12月13日の朝日新聞社会面トップ記事の見出し【検察と二人三脚、日産の誤算 事件本筋、背任より報酬隠し】が目を引いた。
11月19日夕刻、日産のカルロス・ゴーン会長を乗せて羽田空港に到着した専用機に、東京地検特捜部の係官が乗り込んでいく現場を撮影し、いち早く、「ゴーン会長逮捕へ」とスクープし、その映像を他のメディアにも提供するなど、まさに、検察の「従軍記者」として大活躍してきた朝日新聞が、ゴーン氏がその逮捕事実で起訴された数日後に、「検察と二人三脚、日産の誤算」などという記事を書くことになるとは、朝日新聞には想像すらできなかったであろう。
「ルノー、ゴーン氏を解任せず」で日産経営陣はさらなる窮地に
同記事では、検察の捜査権限を恃んでゴーン氏を狙う「クーデター」を仕掛けた日産経営陣の「誤算」について、以下のように述べている。
西川広人社長は、ゴーン前会長らが起訴された10日夜、「会社の投資資金や経費の不正使用を含め、重大な不正を取り除く」と強調した。発言から透けたのは、逮捕容疑以外の「私物化」にあまり脚光が当たらない現状への不満だった。
西川社長が、恐れていたのは、ゴーン氏の起訴が逮捕容疑の「退任後の報酬の不記載」にとどまることで、ゴーン氏の「私物化」を世の中に認識させることができず、ゴーン氏を代表取締役会長から引きずり下ろしたことの正当性が問われることであろう。
その懸念は、同日のフランスでのルノーの取締役会で、「不正が確認できない」との理由で、ゴーン氏の代表取締役会長解任が見送られた、と報じられたことで現実化し、日産経営陣はさらなる窮地に追い込まれることになった。
西川氏らは、「検察の捜査権限」という武器を使って、ゴーン氏を日産の代表取締役会長の座から引きずり下ろし、それに伴って日産の子会社の三菱自動車の代表取締役会長の座を奪うことまではできた。しかし、その捜査の根拠とされた「犯罪事実」が、「退任後の報酬の不記載」という「あまりに薄弱な容疑」でしかなかったため、ゴーン氏を、親会社のルノーの代表取締役会長の座から追うことすらできなかった。その事実だけで、検察捜査が終結してしまった場合、西川氏ら日産経営陣には、ゴーン氏が日産の約44%の株式を持つルノーの会長にとどまり、逆襲してくるという「地獄絵図」が待ち受けることになる。
「有報虚偽記載は重大犯罪」という「過信」で、検察は「孤立化」
一方の検察の側の状況について、上記の朝日記事では、
まだ受け取っていない報酬を対象とした捜査に、「形式犯」「有罪は得られないのでは」という指摘は強まるばかり。元検事らは連日、「会社法違反(特別背任)罪こそが実質犯だ」と批判する。
それでも、証拠を握る検察幹部らの自信は揺るがない。「考え方が古い。役員報酬はガバナンス(企業統治)の核心。潮流に乗った新しい類型の犯罪だ」「背任ができなかったから有報の虚偽記載に逃げたわけではない。目の前にエベレスト(有報の虚偽記載)があるのに富士山(背任)に登るのか?という話だ」
と書かれている。
検察幹部がいくら、自信をもって「有報の虚偽記載は重大だ」と強調しても、相手にされなくなりつつある。朝日と同様に「ゴーン叩き」を続けてきた日経新聞ですら、町田祥弘青山学院大学大学院教授の「投資家の判断に大きな影響を与える重要事項とは言えず、虚偽記載といえる水準にない」との見解を紹介するなど(12月12日日経朝刊)、「退任後の別の契約による支払の合意」では虚偽記載罪に当たるのか否かも疑問という認識が、マスコミにも世の中にも確実に広がりつつある。
経済社会や証券市場の実情に疎い検察幹部が、「有報虚偽記載は重大な犯罪だ」と壊れたオルゴールのように叫び続けても、世の中からは相手にされず、「検察の孤立化」の様相が深まっている。
日産と検察にとって、これ程までの「大誤算」が生じてしまったのは、なぜだろうか。
「日産経営陣の誤算」の原因
日産にとっては、社内調査結果を検察に持ち込み、検察が強制捜査に着手するという「見通し」を持った段階で、逮捕起訴容疑が「有報虚偽記載」だけにとどまり、「特別背任」などは立件されない、という事態は、全く予想していなかったであろう。逮捕直後の記者会見で、西川氏が、「内部通報に基づき数か月にわたって社内調査を行い、(1)逮捕容疑である報酬額の虚偽記載のほか、(2)私的な目的での投資資金の支出、(3)私的な目的の経費の支出が確認されたので、検察に情報を提供し、全面協力した」と述べたのは、(1)がその時点での逮捕容疑だが、いずれ(2)、(3)も刑事事件として立件されてゴーン氏が処罰されることを確信していたからだと考えられる。おそらく、それは、検察との「司法取引」を仲介した弁護士の見解に基づくものであろう。
しかし、その見通しは全く間違っていた。私は、ゴーン氏逮捕の2日後に出した【日産幹部と検察との司法取引に"重大な欺瞞"の可能性 ~有報提出に関与した取締役はゴーン氏解任決議に加われるか】で、特別背任罪の立件の見通しについて、
自宅に使う目的で投資資金で不動産を購入する行為は、「自己の利益を図る目的」で行われたとは言えるだろうが、「損害の発生」の事実があるのか。不動産は会社の所有になっているのだから、その価格が上昇するか、購入時の価格を維持していれば「財産上の損害」はない。海外の不動産の時価評価なども必要となる。特別背任罪の立件は決して容易ではない。
と否定的に述べ、また、【役員報酬「隠蔽」は退任後の「支払の約束」に過ぎなかった~ゴーン氏逮捕事実の"唖然"】では、そのような私的流用を役員報酬としてとらえることについても
投資資金として不動産を購入してゴーン氏の自宅として使用した事実があったとしても、購入した不動産が会社所有であれば、購入資金自体は役員報酬にはならない。家賃相当分を役員報酬にすると言っても、使用の実態を明らかにしなければ金額が算定できないわけだが、海外の不動産についてそれができるのだろうか。レバノン、ブラジル等に捜査共助を求める必要があるが、それが容易にできるとは思えない。結局、「実質的に役員報酬」とすべき金額があったとしても僅かであろう。
と述べるなど、西川社長が会見で述べた(2)、(3)が刑事立件される可能性は低いと指摘してきた。
「司法取引仲介弁護士」の見通しの誤りか?
