若者言葉はなぜ体育会化するのか?

「近頃の若い者は......」と説教するオヤジにはなりたくないのですが、それでも気になるのは「ありがとうございます」の多用です。近頃の若者は職場やバイト先で、上司からなにかいわれるたびに「ありがとうございます」とこたえているようです。

「近頃の若い者は......」と説教するオヤジにはなりたくないのですが、それでも気になるのは「ありがとうございます」の多用です。近頃の若者は職場やバイト先で、上司からなにかいわれるたびに「ありがとうございます」とこたえているようです。

「そこはEXCELの集計機能を使えばいいよ」

「ありがとうございます」

「明日は早いから今日はこれで終わりにしましょう」

「ありがとうございます」

いずれも間違いとはいえませんが、もっとシンプルな返答があります。私たちの世代は(という言い方をしてしまいますが)、最初の例では「わかりました」、2番目の例では「そうですね」とこたえて、「ありがとうございます」とはいわなかったでしょう。

言葉は時代とともに変化しますが、「ありがとうございます」が若者のあいだでインフレ化するのは何を意味しているのでしょうか。

私がこの用法に違和感を持つのは、それが明らかに体育会言葉だからです。私が学生の頃も、運動部では顧問や先輩の叱責に、バカのひとつ覚えのように「ありがとうございます」と叫んでいました。「わかりました」や「そうですね」などといおうものなら、「タメ口きいてんじゃねえ」と鉄拳が飛んできたでしょう。もともとこれは、指導者と部員、先輩と後輩という上下関係(権力関係)を徹底させるための言葉遣いだったのです。

当時の体育会は、〝前近代的で遅れた社会集団〟とされていました。偏見もあるでしょうが、多数派の軟派な学生が「ありがとうございます」のような言い方を嫌ったのは、「あんなのといっしょにされたらカッコ悪い」と思っていたからです。親切にされてお礼をいうのは当然ですが、会社での業務上の連絡にまで「ありがとうございます」を連発するのでは、自分が劣位にあると認めているようなものです。

近代的な人間関係の原則は"ひとはみな平等"です。会社において上司が部下に命令するのは職階が高いからで、人格的に優れているからではありません。だからこそ欧米では、会社を離れれば上司と部下は対等だし、お互いにニックネームでタメ口をきくのです(建前の要素は多分にありますが)。

アメリカの会社で上司が先のようなことをいったら、「なるほど。クールですね」「超ラッキー!」というような会話になるでしょう。良くも悪くも、職場はかぎりなくカジュアル化、フラット化しています。

それに対してなぜか日本では、若者たちの言葉遣いが「体育会化」する一方です。「よろしかったでしょうか」などの現代口語と同様に、丁寧語や謙譲語が過剰になるのは人間関係でリスクを避けるための用法なのでしょう。「ありがとうございます」といわれて、怒り出すひとはいないからです。

それでも私は古い人間なので、「べつに礼をいわれるようなことはしてないよ」と思ってしまうのです。

(2014年2月3日発売号『週刊プレイボーイ』より転載)