こんにちは、アーメッド弥央です。久しぶりの投稿です。
出産や息子の度重なる予防接種、自分や友人の結婚式など、去年の8月から今年5月までほとんど日本で過ごしていました。
日本はバングラデシュと比べ物にならない程快適ではありますが、住み慣れた環境なだけあって刺激はゼロ。5月中旬にはバングラデシュに帰り、仕事も本格的に復帰するので楽しみです!
今回は、バングラデシュで私が経験したカルチャーショックについて書きます。
バングラデシュといえば、のんびりしていてアバウトなお国柄に加え、不安定な情勢、脆弱なインフラなどが理由で、一言で言えば「思い通りにいくことが少ない」ということがまずカルチャーショックです。でも、自分がカルチャーショックを受けた出来事をひとつひとつ思い起こしてみると、比較的「ある人物」との関わり合いから感じることが非常に多い、ということに気づきました。
その「ある人物」とは......私の夫の弟、つまり義理の弟です(笑)。今回はそんな義弟とのエピソードを、私が経験したカルチャーショックを交えつつ、お伝えします(もはや愚痴かもしれません......)。
※写真:義父の田舎に遊びに行った時。一応、全員親戚だそうです! 離れていく家族をこんな感じで全員が見送る光景は、バングラあるあるです。
職なし、金なし、彼女なし。でも、慌てな~い
夫と息子と義弟と一緒に動物園に行った時
義理の弟は、かなりののんびり屋。今は(といっても、もう2〜3年のあいだ)無職で、自宅警備員生活を満喫しています。噂によると、バングラデシュにはいい歳になっても無職で親のスネをかじっている人が多いようです。
今の姿からは全く想像できませんが、昔は外資系銀行員でそこそこエリートの道を歩んでいたらしいのに、ではなぜ彼はその道を離れて無職になってしまったのか? 理由はひとつ、「失恋」です!
夫の話によると、当時付き合っていた彼女と別れ、そのショックで仕事もできなくなり、全てが変わってしまったそうです。なんと、相手の女の子は家のすぐ下の階に住んでいることもあり、吹っ切れることもできず、未だに前に進めずにいます。
無職のため、もちろんお金も無く、 34歳にして母親にお小遣いをもらって生活しています。義母は、そんな義弟に早く結婚して責任感を養ってもらいたいようで、よく若い子とお見合いをセッティングしています。
バングラデシュではお見合い結婚が多いのですが、彼の場合は無職、年上すぎる、おまけにお腹が出ている(バングラデシュではお米を食べる量が半端ないからなのか、甘いものばかり食べるからなのか、お腹が出ている人が多いです)という理由から、連戦連敗。
でも、彼は決して慌てません。「そのうち就職するよ〜」と言って就職しないのんびりスタンスを崩しません。嫁の立場ながら、お義母さんには何度も家を追い出して自活させるよう提案しているのですが、義母も息子に甘く、文句を言いつつお小遣いをあげ続けます。
先月、お義母さんと義弟が東京を訪れたのですが、5日間の滞在で彼が持参したお金はなんと1万円。他力本願もいいところですが、そこに一切の罪悪感を感じていないのもむしろ才能です。
イスラム教には喜捨(ザカート)という概念で、財をもつ者はもたない者に分け与えるという教えがあるのですが、彼の「誰かに助けてもらって当たり前」というスタンスはここから来ているのでしょうか......。
ちなみに、彼も自分の友達がお金に困っていた時、迷わず自分のお金を貸してあげていました。
あまりにもマイペースで短絡的な思考回路
家族みんなで東京観光をした時
こんなこともありました。私と夫の日本の結婚式に参列するため、義弟はバングラからのチケット手配を任されていたのですが、出発予定日5日前になってもまだ予約していませんでした。渡航日程もだいぶ前から決まっていたにも関わらず、なぜまだ予約していないのかを問い詰めると、「まだ5日ある」との名言。「もう5日間しかないじゃないの?」というツッコミは通用しません。(そのあと、なんとか航空券は無事予約することができました。)
ちなみに結婚式当日も、朝7時に宿泊先から家族全員で出発する予定でしたが、義弟は絶対に時間に間に合わないだろうと、出発時間を30分早く伝えたにも関わらず、彼が起きたのは6時15分。その後急かすも虚しく、まったく焦ることなく準備を進め、当初の予定出発時間の7時にも間に合いませんでした。結局、義弟を置いて先に出発せざるを得ませんでした。
また、これも日本旅行での話ですが、彼は大きなスーツケースを持っていなかったので、私の母のスーツケースを貸すことにしました。しかし、鍵がパスワード式でうまく開けられなかったことを理由に、なんの相談もなしに業者を呼んでロックを壊したということもありました。愛用していたスーツケースなだけに、衝撃でした。開かない すぐ壊すと短絡的な思考になる前に、人から借りたスーツケースを壊したらどうなるのかを考えたり、他に開ける方法を試行錯誤したりしなかったのか......と不思議に思います。
義弟とのエピソードからは離れますが、ダッカの街を歩いているだけでも、バングラデシュ人の短絡的な点は感じられます。
ダッカの道路は、エリア名+番号が割り振られているのですが、番号も単純に1、2、3...と続くのではなく、2A、2Bのように、たまに数字+アルファベットの道がありがあります。これは、道を無計画に作って番号を割り振った後に、「ここにも新たに道を作ろう」と道を枝分かれさせた結果、追加で作られた道に、数字+アルファベットがつけられたとか......。短絡的というか、もはやどれだけ無計画なのでしょう。
そんなバングラデシュで暮らすために、必要な力とは
息子の面倒を見てくれている義弟
今回紹介した義弟の話は極端な例かもしれませんが、のんびりしていたり、短絡的だったり、他力本願でその状況に危機感を感じないような性格のバングラデシュ人は多い気がします。少なくとも、私が今まで住んだことのある日本やシンガポールよりは格段に多いと思います。
そんなフラストレーションを溜めさせる人が多いバングラデシュを乗りきるために、私は「諦め」や「割りきる」力が自然と身についた気がします。
これまで散々、愚痴ともいえる義弟とのカルチャーショックな出来事について綴ってきました。そんな義弟も、人柄はとても穏やかで優しく、私が妊娠中であまり動けなかった時は、私の手足となり色々な用事を済ませてくれました。
育児中の今も、私の会社に息子と一緒に来て、嫌な顔ひとつせずオフィスでベビーシッターをしてくれます。とってもマイペースで一緒にいると疲れる義弟ではありますが、最後は彼を少しだけフォローしつつ、記事を終えたいと思います(笑)。
経験した日: 2017年05月19日
Ambassadorのプロフィール
アーメッド弥央
1988年生まれ、北海道出身。異文化と触れ合い新しい世界をみることが好きで、アイスランドの留学や世界約35カ国への旅、また東京で国際交流を目的としたNPO「Japanize」を友人と運営した経験あり。東京、シンガポールでの勤務を経て、2016年1月にバングラデシュに移住。バングラデシュ人の夫が経営するスタートアップHishabにて、ボイスユーザインターフェースのERPを新興国マーケットに展開中。