パラ・パワーリフティングのマクドナルド山本恵理選手が11月29日、スポーツ界のテクノロジーなどを紹介する「Sport Innovation Summit Tokyo 2018」に登壇した。
山本選手は、日本財団パラリンピックサポートセンターの職員として、アスリートを支援しながら、自身もアスリートとしてパラリンピックを目指している。
イベントでの講演やハフポスト日本版の取材の中で、自らの半生やパラリンピックへの思い、選手とサポート役という二つの立場への葛藤を語った。
▪「支える側とプレイヤー側の両方で、2020を目指すと決めた」
山本選手は、二分脊椎症を持って生まれ、ほとんど足が動かなかった。母親の勧めで子どものころ水泳を始めたことをきっかけに、パラリンピックのアスリートになるという夢を抱いたが、16歳でけがをして選手の道を絶たれた。
そんな時、選手を支える立場にならないかと声をかけられ、水泳代表のメンタルトレーナーとして、2008年の北京パラリンピックに参加した。
「自分がどうしても行きたかった、夢だった北京パラリンピックに、スタッフとして行くことができました」
この経験から、選手を支えたいという思いが強まり、英語などを勉強するためにカナダに留学した。現地でたまたま出会った「パラアイスホッケー」でも頭角を現し、第2のアスリート人生を歩むことになった。
「(競技は)あまり好きでなかったのですが、転んで立ち上がれないのが悔しくて頑張ったら、カナダの女子代表に入れてもらえました」
そして2013年。東京でオリンピック・パラリンピック開催が決まると、「選手を支える仕事を夢見ていた。自国開催で支えないわけにはいかない」と、日本への帰国を決めた。
今度は選手を支える立場で、山本さんは日本財団パラリンピックサポートセンターのプロジェクトリーダーとして働き始めたが、ここでも再び思わぬ転機が訪れる。仕事で視察に行った競技体験会で、パラ・パワーリフティングと出会ったのだ。
「こんな重いのは無理だろう」と思っていたが、40キロのバーベルを軽々あげてみせ、その場で選手としてスカウトされた。
「支える側とプレイヤー側の両方をやることで、2020を目指そうと決めました」
▪「毎日葛藤している」
アスリートとサポート役、二つの立場の両立はできるのか。
「毎日葛藤している」という山本選手は、ハフポスト日本版に次のように心境を明かす。
「両立できているかを気にしてしまいます。試合前に『試合に集中しすぎて仕事がおろそかになっているかもしれない』と悩んだこともたくさんある。バランスの問題はいつも悩んでいます」
一方で、葛藤の中から得たこともある。
「選手でもある私が何をすれば仕事に役立つかを見出して、自分にしかできないことを見つけられるようになってきた」という。
どうすれば、多くの人にパラリンピックや競技を広めることができるのか。その手段の一つとして、山本選手は「私のファンになることです!(笑)」と笑顔で語る。
「いきなり『障害者ってどういう人だろう』なんて堅苦しい。ファンになってもらえる立場と環境を生かして、パラリンピックへの情熱を皆さんに伝えたい」
それが、「(アスリートとサポート役を両立する)自分にしかできない仕事だ」と、山本選手は信じている。
■「Sport Innovation Summit(SIS)」 とは
山本選手が登壇した「Sport Innovation Summit(SIS)」 は、スポーツとテクノロジーを融合したスポーツビジネスの最新トピックを紹介するスポーツビジネスサミット。
東京都内で11月29、30日に開催され、他にも、ラグビーW杯2019エグゼクティブ・ディレクターのロブ・アバーネシー氏やプロ野球横浜DeNAベイスターズの岡村信悟社長など、多様性に富んだスピーカーが登壇した。