みんな“白シャツ・黒パン”でも気にしない? 日本人の買い物の「いま」を映す6つのデータ

もしかして今の日本人って、自分らしさにこだわる余裕なんてないのかもしれない…。
#みんなって誰だ
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街を歩いていると、昨年くらいから気になる光景を目にするようになりました。

無地の白いTシャツに黒いパンツをはいている人が増えている気がする(主に男性)ということ。

あくまでも私の肌感覚で、厳密に調査をしたものではないですが、以前よりも目にする頻度が明らかに増えました。シンプルで、カブりやすい服装...。

もしかして、「みんなと違う服や持ち物を身につけて差をつけたい」とか「他人とカブると恥ずかしい・嫌だ」という感覚に、何か変化が生じているのではないか...?

70年代まで続いた高度成長期は、みんなの消費のベクトルが同じ方向を向いていた=同じようなものを欲しがっていた大衆消費の時代。それが、1980年代頃からはだんだんと、個々の嗜好やこだわりが多様化し、消費のベクトルがバラバラになった=違うものを欲しがるようになった個性化・差別化の時代。そんなふうに言われることがあります。

そうだとすれば、個人の嗜好性が高そうな服などは特に、誰かとの"カブり"はことさら避けたくなりそうなものですが、先述の様子を見るに、一概にそうとも言えない気もします。

博報堂生活総合研究所・上席研究員の三矢です。私たちの連載「"みんな"って誰だ」、7回目となる今回は、消費における"みんな"意識について考えてみたいと思います。

個性化・差別化へと向かうといわれる消費のベクトルには、変化が生じつつあるのでしょうか?消費に関わる様々なデータを分析していきます。

①消費の原資が限られている?

生活者がオリジナリティを追求し、嗜好のバラエティに富んだ消費をするにあたっては、なによりまず消費の原資である「可処分所得」が多いに越したことはありません。軍資金が多ければ多いほど、選べる商品・サービスに幅が出ますし、あれもこれもと様々な消費カテゴリにお金を回すこともできるはず。

ですので、まずは「先立つもの」がどうなっているのか確認してみたいと思います。生活者の可処分所得は総務省「家計調査」で確認することができますので、こちらを基に直近20年ぶんの推移を見てみましょう。

図1
図1
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出典:総務省「家計調査」(勤労者のいる2人以上世帯)

世帯あたりの可処分所得は年を追うごとにじわじわと減少。ここ数年はやや上がってきてはいるものの、20年前と比べてみると、消費の軍資金は87%程度になってしまいました。

なんでこうなっているのかと言えば、平成の期間に長く続いた経済停滞(いわゆる「失われた20年」)で、企業業績も振るわず給与の伸びが押さえられてきたこと。さらに、稼ぎから差し引かれる税や社会保険料の割合は年々伸び続けていること。この2点が挙げられそうです。

会社に勤めて給料をもらっている人は、税金・保険料は毎回天引きされているので気が付きにくいかもしれませんが、保険料率は数年ごとにじわじわと引き上げられています。

消費の個性化だ差別化だ云々という以前に、みんなのお金は、個性とはまったく関係ない税・社会保障に振り向けられる割合がどんどん増えている。そんな状況が続いているということです。

図2
図2

出典:財務省「国民負担率の推移」

②「こだわり型支出」が減少傾向にある?

次に、限られた「軍資金」をどう使っているのか?その使い道を見ていきます。

ここでも参照するのは総務省「家計調査」。あまり細かい品目を見ても全体像が見えにくいので、ここでは大きな区分として設定されている「その他の消費支出」を除く9項目を、個人の嗜好性やこだわりが表れやすそうな項目と、あまり関係なさそうな項目に分けてみます。

まず、「住居」、「光熱・水道」、「保健医療」、「交通・通信」、「教育」

という項目は、どちらかというと生活のインフラ的な側面が近く、個性や嗜好性が反映される余地が少ない支出であると考えられます。以降便宜的に「インフラ型支出」と呼称します。

一方、「食料」、「家具・家事用品」、「被服及び履物」、「教養娯楽」

については、食やファッション、趣味等々、まさに個人の嗜好性が反映されやすい支出。こちらは便宜的に「こだわり型支出」と呼ぶことにします。なお「その他の消費支出」はかなり雑多な項目をまとめており、どちらとも分類し難いため、今回は分析から除きました。

さてそれでは「インフラ型」「こだわり型」のそれぞれの支出金額は、20年間でどのように推移しているのでしょうか。

●1997年=100とした時の各支出の推移

出典:総務省「家計調査」(勤労者のいる2人以上世帯)

こうして見ると、インフラ型支出に振り向けられるお金に比べて、こだわり型支出に振り向けられるお金は、20年前からだいぶ少なくなっていることがわかります。とくに「被服及び履物」は20年前と比べると約7割に減少。

個性化・差別化の時代と言われつつも、生活者の家計状況を見るとこだわり型支出のボリュームは低水準で推移している・・・これでホントに個性化の時代なの?と、こんな見方もできるのではないかと思います。

③「こだわり離れ」が加速している?

