30年、隠してきた抜毛症...スキンヘッドにしたら、自由になれた。

頭を丸めたら、そこに美しさがあった。

頭髪をすべて剃るスキンヘッドのモデルやパフォーマーとして活躍している土屋光子さん。髪の毛がないことからもたらされる美しさが、評判を呼んでいる。

土屋さんは、自分の毛を抜いてしまう「抜毛症」(トリコチロマニア)に30年以上悩まされてきた。その生活に区切りを付けるために、2016年9月、自分の頭髪をすべて剃った。

ひた隠しにしてきた抜毛を受け入れたことが、いまの活動につながる一歩だったという。

湘南バリアフリーフェスティバルでヘッドドレスのブランド「東京SASSY」のヘッドピースをつけた土屋光子さん(右)
湘南バリアフリーフェスティバルでヘッドドレスのブランド「東京SASSY」のヘッドピースをつけた土屋光子さん(右)
東京SASSY

抜毛症は、普通に生えている髪の毛や眉毛などを自ら抜いてしまう。抜きたい気持ちを抑えられずに周りの毛がないと分かるような状態まで抜くことが多い。成人の1%前後が発症しているとされるが、隠している人も多い。

自分の毛を抜き始めたのは、小学校1年生のころだったと思います。枝毛探しをしていた姉を真似て、自分の髪の毛を抜いたのがきっかけです。それから30年以上、ずっとやめられずにきました。頭頂部は髪の毛がほとんど無い状態で、落ち武者みたいでした。そんな癖があると気づかれるのも怖くて、頭をポンポンと触られることすら嫌がっていました。

当時は抜毛する自分が許せなくて、どうにかしてこの癖をやめたかった。でも、やめられなかったんです。しばらく抜かない日が続いて状態がよくなるときもありましたが、ふとすると山盛りの髪の毛を抜いて元に戻ってしまうのです。

高校生になると、かつら専門店に行ってかつらを作ってもらっていました。抜毛の跡を隠すためだったのですが、1つ50万-60万円もするんです。そのお金を用意するために、アルバイトを掛け持ちしてお金を貯めて、2年に1度買い替えるという生活を繰り返していました。

歌手活動やヘアメイク、芸者など、様々な仕事に挑戦する一方で、抜毛の癖は、家族以外には、ずっとひた隠しにしていました。

そのうち、私、いつまでこんな生活を続けるんだろう、と思うようになりました。いつまで何十万円もするかつらを買い続けて、この頭を隠さなければいけないんだろうって。

もういいや、自分のありのままを受け入れよう、と決めました。夫に電気カミソリで残っていた髪の毛を全部剃ってもらいました。

残っていた髪の毛も全てそり落とし、抜毛症を公表した土屋さん=土屋さんのブログより
残っていた髪の毛も全てそり落とし、抜毛症を公表した土屋さん=土屋さんのブログより

両親の喧嘩、離婚、母親の躁鬱

それらのストレスだと私自身も思っていたし

家族もそう思っていました。

それから30年経ち

ようやく気が付きました。

●●のせい にしていた自分を。

好きな人ができたら治るかな

結婚したら治るかな。

子供産んだら治るかな。

そんな風に思っていたけれど治らなかった。

ずっと●●のせいにしてきたから。

土屋さんのブログ「スキンヘッドになりました」から抜粋)

頭を丸め、自分が抜毛症だと公表した後、私という人間は何をしたいのかを考え、ブログに書き出してみました。表現活動をしたいと思って、「スキンヘッドモデル」「頭蓋骨モデル」などと書いたのを覚えています。

ワタシという媒体を

通じて その作品がもつ

世界観を表現したい

(土屋さんのブログ「ワタシがしたいこと」から抜粋)

抜毛症を公表してからほどなく、バリアフリーをテーマにした「tenbo」のデザイナー・鶴田能史さんと縁ができ、翌年2月、千葉市が主催するバリアフリーのファッションショー「チバフリ」の舞台で、初めて毛のない頭で人前に登場しました。

このとき、頭に絵を描いてもらったんです。あ、こういう可能性があるのか、と気づいた。

チバフリで頭に絵を描いてもらう土屋さん
チバフリで頭に絵を描いてもらう土屋さん
本人提供

漠然と、自分の頭や体を使ってなにかできるだろうと思ってはいたけれど、実際にこんな見せ方があることを知って、その上、周りから素敵だねと言ってもらえて、わたし、もっとできる!と欲が出てきたたんです。

次第に新たなつながりが生まれていく。多発性脱毛症の当事者でオリジナルのヘッドスカーフを販売する「リノレア」を立ち上げた角田真住さん、汎発性脱毛症の斉藤淳子さんたちと2017年8月、髪の毛のない人たちによるプロジェクト「Alopecia Style Project Japan」を設立した。アートや美しさといったアプローチで、脱毛症や抜毛症を知ってもらうのが目的だ。

活動の場は広がり、様々なイベントに出演しているほか、ニューヨークのオフブロードウェイで開かれたチャリティイベントやヘッドドレスのブランド「東京SASSY」が製作したヘッドピースのモデルとしても登場している。

髪の毛を失った、たったそれだけのことで、

私たちは稀有な目で見られ、傷つき、涙してきました。

自分の容姿を「隠さなければ」と思いながら鏡の前に立つ。

自分を隠そうとするそんな自分の気持ちに、自らの心を傷つけてきました。

でも本当に私たちの容姿は隠さなくてはならないほど醜いものでしょうか。

(Alopecia Style Project Japanのホームページより)

土屋光子さん
土屋光子さん

髪の毛を全部剃ってから、それまでの「常識」にもさほどこだわらなくなりました。

抜毛もそうです。髪の毛がなければおかしいのか、自傷行為をしていることがそんなにダメなのか、と。考えてみれば、自分は髪を抜くことで心の安定を保ってきた。それはお酒で気持ちを発散させるなど、自分のバランスを保つという意味では 、同じようなものではないかと思うのです。

今は、自分たちが「キャンバス」になりたいと思っています。 髪がないことは、どんな風にも変われるということでもあります。 今後も新しいコラボレーションを生み出していきたいと思います。

土屋光子さん
土屋光子さん
Ellenote Photography

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