商業捕鯨が再開へ。クジラと日本をめぐる、これまでの歴史は?

かつては「クジラの竜田揚げ」などが、学校給食でもお馴染みでした。

商業捕鯨の再開に向けて、政府がIWC(国際捕鯨委員会)から脱退する方針を固めたと12月19日、共同通信など各社が報じた。日本が9月のIWC総会で商業捕鯨の一部再開を提案、否決されていた。

クジラをめぐる日本とIWCの歴史を振り返った。

【日本では古来からクジラ漁が行われてきた】

日本では古来から一部の沿岸地域でクジラ漁が行われてきた。

1930年代、日本が南極に捕鯨船を初めて派遣。戦後の食糧難だった1940年代末から60年代半ばごろの、日本の主要なタンパク源としてクジラの肉が重宝された。学校給食などでもお馴染みの食品となった。最盛期の60年代前半に、日本では年間20万トンのクジラを捕っていた。

昭和27年の学校給食。コッペパン、ミルク(脱脂粉乳)、鯨の竜田揚げ、せんキャベツ、ジャム。(学校給食歴史館の展示サンプルを撮影)
昭和27年の学校給食。コッペパン、ミルク(脱脂粉乳)、鯨の竜田揚げ、せんキャベツ、ジャム。(学校給食歴史館の展示サンプルを撮影)
時事通信社

【捕鯨国中心にIWCが発足】

世界のクジラ類の乱獲を防ぎ管理することを目的に、1946年に国際捕鯨取締条約が締結され、1948年にIWCが主要捕鯨国である15カ国で発足(現在の加盟国は89カ国)。日本は1951年に加盟した。

IWCでは、国別に捕獲枠や減少鯨種の捕獲禁止措置(国別割当制)を実施し、資源管理を強化するなどの管理策を実施していった。

その結果、アメリカやイギリス、オーストラリアなどは捕鯨産業から撤退。一方で動物愛護や環境保護の観点から反捕鯨運動が活発化した。

【1970年代・反捕鯨国との対立が激化】

捕鯨国と「クジラは絶滅の危機にある」とする反捕鯨国の対立が激化した。

1972年に開催された国連人間環境会議で「10年間の商業捕鯨禁止」が採択された。その後、反捕鯨国が次々とIWCに加盟していった。

【1980年代・商業捕鯨が一時禁止 調査捕鯨へ】

かつての捕鯨国だったアメリカやイギリスなどが捕鯨反対に回ったことで、80年代には反捕鯨国が多数派を占めるようになった。

1982年、IWC加盟国の4分の3以上の賛成によって、商業捕鯨の一時禁止が決まった。この一時禁止が現在まで続いている。

日本は1987年に南極海での商業捕鯨から撤退。同年に、南極海での生息数などを調べることを目的に調査捕鯨を開始する。

調査によって得られたクジラ肉は有効利用することになっており、食用として市場に供給されている。一方で反捕鯨国は「調査捕鯨は商業捕鯨の隠れみのだ」として批判を展開している。

1988年、大型のクジラを対象とする商業捕鯨は沿岸海域も含めて全面禁止となった。日本は商業捕鯨から撤退する。一方で、沿岸部ではIWCの規制対象種以外のクジラの捕獲は続行している。

調査捕鯨で取ったミンククジラの肉を販売する仲卸店(東京都中央区の築地市場、2002年)
調査捕鯨で取ったミンククジラの肉を販売する仲卸店(東京都中央区の築地市場、2002年)
時事通信社

【1990年代・北欧でIWC脱退の動き】

1992年、反捕鯨国が主導するIWCに反発して、アイスランドが脱退。93年にノルウェーも商業捕鯨を再開した。

1994年、日本は北大西洋でも調査捕鯨を開始する。この頃から反捕鯨団体のシー・シェパードなどによる妨害行為が激しくなり、再び国際的な世論も捕鯨に対して厳しくなった。

オーストラリア・シドニー湾で行われたクジラ保護団体の反捕鯨の海上デモ(2006年撮影)
オーストラリア・シドニー湾で行われたクジラ保護団体の反捕鯨の海上デモ(2006年撮影)

【2010年代・国際司法裁判所が調査捕鯨停止を求める】

2014年、国際司法裁判所が日本の南極海での調査捕鯨について、科学的調査にあたらないとして停止を求める。日本は1年間、中止したが、規模を縮小して再開する。

2016年、IWCで半世紀ぶりとなる日本人議長が選出。2018年9月、日本がIWCに提案した商業捕鯨の再開案が否決された。谷合正明・農林水産副大臣が「あらゆる選択肢を精査せざるをえない」と総会で発言し、IWCからの脱退の可能性に言及した。

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