2人のマリアと午後にお茶:彼女たちがエルサルバドルから米国にやってきた理由

彼女は、本国で今どうしているのだろうか...。
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昨年の夏に日本から米国ワシントンD.C.エリアに引っ越してきて、そろそろ1年が経ちます。この間、少しずつ生活困窮の現場でボランティアをしたり、米国の貧困状況を知るためのイベントなどに参加したりしています。

その中で、私にとってとても素晴らしく、印象に残っている時間の一つが元ホームレスの女性たちが共同で暮らすグループホームを訪れた時のことです。

小さなグループホームで暮らす2人のマリア

ワシントンD.C.の中心地から車で1時間とかからない緑豊かな住宅地に、そのグループホームはありました。小さな一軒家です。そこには6名の女性たちが暮らしています。2人は白人、もう2人はアフリカ系(黒人)、そしてもう2人はエルサルバドルからやってきたヒスパニック系でした。ヒスパニック系の2人は同じ名前で、ここでは仮にマリアとしておきます。

米国のボランティアではよくあるパターンですが、この日私は他のボランティアと共にランチタイムに合わせて、料理を一品作って持って行きました。挨拶と自己紹介を終えると、キッチンでボランティアたちが持ち寄った食事を温めたり、お皿に盛り付けたりしてリビングの食卓に昼食を用意します。ちなみに私が持っていったのは魚介の炊き込みご飯です。

そしてみんなで食べるランチタイム。食事が始まると、それぞれのキャラクターや状況が垣間見えます。皆と一緒に食卓につかずテレビを観ている人、よく喋る人、全く喋らない人、なんでも食べる人、かなり偏食な人、それぞれです。2人のマリアは自己紹介をして以降、ほとんど喋ることはありません。他の入居者が「彼女たちは、英語が喋れないのよ」と教えてくれます。

食事中、私は1人の白人女性と医療保険の話をしました。「日本ではみんな医療保険に入っているんでしょ?」「どんな仕組みなの?」「オバマケア?米国はひどいもんよ」などと彼女が話す横で、2人のマリアは静かに、黙々と食事をとっていました。

食事が終わると、みんなでゲームをしながらティータイム。ゲームはビンゴゲームをしました。英語が不自由でも参加しやすいこのゲームは2人のマリアも好きなのだそう。賞品はクッキーなどの焼き菓子でした。穏やかに流れていく午後の時間。リビングには小さな裏庭から静かに春の柔らかな日差しが差し込んでいました。私たちボランティアも、居心地の良さについつい長居をしてしまい、気づけば3時過ぎ。片付けをしてお暇することとしました。

彼女たちはなぜ米国にやってきたのか

穏やかなティータイムを過ごしながら、私は2人のマリアがこのグループホームにたどり着くまでの道のりをうっすらと考えていました。この日は、ちょうど短期の語学研修でアルゼンチンからやってきた大学生がボランティアに入っていたので、彼女が2人のマリアにスペイン語で話しかけたりしていたのですが、それでも彼女たちはほとんど話しません。ですから、私たちは想像するしかありません。

でも、考えてみてください。言葉もわからない国に、何のあてもなくやってくるというのは、どれだけ心細かったことでしょうか。そして実際に暮らしは成り立たず米国でホームレスになってしまうわけです。また、エルサルバドルは中米にあり、米国に来るためには間にガテマラ、メキシコを超えてこなくてはなりません。特にメキシコ北側のエリアは非常に危険なエリアで、決して行ってはいけないエリアと言われます(*1)。おそらく2人のマリアは、他の多くの移民たちと同様陸路でこの道のりをやってきたのだろうと思います。その背後に、それでも国に残るよりアメリカにくる方が良い、深刻な事情があったのではないか・・・、と想像できます。

米国にやってくる中米の人々が求めるもの

エルサルバドルと言っても、日本ではあまり馴染みはない人が多いと思いますが、貧しい国であることに加え、世界有数の治安の悪い国だと言われます。今年に入ってからも「女性を標的にした殺人発生率が世界一高い国」として、エルサルバドルの女性をリポートした記事を目にしました(*2)。

メキシコに住み、中南米各国を旅してきたスペイン人の友人は、中米を「国がほとんど崩壊している」「暴力の歴史」だと言います。現在、メキシコ国境をこえて米国に入国しようとやってくる移民は、メキシコだけではなくマリアたちと同じメキシコより南の中米から多くやってきています。先日は、ワシントン・ポストが"Why do some families risk crossing the U.S. border? Because if they don't, they'll be killed.(なぜ家族たちは米国国境を超えるリスクを犯すのか?それはそうしなければ殺されるからだ)"(2018年6月20日掲載)という記事を掲載、下記のように書いています。

Many of these families are coming from exceedingly violent corners of Central America and aren't just traveling to the United States for better jobs or more economic opportunities. Some are literally fleeing for their lives.

(こうした家族の多くが、中米の極めて暴力に満ちた地域からやってきたであり、単により良い仕事や経済的なチャンスを求めて米国に旅してきたのではない。命のためにまさに逃れてきたのだ)

日本での報道を見ると単純に「不法移民」と表記されているものが多く、ややもすると「不法にやってくる方が悪いのではないか」と思ってしまいそうです。しかし、難民同様、自分たちの国で暮らすことが難しく、保護(英語ではasylumと言われます)を求めて米国に逃げてきているのです。

午後のティータイムの意味するもの

こうして彼女たちの道のりに思いを馳せてみると、私が2人のマリアと過ごした時間がいかに貴重な時間であったかと思わされます。命を脅かされない、ここから逃げなくて良い、狭いながらも今夜も明日も安心して眠れる場所がある・・・春のうららかな日差しの中で、特別高価でもないどこにでも安く売っているようなクッキーをつまみながら、みんなで過ごしたティータイムは、私たちにとって何気ない日常が保障されない人たちが世界にはたくさんいる、ということを痛いほど感じさせ、ここで2人のマリアに出会えたことが奇跡のように感じられます。

日本で出会った子どもたちのこと

最後に、もう一つだけ。米国でのこの移民の問題に触れる時、私は日本の生活困窮者支援、若者支援の現場で出会ってきた難民の子どもたちや若者たちの顔を思い出さずにはいられません。日本の難民認定は非常に厳しく(*3)先日も、日本で出会い、支援者として関わったアジアからの難民のお子さんが日本での在留を認められず、本国に帰っていったと日本から悲しい便りが届きました。彼女は、本国で今どうしているのだろうか...。いつか、彼女の少しシャイな笑顔をもう一度見られる日がくること、できたら一緒にティータイムを過ごせることを、ただ祈るばかりです。

【参照先】

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