自分がまもなく親になる、と想像してみてください。その子供が、自閉症もしくはダウン症だと告げられたら――? もしくは子供が殺人を犯したとしたら、それでも家族として愛し続けられるでしょうか?
「闘いだった。望まずして放り込まれた」。自閉症の息子を持つ、エイミーは、映画『いろとりどりの親子』で、息子との関係を振り返ります。
『いろとりどりの親子』は、24カ国語に翻訳されたベストセラーの映画化。自閉症やダウン症、低身長症といった"違い"を抱える6組の親子を追いました。
社会にうまく適合できず、悩んできた家族。しかしレイチェル・ドレッツィン監督が最後にみつけたのは、「簡単にやめられないから、家族は素晴らしいものになる」という希望だったそうです。
その言葉に込められた意味とは何なのか、ドレッツィン監督に聞きました。
■ 苦労は絶えない。でも息子に"普通"になってほしくない
――映画に出てくるのは、それぞれ難しい事情を抱えた子供ばかりです。どうやって親は距離を縮め、絆を深めてきたのでしょうか?
初めから簡単に違いを受け入れられたわけではないんです。
自閉症のあるジャックの両親は、自分たちとあまりに"違う"息子を何年も受け入れられなかったし、ダウン症のあるジェイソンのお母さんも、初めは息子が他の子供たちのようになることを願っていました。
しかし彼らは、違いから逃げ出しませんでした。彼らは子供たちと自分をつなぐ"架け橋"を探し出し、違いの中に"意味"をみつける選択をしました。私はそれを「人生が与えたものの中に、意味を見出した」と表現しています。
ただ、それは決して簡単なことではありません。中には子供を拒否したり、養子に出した親もいます。
だけど、違いの中につながりをみつけた時、とても美しくて素晴らしいことが起きる。私たちはその美しいストーリーを伝えたくて、架け橋を見つけた家族を選びました。
――彼らは、違いを乗り越えたのでしょうか?
必ずしも、乗り越えたとは言えません。エミリーはジェイソンのことで毎日苦労していますし、ジャックの両親も苦労が絶えません。
つい最近ジャックのお母さんと会ったのですが、ジャックが暴れてすごく大変な1日だったと話してくれました。
それでもジャックの両親はジャックに"普通"になって欲しい、変わって欲しいとは思ってはいません。
――それはなぜでしょう?
彼らは今のままのジャックを、心から愛しています。ジャックは本当に特別な男の子です。ユニークな方法で世界を理解する息子を、両親は誇らしく思っています。
もし彼が他の子供のように話せるようになったら、自閉症でなくなったら、それはもうジャックではなくなってしまう。それを知っているから、両親は彼に変わって欲しいとは思っていません。
でも、ジャックのことを理解できるようになる前は、そう感じるのは難しかったと思います。映画でも描かれていますが、言葉を発しない息子に話させようと、両親はありとあらゆる方法を試しました。長い道のりを経て、両親はジャックを理解できるようになったのです。
――どうやって違いを理解し、肯定的に受け止められるようになったのでしょうか?
ある意味、選択肢がなかったと言えます。そして私はそれこそが、家族が特別である理由だと思うんです。
私たちは、様々なつながりの中で生きていますが、そのほとんどを自分の意思でやめられますよね。友達になりたくない人とは距離をおけばいい。学校に行きたくない、この人を雇用したくない、あなたとは結婚したくない......。自分の意思で決められます。
でも家族は簡単にやめられません。特に子供が幼い時は、簡単に放棄できません。簡単にやめられない関係の中で、自分と違う相手と一緒に生きていかなければならないとなった時、人は一緒にいるための方法、互いを愛するための方法を見つけようとします。
苦しみながら探し続けた結果、とても美しいことが起きる。だからこそ、多様性や違いを乗り越える方法を考える時に、家族はとても特別な場所だと思うんです。
撮影を通して「簡単に止められないからこそ、一緒に生きる方法を見つけなければいけない」ということが、家族の本質だと私は思いました。だからこそ、家族は私たち全てにとって、とても複雑で大変なものなのでしょう。
――ジェイソンは、母親を慕いつつも、一緒に住んでいる友人を家族のようだと話していますね。血の繋がった人以外でも、家族の関係を作れるのでしょうか?
