにした。
ケニアにとってさらに気がかりなのは、スーダンの平和と安定に並々ならぬ貢献をしてきたケニアの実績が、この解任により事実上、骨抜きにされてしまうことだ。
解任の理由とされているのは、7月にジュバで起きた戦闘で、司令官が民間人の保護に失敗したということだ。司令官は2016年7月10日にジュバに到着し、7月17日に正式に就任した。ジュバで戦闘が発生したのは7月8日から7月12日だった。テレイン・ホテルへの悲惨な攻撃が起きたのは7月11日だった。わずか3週間前に任地に到着した人物に一方的な決定がなされた。彼に落ち度があったのか。真摯な問題解決を目的としたものではなく、明らかに責任転嫁の決定だった。
ケニアは40か国以上で平和活動に参加しており、のべ3万人以上の兵士を送り出している。だがケニアがスーダンの和平に貢献したのは、軍事的関与だけではない。
大飢饉、そしてスーダン政府とスーダン人民解放軍の内戦が発生後、ケニアは1989年のスーダン生命線活動 (OLS)に多大な後方支援と活動拠点を提供した。ケニアは内戦中、国内追放者と戦争被災者に最初の人道支援プログラムを提供した。これにより何百万人もの命が救われた。これは、過去最大の人道支援プログラムだった。
またケニアは2005年、スーダン人民解放運動と政府が内戦終結のために署名した包括和平合意 (CPA) でも、主要な役割を果たした。この合意では、スーダン南部の独立を問う国民投票の計画が設定された。合意形成を導いたのはケニアのラザロ・スンベイウォ将軍だった。
この2つのプロセスは、交戦下の活動や交渉の常として、非常に長期にわたり、また多くの失望を伴うものだった。ケニアはこの難題に正面から取り組んだ。平和活動の構造的欠陥を実質的にケニアの軍司令官に負わせた今回の決定にケニア政府が反発するのは、それが理由だ。
ケニア政府はオンディエキ司令官の解任について、事前に公式な相談がなかったことに抗議し、ケニアが南スーダンで果たしてきた重要な役割を軽視する現れだとしている。
さらに、この解任に一貫性のなさを指摘する人もいる。昨年8月、中央アフリカ共和国内の平和維持軍に対し、性的虐待の申し立てが複数あった際に解任されたのは、ババカ・ガイ国連平和維持活動特使だった。不可解なことに南スーダンの場合は、解任されたのは新たに着任した軍司令官だった。
国際社会がすでに南スーダンの状況に懸念を示していることを考えれば、ケニアの怒りは当然のものだ。ジュバでの戦闘のほんの数ヶ月前、国連安全保障理事会は兵力の増強と、市民保護のための武器使用を認めていた。
当時、現地にいた我々は何かが間違っていると感じていた。UNMISSの能力は不十分であり、任務を達成するには緊急の配慮が必要だった。南スーダンの近隣国のほとんどが防護軍への参加を申し出たのは、まさにそれが理由だ。
また、南スーダンの統治機構に正義を根付かせるためには、南スーダンの平和プロセスを継続的に促し、問題が生じた場合は直ちに対処することも不可欠だった。南スーダンに必要なのは、実際には軍の存在ではなく、むしろ長期的な政治的交渉と支援だということが、極めて明確になった。
最近の国連内部監査局の報告では、軍事的、政治的制約が国連の法的権限や活動権限と相容れず、いくつかのミッションは数が多すぎ、拡大されているため「軍事部隊の使用は書類上だけの選択肢になってしまっている」と認めている。
多くの紛争地域と同様、政治的交渉の努力に見合わない軍事行動は、効果を限られたものにしてしまう。PKOがどれだけの確率で成功するのかを問うだけでなく、現場のニーズへの反応が鈍かったり遅すぎたりする場合、どうやって本部と交渉するかについても検証しなくてはならない。おそらく我々はボスニア・ヘルツェゴビナ、ルワンダ、コンゴ民主共和国から教訓を得ていないのだ。
安保理は、ミッション成功のために必要な「実現させる人」や「資源を増やす人」を地上部隊に与え、より積極的に地域支援をサポートするべきだ。十分な資源と注目を与えられた任務は大抵は成功すると、歴史が示している。
国際社会が最初からやり直さないかぎり、ケニアなどへ部隊を派遣して貢献した国々の善意の取り組みは正しく評価されず、南スーダンの市民は必要のない血を流し続けるだろう。最初から失敗を運命づけられたミッションに、加盟国は参加したいと思わないだろう。
国連平和維持活動のシステム上の欠陥のために我が国の将軍を解任し、しかも事前の相談もなかったことは、失礼であるだけでなく、ケニアが南スーダンに果たしてきた貢献という名誉を傷つけるものだ。
ハフィントンポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。