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さて、じゃあ、童貞をこじらせたおっさんが風俗に行ったからといって、ようやく承認ゲームから降りられましたよ、という話なのかといったら、そうではない。むしろ、古くさくなって機能しなくなった非モテという承認ロジックからいち早く脱出することで、別の承認を集めようとする運動に過ぎない。自意識の檻の中から、別のこじれた自意識の檻へと移動しただけだ。
だけど、人は自意識から完全に自由になることはできない。むしろ、自意識から完全に自由になった人間など、もはや人間ではない。ならばせめて、自意識の檻の中で小さな美学を守りたい。
風俗に行った僕は、すでに非モテの陣営にも、モテの陣営にも与することはできない。そして、今、どっちにも与しないという形で、その承認ゲームのなかに組み込まれている。要するに非モテ界隈で新しいポジショントークを始めたに過ぎないのだ。
結局のところ、そうして意識し続ける限り、このゲームからは抜け出せない。仮に抜け出したとしても、どうせ非モテではない、ほかの承認ゲームの一員になるだけだ。それが承認ゲームの残酷さだ。
だから、ある意味では三十路の童貞が風俗に行ってきました、なんて話はどう転んでも痛い話でしかない。
だけど、ようやくこれで肩の荷が下りた、という気持ちになれた。
32歳まで童貞を引っ張っておいて、ほとんど脈絡なく風俗に行ったとき、「非モテ/リア充」の二元論的世界のなかで、僕は宙ぶらりんになった。非モテの陣営のなかで大きな顔をしてものを語るポジションではなくなったし、かといって、リア充側に移ったわけでも決してない。どこにも足場のないような場所に行き着いた気分だった。
いまだにこうして非モテ界隈なんてところについて文章を書いている時点で未練がましいのだけれども、少なくともこれで「昔非モテで鳴らしたおっさん」から、「ただのダサいおっさん」になれた気がした。それは、すがすがしいことだった。
この文章が誰かの役に立つのかはわからない。とりあえず現実の友人関係には多少なり波風を立てるだろうし、いくつかのところではまた「扱いづらい人」というポジションを強固にしてしまうと思う。だけど、年の最後だ。非モテ界隈という場所をつくった第一世代の最後の仕事として、2013年に置いていこうと思ったのだ。
これで、ようやく気持ちよく2014年を迎えられる。
追伸:風俗に行った話だからということで全裸待機してた人向けに一応書いておくけど、おっさん、うすうす気づいてたんだけど、やっぱりEDになってて1回目は立たず、いわゆるバイアグラ的な薬処方してもらってリベンジさせていただきました。医学すごい。
【これで終わります。最後にモーターショーの画像をお楽しみください】