もちろんです。ジェイソンは母親を心から愛していますが、幼い頃に親に生き方を押し付けられたように感じていたと思います。今は、一緒に暮らしている友人を家族のように感じています。
低身長症のロイーニも、自分のような立場で生きるのがどういうことか、きょうだいたちは理解していないと感じています。そして、自分と同じような人たちとのつながりを強く求めています。
家族には、様々なかたちがあります。どんなかたちにもなり得ると思います。
ただ、映画に出てくる全ての子供たちに言えるのは、親から無条件で愛されていたということです。
親の愛は、子供たちにとってなくてはならないものです。親から理解されていないと感じていたとしても、子供たちは親の愛に支えられています。
■ 殺人犯の息子がいる家族を、映画で取り上げた理由
―― 原作者のアンドリューは「不幸は似通っているけれど、幸せの形は無限にある」と言っていますね。
私もそう思います。私たちは、周りと違う人たちを見て、彼らは幸せじゃないんだと思い込む傾向にあります。でも幸せになるための方法はたくさんあります。
私は、映画の最後に出てくる、出演者たちの日常シーンがとても好きなんです。耳にイヤフォンをつけて、窓の外を眺めるジャック。テレビを見ながら、友人とテイクアウトの中華料理を食べるジェイソン......。皆それぞれの幸せの形があります。
アンドリューは原作の中で、受容には3つの種類があると書いています。自分自身による受容、家族の受容、そして社会の受容です。幸せになるためには、その全てが必要だと思います。私たちは自分を受け入れるだけではなく、社会から受け入れてもらうことも必要なのです。
それを伝えるのが、息子が罪を犯したリース一家です。リース家の家族愛はとても強く、いつもお互いを支え合いながら、刑務所の中にいる息子にも電話を欠かしません。
それでも、彼らは自分たちを幸せだと感じていません。それは、社会から受け入れられていないからです。
子供が罪を犯すと、社会は親の育て方が悪かったからだと家族を責め、距離をおきます。リース家も事件のことを誰にも話さず、大きな罪悪感を抱えてひっそり身を隠すように暮らしていました。
彼らは初めは、映画への出演を躊躇していました。最終的に許可してくれた一番の理由は、自分たちと同じような境遇に置かれている家族のためです。
どれだけ家族愛が強くても、社会から拒絶されるている限り幸せにはなれないということを伝えたくて、何カ月もかけて出演をお願いしました。こういった経験を話せる家族は少ないので、リース家が勇気を持って映画に出てくれたことには、大きな意味があると思います。
日本では、他の人と同じであることがとても大事だと聞いています。
でも社会は、異なる考え方やバックグラウンドを持った人たちがいることで強くなります。周りとは違う人や違う家族を肯定する社会こそ、私たち一人一人が生きやすい場所ではないでしょうか。
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映画の原作『Far From The Tree』の作者アンドリュー・ソロモン氏は、長年ゲイである自分を親に受け入れてもらえず、苦しんできた。
そのソロモン氏が『Far From The Tree』を書いたきっかけは、性的マイノリティの社会的な立場が大きく変わったことだった。
数十年前は病気だと思われていた同性愛は、大きな社会的変化を経て、アイデンティティとして捉えられるようになった。
「皆が視点を変えただけで同性愛は病気から個性になった。治療すべきものと祝福すべきものの境目とは何だろう?」と、ソロモン氏は問いかける。
今、"治すべきもの"と捉えられているダウン症や低身長症、自閉症。"障がい"と呼ばれているものが、祝福すべきものになる時代はくるのだろうか。
『いろとりどりの家族』は、違いや親子について考えるきっかけをくれる。
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■『いろとりどりの親子』は11月17日(土)から、新宿武蔵野館ほか全国順次公開