検察側も「司法取引」の合意の時点で、同様の見通しを持っていたはずだが、「特別背任等の実質犯での立件ができなくても、有報虚偽記載罪だけでもゴーン会長逮捕の正当性は理解される」と判断していたのであろう。
しかし、そのような「検察側の見通し」は、日産側に伝えられることはない。検察の捜査や刑事立件の見通しは、「司法取引」の相手方には明かすべきではない、というのが検察の基本的な考え方だ。検察の「刑事立件の見通し」が日産側に伝えられないのであれば、司法取引を仲介した弁護士(おそらく「ヤメ検弁護士」)が、検察実務の観点から、その見通しを自ら正確に予測して、日産側に伝えなければならなかった。
しかし、その仲介弁護士の見通しが誤っていたため、結局、「司法取引」の段階では、日産は「特別背任等の実質犯の立件を予想」、一方で、検察は、「有報虚偽記載で十分と考え特別背任の立件は予定しない」、という「同床異夢」の状況で、「クーデター」に至ったということではなかろうか。
そうだとすると、日産側の致命的な「誤算」は、「司法取引を仲介した弁護士」の判断の誤りによるものということになる。
「日本版司法取引」の構造的な問題
このようなことが起きるのは、米国では一般的な「自己負罪型」を導入せず、「他人負罪型」のみ導入した「日本版司法取引」の構造的な問題だと言える。
アメリカの「自己負罪型」であれば、司法取引が成立すれば、有罪答弁によって、裁判も経ることなく事件は決着するので、それはただちに表に出ることになる。しかし「他人負罪型」は、その「他人」の刑事事件の捜査を経たのちに、検察の判断としてどのような刑事処分が行われるのかが明らかになる。それまでは、司法取引で捜査に協力した側は、「司法取引仲介弁護士」の見解・見通しによって、検察の刑事処分を予想するしか方法がないのである。その見通しが誤っていた場合、今回の日産経営陣のような悲惨な結果になる。
結局、「他人負罪型司法取引」では、司法取引を利用しようとする企業等が、「他人」の犯罪の行方に重大な利害関係を持つ場合、「他人」についての検察の捜査・処分の予測を、介在する弁護士の見解・見通しに依存せざるを得ないことが、最大のリスクになる。
それが、今回の日産の事件の最大の教訓と言うべきであろう。
「検察の誤算」の原因
検察の誤算は、「退任後の報酬の不記載」の事実についての、有価証券報告書虚偽記載罪の成否という法的判断の問題だけではない。そのような事実が、日産、ルノー、三菱自動車という国際的企業3社の会長を務めるゴーン氏を突然逮捕することを正当化する根拠になり得るか、という社会的、経済的評価が全くできていなかったことにある。
その根本的な原因は、検察という組織が、社会に対して説明責任も情報開示責任も負わず、組織内だけですべての判断ができるという意味で、「組織内で正義が自己完結する」閉鎖的かつ独善的な組織であることだ(【検察の正義】ちくま新書)。殺人、強盗、覚せい剤のような「個人的な事象」としての犯罪についての判断では大きな問題は生じない。しかし、経済事犯や政治関連事犯のように、捜査・処分の内容が、社会・経済に重大な影響を与える犯罪については、閉鎖的かつ独善的な検察が判断を誤ると、重大な危険を生じさせる。(【検察が危ない】ベスト新書、【組織の思考が止まるとき】毎日新聞社 等)
そして、唯一、社会との接点になるべき司法マスコミは、検察から捜査情報のリークを受け、その情報で「有罪視報道」をして捜査を応援するという「利益共同体」的な関係にあるため、検察の「独善」に疑問を投げかけたり、批判する機能をほとんど果たして来なかった。それどころか、検察幹部の「ご機嫌伺い」に腐心する司法記者達の態度が、検察幹部の「独善」を一層助長し、検察の暴走にもつながってきた。(その危険をフィクションとして描いたのがペンネーム「由良秀之」で書いた推理小説【司法記者】講談社文庫)
ゴーン氏の事件でも、早くから検察の捜査方針を知り得る立場だったはずの朝日新聞が、「退任後の報酬の不記載」が逮捕容疑であることをどの時点で知り、どう評価したのであろうか。少なくとも、その程度の事実でゴーン氏を突然逮捕し、日産の社内抗争の一方に加担するという「検察の暴走」を止める役割を全く果たさなかったことは間違いない。
検察組織の特異性に由来する構造的な問題と司法マスコミとの癒着関係が、検察の誤った判断につながり、日本の国と社会に対する国際的な信頼にも重大な影響を生じさせたのが、今回の事件なのである。
*2018年12月14日 郷原信郎が斬るより転載。