トルコには350 万人を超えるシリア難民がおり、トルコ政府が運営する難民キャンプの定員をはるかに超えています。そのため9 割以上がキャンプの外で生活をしています。シリア危機勃発から今年の3 月で7 年、シリアへの帰国の目処が立たないなか、経済状況や就労、就学、心身の健康状態など、難民一人ひとりの状況が一層異なってきており、それぞれの状況に応じた支援が求められています。AAR Japan[難民を助ける会] が行っている個別支援について、トルコ事務所の景平義文が報告します。
AAR がトルコで運営するコミュニティセンターに通うシリア難民の子どもたち。センターでは、学校の授業の補習や宿題のサポート、さまざまなイベントの開催を通じて難民の子どもたちの避難生活を支えています。(2018年2月)
1軒、1軒、支援から取り残されている難民を探して
2014年、トルコ政府は流入の続く難民への対応として、「一時的保護制度」を導入しました。この制度に登録すれば、シリア難民もトルコで医療や教育などの公共サービスを無料で受けることができます。しかし、350万というあまりに多い難民の数に対し、サービスの提供が追いついていません。さらに、トルコ政府が提供する公共サービスは均一性が高く、個別の配慮が必要な障がい者などへの支援は限られています。また、難民が抱える千差万別の課題には対応しきれていません。
そこでAARは現在、シャンルウルファ県、マルディン県、イスタンブール市に事務所を構え、子どもや障がい者のいる世帯を中心に、行政などから必要な支援を受けられずに困窮しているシリア難民への個別支援を行っています。
スタッフは、難民が多く暮らす地域の集合住宅を1軒1軒訪問したり、地域住民に聞き込み調査をしたりしながら、そうした難民の世帯を探しています。また、AARが運営しているコミュニティセンターに来た子どもたちの様子に気がかりな点があった場合には、家庭訪問するなどして、何か問題がないか、支援が必要か、調査しています。
この地域に困窮しているシリア人の家族がいるとの情報を聞き、その家族を探すため近隣の住民に聞き取り調査をしているイスタンブール事務所のスタッフたち(2017年7月)
一人ひとりの状況に応じた支援
難民の方たちの一番の課題は、仕事を得ることです。継続した収入さえあれば解決できる多くの問題に直面しており、中でも深刻なのが児童労働の蔓延です。シリア難民がトルコで継続的な収入を得ることは難しく、比較的仕事の得やすい子どもを、学校に行かせる代わりに働かさせざるを得ない家庭が多くあります。AARでは労働に従事する児童を見つけると、まずは家族に教育の重要性を訴え、理解を促します。さらに、状況に応じて家族への生計支援や職業訓練、親への精神的なケア 、煩雑な入学手続きを代行する支援などを行っています。これによって学校に通えるようになった子どもが何人もいるのは、うれしい成果です。
シリアで戦闘や空爆に巻き込まれてけがを負った人や、トルコに避難したために通院ができなくなった身体障がい者には、障がいの程度や生活環境に合わせた支援計画を立てています。車いすや歩行器などの補助具を提供する団体は他にもありますが、AARはそれに加え、専属の理学療法士によるリハビリの提供や、リハビリが日常的に行えるよう家族に対してリハビリの方法を指導するなど、包括的な支援を行っているのが特徴です。
この他、言語の壁による公共サービスへのアクセス制限、地元住民による差別や偏見、地域社会における孤立など、難民はさまざまな困難に直面します。AARでは、どのようなケースに対しては支援をするのか、あるいはどのような支援を提供するのか、といったガイドラインを策定しています。しかし、ガイドラインに記載のない問題であっても、必要性が認められた場合には支援を提供する、緊急度が高い方に対しては優先的に支援を進めるなど、柔軟な対応を心がけています。2017 年度、AARは2,477人にこうした個別支援を提供しました。
「生まれて初めて学校に通えます」ネスリンさん(9歳)
ネスリンさん(右)とAAR マルディン事務所のニスリーン・アフメッド(2018年6月)
「シリアにいたとき家が爆撃され、お父さんとお母さんは崩れた家の下敷きになり死んでしまいました。その後、3歳のときに、おじさんの家族と一緒にトルコに来ました。おじさんはトルコで仕事がみつかっていません。去年、AARの人が食べ物や新しい洋服を持ってきてくれました。ボロボロの服しか持っていなかったのでとてもうれしかった。学校に通えるよう手続きもしてくれ、9月から生まれて初めて学校で勉強をします」
「立って歩くのが夢でした」サーラさん(14歳)
起立保持具を装着して立つサーラさんと理学療法士の資格を持つAAR シャンルウルファ事務所のイーサ・エルハマド(2017年9月)
「昨年、シリアの北部の街からお母さんと一緒にトルコに来ました。3年前に脊髄の病気で下半身がマヒし、自分の脚で立つことができなくなりました。トルコに来てからもずっと寝たきりの生活でしたが、AARが支援をしてくれることになり、何度も家に来てくれ、リハビリをしました。それでも立つことができなかったため、AARは2種類の補助具を提供してくれました。慣れるのに時間がかかりましたが、今はこの補助具のおかげで、立って歩くことができます。公園や買い物にも行けるようになりました」
「先が見えないこと」が当たり前に
2年くらい前までは、難民の方々から、先が見えないことへの不安が伝わってきていましたが、現在「先が見えないこと」はあたり前になっています。非日常であるはずの難民としての暮らしが、日常になってしまっていることを痛感します。もちろんその状態に何も感じなくなったわけではなく、長引く避難生活で、不安や辛さといった感情が、あまり表に出てこなくなっているようです。そのために私たちにとっても、彼らが必要としている支援が何かが以前よりも分かりにくく、支援活動も難しくなっているように思います。そんな状況だからこそ、一人ひとりの声をさらによく聞き、本当に必要な支援が何かを探り出し、これからも届けてまいります。難民の方々が未来に希望を持てるよう、引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。
【報告者】
トルコ事務所 景平 義文
大学院で教育開発を専攻した後、ケニアで活動するNGOに就職。約3年間現地で学校建設支援などに携わった後、緊急・復興支援に携わろうと2012年11月にAARへ。東京事務局でシリア難民支援を担当した後、2017年8月より現職。大阪府出身