9月15日に亡くなった俳優・樹木希林さんが出演したCMで、一気に知名度が上がった貼り薬「ピップエレキバン」。CMの舞台となったのは、北海道比布(ぴっぷ)町(人口約3800人)のJR宗谷本線比布駅だ。
注目を浴びたあのCMから40年近くがたった。樹木さんの死去を機に調べてみると、樹木さんと駅は、最近まで交流が続いていた。
比布駅は、大正時代に木材輸送の拠点として発展したものの、その後石北線の開通で産業が衰退、長く閑散としていた。
一躍脚光を浴びるようになったのは、1980年8月。「ピップエレキバン」のテレビCMが全国放送されたのがきっかけだった。
■どんなCMだった?
プラットフォームの駅看板を背に立つのは、樹木さんとピップエレキバンの製造会社の横矢勲会長(故人)。
「とうとうここまでやってきましたね」と会長と握手した樹木さんが「何か来ないうちにおっしゃったらどう?」と促し、会長が「ピップ...」と言い始めた途端、列車が大きな音をたてて通過。声がかき消されてしまう。
過ぎ去った後、「聞こえた?」と聞く会長に「ううん、なんにも」と樹木さんがとぼける。
■午前中1本しかない急行列車を狙った
町広報誌「広報ぴっぷ」の2016年8月号の特集によると、以前から個性的なCMを流していたピップエレキバンと、頭の名前が同じ比布駅を、旅行中の大学生が見つけ、ぜひここでCMを、と79年に署名活動を展開したのがきっかけとされる。
CMは80年6月に撮影。午前中唯一の急行列車が駅を通り過ぎるのを狙って撮影したという。もしうまく撮影できなかった場合、次は夕方まで待たなければならなかったので、緊張感あふれるものだったという。
このCMが大当たりし、全国から観光客が押し寄せた。入場券が1日1000枚も売れる日もあったという。
84年、駅が無人化になった後も駅の事務所が喫茶店となり、CMの舞台を見に、多くの観光客が訪れたという。
2015年には駅舎の老朽化による建て替えで、旧駅舎を取り壊すことに。その際、樹木さんは報道機関へのコメントとして撮影当時を振り返り、「列車通過のシーンで私の顔が真剣だったのが今も笑えます」「古い比布駅さまお疲れ様でした」と述べていたという。
新しい駅舎は、2016年9月4日に再オープンした。
その際も、樹木さんは次のような自筆のお祝いメッセージとイラストをしたため、駅関係者に送っていた。
比布グランドオープンめでたいわぁ~
あの頃 ぴっぷなんて地名があるのにビックリ!駅もあり神社もあり、おかげで面白いCMになったかなあ。
(おばあさんのイラストとともに)わたしは、こんなになったけど駅はこ~んなになったようで 嬉しいような淋しーーいような
マ、いいか
平成28年9月4日
当時ピップエレキバンCMガール
樹木希林
■樹木さんとの縁、いまも
ピップエレキバンCMで比布町の知名度を全国区にした、樹木さんとの縁はこれまでも続いてきた。町は旧駅舎取り壊しで改めて駅舎が注目された2015年、あのCMを再現したシーンを含む町紹介の動画を作った。
北海道新聞によると、村中一徳町長が2018年春、町の応援大使に就任してもらえないか樹木さんに頼んだ際、樹木さんは電話で体調不良を理由に断ったが「比布の発展を祈っています」と答えたという。
同年8月、町の応援大使に就任したのは、ピップエレキバンの製造元「ピップ」の松浦由治社長。町広報のブログによると、CMがきっかけで、町と同社は「比布deエレキバン杯」というパークゴルフ大会や車椅子の寄贈などで交流を深めてきたという。
樹木さんの訃報に際し、村中町長はTwitterでメッセージを発信した。