ここまで家計における収入・支出の変化など定量的な側面からお話ししてきましたが、ここからは生活者の内面についても触れていこうと思います。

生活総研では2年に一度、「生活定点」という生活者調査を実施しています。生活者のさまざまな意識・行動・価値観の変化を長期的に定点観測しており、消費におけるこだわり度合いについても、こんなデータがあります。

出典:博報堂生活総合研究所「生活定点」

自分の気に入ったものや、ちょっといいものを買おうという気持ちにブレーキをかけて、値段を気にして買い物をしている生活者が、以前に比べて増えているようです。

昨今のファストファッション人気にも表れているように、高級路線の商品や店舗が苦戦を強いられ、低価格帯の商品・店舗が好調というケースが、衣料品や家具類をはじめ様々な市場で散見されています。

これまで見てきたように、昔に比べて可処分所得が減っている状況では、自分のこだわりよりも価格を重視するようになるのは無理もないことかもしれません。そして、生活者の買い物のこだわりが低減するのと同時に、「みんなが同じものを持っていても、あまり気にしない」という、差別化意識の低減が、少しずつ進んできているようです。

また家計調査で特に減少割合の大きかった支出項目である「被服及び履物」に関しては、こんなデータもあります。

出典:博報堂生活総合研究所「生活定点」

ファッション動向への敏感さや、見えないところへのおしゃれ意識は、元々そこまで高いスコアではありませんでした。が、それが近年さらに低下して直近が過去最低に。さらに「異性の目を意識する」という項目も過去最低になっています。

羽根の美しさで異性にアピールするクジャクよろしく、個性化に向かう原動力のひとつに、異性の気を引こうとする「モテ欲求」があるはずだと個人的には思っているのですが、どうやらその意識も下がっている様子。

「値段を気にして、良いもの・気に入ったものでなくても、そこそこのものを買う」

「みんなと同じものでも、そんなに気にならない」

「ファッション動向も、異性の目も、そんなに気にならない」

・・・調査結果からうかがえる生活者の意識は、個性化・差別化の追求とは少し距離を置いたもののように感じられます。冒頭で触れた「同じような白シャツ黒パン」も、この意識変化の延長上に出現したものなのでしょうか。

④生活者の「選択疲れ」が進んでいる?

さらに生活定点から、こんなデータを紹介します。

出典:博報堂生活総合研究所「生活定点」

今や情報検索が当たり前の時代。買いたいものがある時はECサイトで品名を検索すれば、瞬時に膨大な数の商品がリストアップされ、無限とも思えるような候補から選択できるようになりました。

これはインターネットが普及する前には考えられなかった恩恵であり、それだけ個人の嗜好にマッチする品物を探しやすくなったとも言えます。ですが、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。調査からは、無数に提示される情報を前にして、"選ぶことに疲れてしまった"生活者の存在が見えてきます。

最近では、自分でこだわりぬいて「これ」と決めるような買い方よりも、毎回一定金額を支払って業者から届くものを利用したり、与えられた枠内から選択したりする「サブスクリプション型」のサービスが次々と登場。

衣類に化粧品、音楽、映像コンテンツ、ネイル、生鮮品に至るまで、「こだわり型支出」に当てはまる品目がどんどん「おまかせ」で済ませられるようになってきています。

もちろん「自分でとことん欲しいものを吟味したい」という人も依然としているでしょう。ただ、大量の情報に向き合うことを敬遠する人たちのなかには「たくさんの選択肢から自分で選ぶのは大変だし、おまかせでかまわない」と考えて、自分のこだわりを捨て、サブスクリプション型サービスに委ねてしまう人たちが増えていく可能性もあるように思います。

みんなと違う消費の時代は終わるのか?

いかがでしょうか。収入・支出金額というマクロの面と、生活者の気持ちの面から、「個性化・差別化へと向かうといわれる消費のベクトルに、ちょっと変化が生じつつあるぞ」という話をしてまいりました。

じゃあこの先はどうなるのか? みんなと違う消費の時代は終わり、かつての、みんなが同じようなものを求める時代に回帰していくのか? ...というと、そこまで大きな揺り戻しではないでしょう。

ただ言えるのは、「みんなとは違う自分でありたい」という意識が消費をドライブすることがあったとしても、そのパワーはこれまでよりも弱まっているのではないか?ということ。

1970-80年代ごろまでの"大衆の時代"と比べて今は、世帯構成もライフスタイルも多様化が進み、恋愛も、結婚も、働き方も、子育ても、介護も、お葬式も・・・ずいぶん自由な"ルール"で生きられる時代になりました。それはつまり、一人ひとりがすでに十分「個性的」な時代であるということ。個人があまりにバラバラであるがゆえに、「みんなとは違う自分」をことさら意識する必要がなくなってしまった。そんなことも考えられるのかもしれません。

あるいは、「みんなとは違う自分」を実現する手段が、消費から別のものにシフトしたと、そんな見方もできるでしょう。スマホ・SNSの急速な普及により、"主戦場"が「リアル・モノ」から「デジタル・コト」へと変わり、クジャクの羽根も「ブランド物のコート」から「綺麗に加工したインスタ写真」に変わってしまった。...などなど、色々な仮説が立てられる部分でもあり、さらに研究を続けていきたいところです。

皆さんはどうお考えでしょうか。「#みんなって誰だ」のハッシュタグをつけて、ぜひご意見をお寄せいただければ幸いです。ありがとうございました。

執筆を担当した研究員

三矢 正浩/博報堂生活総合研究所・上席研究員

2005年博報堂入社。PRプラナーとして民間企業・官公庁等の広報戦略立案・施策実行を担当。2009年より㈱博報堂ブランドコンサルティングにて民間企業のブランド戦略立案等に従事。2011年にPRに復職した後、2016年より現職。2018年のみらい博「進貨論~生活者通貨の誕生~」主担当を務め、外部での講演・寄稿も多数。

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