2018年11月20日、AAR Japan[難民を助ける会]が支援するパキスタンの小学校で、当会が設置した井戸や水道タンク、トイレを同校へ引き渡すにあたり、式典を開きました。東京事務局の紺野誠二からの報告です。
巨大なテントの下で
引き渡し式典が行われるハイバル・パフトゥンハー州ハリプール郡ハッタールの小学校まで車で1時間半。幹線道路から外れ、舗装されていないでこぼこ道を3分も走行すると学校に到着。式典に政府関係者も出席するため、会場を含め30名ほどの警察官が警備をし、周辺の高い建物の上では銃を持った警察官が一帯の状況を確認するなどしていました。会場には、サーカスのような巨大テントが、学校の建物に合わせて器用に設営されていました。
午後2時、予定の時刻に式典を開始。警備を除いて参加者は70人ほどです。まず、駐在員の大泉泰が参加者の皆さまへのご挨拶と、来賓の紹介をしました。日本大使館の倉井高志特命全権大使や、ハイバル・パフトゥンハー州の教育局初等中等教育局長、ハリプールの郡長がお忙しい中、来賓としてご列席くださいました。
倉井大使は、基礎教育の意義や女子教育の重要性についてスピーチし、参加している子どもたちはおとなしく聞いていました。大使がスピーチの最後に「Pakistan ! Zindabad!」と発すると、参加している保護者や子どもたちは拍手喝采。この言葉は同国のスローガンで、英語では "Long Live Pakistan"、日本語では「頑張れ!日本!」や「万歳!日本」といった意味です。
パキスタン側の来賓の方々は、スピーチの中でAARの活動に触れてくださいました。「2005年の地震の際に被災した人たちのために駆けつけてくれたこと、2010年の洪水のときにも支援してくれたことに感謝申し上げたい」との言葉に胸が熱くなると同時に「2005年に地震の被災地に入ってからもう13年が過ぎたのか」と、懐かしくなりました。
会話から感じる、活動の成果
今日の日のために子どもたちが出し物を準備してくれていました。「WELCOME(歓迎)」の文字が一文字ずつ入った服を着てダンスを披露してくれたり、「ゴミはゴミ箱に捨てましょう」と伝える寸劇を演じてくれたり、「手を洗いましょう」というパフォーマンスや歌を見せてくれたりしました。
以前学校を訪問した際にも、先生たちから「実は子どもたちには歌を使って手洗いの大切さを教えているんです」と聞いていたため、特別なパフォーマンスではないのかもしれません。
大切なのは、パフォーマンスをすることだけでなく、実際に毎日手を洗って清潔にすること。それが風邪予防に、そして、学校を休まないことにつながります。また、先生は「ときどき、子どもたちの爪が伸びすぎていないかチェックするのよ」と教えてくださいました。こうして細かいところまで気を配られていることを知り、AARが教員向けに衛生教育の研修を行った成果を感じました。それにしても、360人以上の生徒に対して9人しか先生がいないのだから、先生たちも本当に大変でしょう。
式典の最後は、倉井大使をはじめとする来賓の皆さまによるテープカットと、子どもたちによる手洗いのデモンストレーションでした。そのそばでは、地元のメディアなど写真を撮りたい人がごった返し。メディアを通じて少しでもこのような手洗いや衛生面での活動の重要性が伝われば、と願うばかりです。
式典が終わり、AARが提供した浄水フィルターなどをお見せした後はお茶と歓談の時間。大使をはじめ来賓の皆さんは校長室へ向かいました。すると保護者の方々が私に寄ってきて「子どもの写真を撮って!」と迫りました。
子どもたちの未来を支える人々
歓談が終わり、来賓の方々が帰り始めました。私は、式典の最中にずっと気になっていたことを現地スタッフに聞きました。「あのWELCOMEと描かれた綺麗な壁画は、作ることになっていたっけ?予算に入っていたかな?」すると横で聞いていた校長先生が、「あれは2日間かけて私たち教員が描いたの。学校の中の飾りも私たちがやったの」と教えてくれました。こうやって協力してくれる人たちが沢山いるからこそ、私たちの事業は成り立つし、子どもたちの健康も保たれるのだと、頭が下がる思いでした。
その後、大勢いた警察官も全員引き上げていき、すべて終了。翌日は祝日(イスラム教の創始者、マホメットの誕生日)のため学校はお休みです。先生方の明後日からの奮闘を心から願いました。
この活動は皆さまからのご寄付に加え、外務省日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて実施しています。
【報告者】
東京事務局 紺野 誠二
2000年4月から約10ヵ月イギリスの地雷除去NGO「ヘイロー・トラスト」に出向、不発弾・地雷除去作業に従事。その後2008年3月までAARにて地雷対策、啓発、緊急支援を担当。AAR離職後に社会福祉士、精神保健福祉士の資格取得。海外の障がい者支援、国内の社会福祉、子ども支援の国際協力NGOでの勤務を経て2018年2月に復帰。茨城県出身